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ネットフリックスの時代、自分のタコツボに棲む快楽
(著:西田宗千佳)
●ネットフリックスとは何か
ネットフリックスとは、アメリカ発の定額制ビデオ・オン・デマンド・サービスである。
という説明をしても、わかったようなわかんないような話だ、と思う人は多いだろう。要するにあれだ、ビデオ(DVD)レンタルが、一定料金で、家に居ながらにして楽しめるサービスである。DVDを借りたら返さなきゃいけないけど、ネットフリックスならそんな手間はない。しかも定額制だから、月に何作品借りたって料金は変わらない。
当然のこと、このサービスを展開しているのはネットフリックスだけではない。Huluもあるし、TSUTAYAもAmazonもやっている。ドコモはdTVというサービスを展開している。百花繚乱と言っていいだろう。
ネットフリックスが独特なのは、ほぼすべてのアメリカ産テレビのリモコンに、「ネットフリックス」ボタンを備えることに成功していることだ。通常のテレビ番組を楽しむのと同じ感覚で、ネットフリックス提供の番組が楽しめるのである。日本製のテレビにも、リモコンに「ネットフリックス」ボタンを備えたものが登場しはじめている。
本書は、ネットフリックスを中心に、こうしたビデオ・オン・デマンド・サービスがどうやって成り立っているのか、現状はどうなのか、どういうサービスが求められているのか、などを、豊富な取材をもとにていねいに述べた本である。派生的に従来のDVDレンタルやテレビ局の運営はどうなのかも語られている。
●なぜアメリカがビデオ・オン・デマンド先進国なのか
ネットフリックスのようなサービスがアメリカで発達した背景には、かの国がインターネット先進国であることばかりが理由ではない。それは、この本を読んで「ああなるほど」と納得したことだった。
アメリカは広い。うんざりぐらい広い。したがって、サラリーマンが仕事帰りに駅前のレンタルショップに寄ってDVDを借りる、なんてライフスタイルは定着していないのである。
そういう国では、とにかく家にいてすべてが完結できなければならない。ケーブルテレビ網の敷設は急がなければならないし、ネットフリックスみたいなサービスの一般化は誰もが求めているのだ。
日本でこうしたサービスの普及に時間がかかっているのは、単に遅れているから、ではない。レンタルでじゅうぶん用が足りるから、なのだ。
インターネット黎明期、「情報のスーパーハイウェイ」構想を早々に語り、ケーブルテレビ網の全国的な敷設を目標とした米国を心底うらやましく思ったものだった。日本は当時、利権やら既得権益やらでがんじがらめになっていて、そんなの夢のまた夢だったから。
だが、その背景には、かの国独自の状況があったのだ。アメリカにはアメリカの、日本には日本の事情がある。それを無視して「だからあのとき言ったじゃないか」などと主張するのは正しくない。まー、日本がネットビジネスで三流国なのは、このときの態度が大いに関係していると思ってるけどね。
●テクノロジーは生活を変える。そして二度と戻れない
ネットフリックスは「見たいときに見たいものを見る」サービスである。そのためにはコンテンツが充実していなければならないし、検索システムも使いやすいものである必要がある。本書はそのことも、ていねいに述べている。
ネットフリックスのようなサービスが一般化したとき、従来の家庭は成り立たなくなる。受像器はテレビである必要はない。ネット経由なのだから、個人のスマホでじゅうぶんだ。
とはいえ、人はそんなに豊かなものじゃない。ネットフリックスは確実に「個人のタコツボ化」を促進するサービスだと言えるだろう。
「見たいときに見たいものを見る」のが常態ならば、誰もが自分がつくった居心地のいいタコツボにひきこもるようになる。新しい世界に飛び込む必要なんて全然ない。そのことが、個人を確実に狭く、限定されたものにする。
テレビがお茶の間の王様であったころ、見たくないのに見る番組はいっぱいあった。たとえば、朝のニュースなんて子供が見たいものじゃない。しかし、入ってきた。お茶の間にテレビがあると、望んでないのに入ってくる情報がたくさんあるのだ。個人はそこから、自分の居場所を選択していった。
ネットフリックスはそうじゃない。個人に居心地のいいタコツボを与えるかわりに、「望んでないのに入ってくる情報」を得られなくする。
タコツボから出なければ会話がなくなって困るじゃないか、という人もいるだろう。だが、インターネットはそういう人にも「同好の士」を与えてくれる。会話は可能なんだよ。タコツボから出なくたっていいんだ、永遠に。
テクノロジーとはそういうものだ。便利になるのは間違いない、だが、それで失われていくものも確実にある。
現代人は自動車の利便性を受け入れ、昔の人が想像もできないような長い距離を短い時間で移動することができるようになった。しかし同時に、昔の人が接したことがないような排気ガスで汚れた空気を呼吸しなければならなくなった。そこに選択の余地は(基本的に)ない。クルマ乗んなくていいからキレイな空気を、と言ったってそりゃムリな話ですよ。
「見たいときに見たいものを見る」スタイルが定着し、個人がタコツボに入る世界が現出すれば、そうではない世界は存在できなくなる。今わたしたちが「文字のない世界」や「クルマのない世界」を想像することしかできないように、「ネットフリックスのない世界」は想像するだけのものになる。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。
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