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根源(ルーツ)を失うことは自分の人生を失うこと。しかしそれは、自由になることでもある。あなたなら、どちらを選ぶだろうか


(著:東山 彰良)
2015.10.12
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ポーランドの映画監督、パベウ・パブリコフスキの映画に、『イーダ』」という作品がある。日本公開は2014年。主人公は孤児として修道院で育てられた少女、アンナ。
彼女は、はじめて会った叔母に自分の本当の名前と、ユダヤ人であることを明かされ、なぜ両親が自分を棄てたのか、その秘密を探る旅に出ることになる。
旅の途中、少女は、自分の家族がナチスの迫害を逃れ、ある家族に匿われていたことを知った。その結末を知ることは幸福なことだったのか、どうか。しかしどんなに過酷な真実を見出すことになろうとも彼女は、「自分が何者なのか」を知りたかった。

この映画のテーマは「ルーツ」。人は、ただ自分がこの世に存在するだけは寂しいものらしい。不確かな世の中の不確かな生。なにかひとつは確実なものに繋がれていたいと思うのは、ごく自然な心の法則なのだろう。
そういえば池波正太郎さんの小説にも、出自が明らかでないために「自分の心身の拠り所がなく、折にふれて不安がきざし、高まり、たよりなくてたまらなくなってくる」という人物が出てきたことがあった。

この、第153回直木賞を受賞した東山彰良氏の小説『流』のテーマも「根源(ルーツ)」である。

舞台は1970年代。共産党との内戦に敗れ、台湾へと渡った家族。最初は、ひとときの避難にすぎないと思われていた移住は、激動の歴史が収まっていくに連れて外省人としての定住へと変わり、新しい世代はもはや故郷を知らない。
自らの根源(ルーツ)を感じさせるのは、もはや血のみ。国民党の兵士として、かつて日本軍、そして共産党の戦い、敵を殺し生き抜いてきた祖父の存在そのものである。だがその祖父が、浴槽の中に沈められて殺された。

寿命による死ではない。何者かによって祖父の命が奪われたことは、その時、高校生だった主人公、葉秋生にとって、自らの根源が断ち切られることでもあった。もはや自分は何者でもない。いい高校に通っていた彼の人生は祖父の死によって揺らぎ、バカバカしい事件に巻き込まれ、もっと波乱にとんだものになっていく。

猥雑で、ちょっと不思議で、今の世の中より素朴に純真で、喧騒と暴力にまみれた彼の青春の物語。それは何者でもなくなった自由を謳歌するように見えて、根無し草の哀しみを、祖父を殺したのは誰かという謎を、つねに心に抱く青春でもある。

その読書体験は独特で、たとえば大阪出身の作者が、自分が過ごした故郷の土俗を描くのとは違う。東山氏の作品の場合、それを、舞台とは違う国の言葉で書いているのだから。
とはいえ、著者にしてみれば語り口の選択だけの問題で、たとえ違う国の言葉であっても、当時の台湾の土俗を強烈に感じさせることもできただろう。
実際、確かにほとんどそうした空気感なのだが、これは私(レビューワーであるホッタ)個人の感覚なのかもしれないが、物語はギリギリのところでいわば無国籍であり、展開は物語当時の時間感覚より、もっと現代的なシンコペーションのリズムで刻まれていく。
なぜこんな語り口を選ぶのだろう。技術としてはよりエスニシティに接続させたほうが、渋くはあっても、かんたんなはずなのに。こっちのほうがはるかに難しい。著者のユーモラスでスピード感のある筆致をしてはじめて成立する、きわどいバランスの勝負ではないか。
「“元々そういうのが好きだ!”ということなのだ」とは思うのだが、しかし読み手としては、登場人物たちがどこかギリギリで土俗と切り離された語りを演じることよって、根源の喪失が、二重の深さと複雑さを持って迫ってくる。
戦後民主主義社会の日本人にとって、「一村全員殺し」といった戦争の過酷さや、血を血で洗う怨念の連鎖は本来遠い話。しかしこの二重の喪失によって、読み手自身もまた不思議な根無し草のような気分に陥り、物語の展開を切実に追いかけることになる。

激動の時代は苛烈で、今日の正義が明日には不義となる。そんな世界で確実なものはなにか。祖父たちは、国民党と共産党という党派に別れたが、それはなにもイデオロギーの問題ではなかった。「あいつのほうがメシを食わせてくれる」というリアルに従って党派を組み、戦いの中で「兄弟」の契りを交わす。兄弟の兄弟は、問答無用で自分の兄弟。なにも確実なものがないからこそ、自分たちの契りを命を懸けて守る。
この物語は、根源を喪失した中で、人がまるで踏みしめる大地がないからこそ、浮いている者同士で強く手を握り合うかのように築いた契りに、たどり着いていく。

だが自分のルーツに執着することは、ひとつの囚われでもある。確実と思える安心感を得る一方で、自分の心の自由を失い、歴史という名の憎しみの連鎖に連なることでもある。どちらの道を行くのか。謎を追って中国本土へと渡り、主人公が大いなる選択の時にたどり着いた時、ユーモラスなことに祖父が大切にしていたある存在が、再び現れることになる。

根無し草、という点では、実は今の日本も変わらない。かつてのような安定を失ってしまった現代では、実は横のつながりが復権してきている。かつては会社に入れば、縦のつながりで守ってもらえた。しかし今では、うっかりするとブラック企業に搾取されるだけ。こうした時代、人はひとりでいることは危険で、ユニオンに帰属したり、地域コミュニティに参加することが、生活の安定を得る上で、大事になってきている。

そしてその一方で、社会は自分の根源(ルーツ)へのこだわりを深めている。こうした流れ、流れる時代に『流』という物語が登場したとは、なんとも凄いことである。

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『流』書影

レビュアー

堀田純司

作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に“中年の青春小説”『オッサンフォー』、現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証言集』では編著も手がける。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。

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