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男は女装し、女は肩を脱ぎ乱舞する。幕末の熱狂、「ええじゃないか」は何なのか?
(著:西垣 晴次)
狂乱的な民衆運動
「ええじゃないか」は、江戸時代末期に起こった民衆運動です。しばしば「狂乱的」と評されるように、その様子は異様なものでした。男性は女装し、女性は男装し、奇抜な仮装をした人が大勢あつまり、口々にええじゃないかと唱え、歌い踊りながら町を歩みました。
騒動は三日三晩、ときには一週間続いたといいます。無銭飲食が横行し、日常生活はまともには運営されませんでした。これが260年続いた徳川の世を終わらせ、薩摩と長州を中心とした新しい政治スタイルを呼び込む一因となったと言われています。
以上が「ええじゃないか」の概略ですが、自分が備えていた知識もこの程度にすぎませんでした。
理由は明白です。「ええじゃないか」をいくら調べても、歴史のメインストリームにたどりつくことができないからです。ここには徳川慶喜も、勝海舟も、西郷隆盛も、坂本龍馬も――幕末を彩った英雄は誰ひとり登場してきません。彼らひとりの事跡を調べるだけでも、この時代に何があったかぼんやりと了解できるでしょう。しかし、「ええじゃないか」にそれは望めません。
それゆえ、「ええじゃないか」はほとんど取り上げられることがありませんでした。幕末の政治不安を象徴するものとして、各地で起きた一揆や米騒動といっしょに語られるのが関の山でしょう。
だからこそ、本書にはずいぶん驚かされました。誇張ではなく、目からウロコが落ちていくのを感じました。
年齢のせいもあって、読書でそんな経験をするのは非常にまれなことになっています。ところが、本書は自分の無知を実感させてくれました。おれは「ええじゃないか」について何ひとつ知っちゃいなかった。誤ったイメージさえ抱いていたんだ!
全国で起きた「ええじゃないか」
最初に驚かされたのは、冒頭での記述です。大坂での騒動を紹介した後、本書は木曽の馬籠(まごめ)での事例を語ります。馬籠だって? そう思わずにいられませんでした。
自分は、民衆運動は多く江戸や大坂など、大都市で起こるものだと思い込んでいました。運動の規模が大きくなるためには、人口が密集している必要があるからです。60年代後半から70年代初頭にかけて大きな盛り上がりを見せた学生運動(左翼運動)の印象が強かったことも大きいでしょう。今村昌平監督の映画『ええじゃないか』も、江戸での様子を描いていました。
ところが、「ええじゃないか」はそういうものではありませんでした。
馬籠は、現在では過疎化と人口減少が大きな問題になっているような小さな町です。田舎町と呼んでもたぶん、言い過ぎにはならないでしょう。かつては宿場として栄えたと伝えられていますが、それを考慮に入れても、決して人口が多い土地ではなかったと思われます。
しかし、「ええじゃないか」はそのような土地でも起こっている。自分はイメージの抜本的な修正を余儀なくされました。「ええじゃないか」は断じて都市のみで起きたものではない。文字どおり全国(関東以西)津々浦々で起きたものなのだ。
本書は可能なかぎり、その事例を集めています。地方のあらゆる町で起きたものですから、かならずその土地ならではの事象がふくまれていて、ひとつとして同じものはありません。なかには、それどこだよとツッコミを入れたくなるような、一般に知られていない土地でも起こっていました。
目的のない、欲望むきだしの運動
「ええじゃないか」が特徴的なのは、そればかりではありません。この運動には、ハッキリした目的がないのです。
学生運動(左翼運動)はちがいました。安保反対とか、岸内閣打倒とか、明確な目的を持って展開されていました。すくなくとも、「それを現実にしなければならない」という使命感は、運動のリーダーたちに共有されていたものと思われます。
ところが、「ええじゃないか」にはそれがありません。ただひたすらに踊り狂い、歌い歩くのみなのです。
また、本書が指摘しているとおり、「ええじゃないか」にはとても猥雑な側面がありました。ええじゃないかの声はたいがい、詞とともにフシをつけて歌われましたが、それが地方によって大きく異なるのです。たとえば、大坂ではこんな歌が歌われました。
おまえも蛸なら わしも蛸 たがひに吸付きゃエジャナイカエジャナイカ
これはだいぶ詩的なほうで、もっと直截的に、男性器や女性器、性行為などを歌い込んだものも多くあります。
「ええじゃないか」は政治的なものではありませんでした。本書はハレとケを使って説明していますが、日常で蓄積されたフラストレーションを解放するようなものだったのです。したがって政治的なメッセージではなく、日常生活に根ざした歌が多く歌われることになりました。学生運動よりは、むしろ毎年物議をかもすハロウィンの騒動に近いものだったと言えばわかりやすいかもしれません。
民衆運動とはなにか。明確な定義を下せないほど多様性をもつところにまず特色があるともいえるが、それには大きく分けて狭義のそれと、広義のそれとが認められる。狭義の民衆運動には中世の土一揆、近世の百姓一揆、打毀し、近代の米騒動などを、そこに含ませることができよう。それらは運動の目的が年貢減免、徳政令の発布というように明らかであり、そのための組織がみられ、指導者が存在する。(略)
これに対し広義の民衆運動としては、古代の志多羅神や本書で扱っている「ええじゃないか」や、それの一つの前提ともなった「おかげ参り」などをあげることができる。これらは、運動自体の目的は狭義のそれに比べて明示されていない。また運動の形態も呪術、宗教、踊りなどの民衆の生活に密着した外被をまとうことが多い。
古くて新しい本
本書は、1973年に新人物往来社から出版された書籍の文庫版であり、長く版が絶えていたものを復刻したものです。著者の西垣晴次先生もすでに他界されています。
本書は希代の労作です。資料は各地に分散し、郷土史など、ふつうかえりみられないようなところに埋もれています。それらをひとつひとつ拾いあげ、全体を把握しようとしています。2次資料(資料をもとに誰かがまとめたもの)も少ないですから、地道なフィールドワークがどうしても必要になります。うわーものすごくめんどくさいことやってんなーと、感心(感動)する瞬間も幾度となくありました。
だからこそ、本書独自の視点も生まれ得たといってもいいでしょう。「ええじゃないか」は幕末の一時期に突発的にあらわれたのではありません。むしろ日本の「民衆運動の系譜」に位置づけられるものなのです。
こういう本がすぐに手が届く場所にあるということはたいへん有意義な、幸福なことです。復刻を企画された方はまさに英断をなさったと思います。
これは今だからこそ読まれるべき本です。
東京オリンピック2020開催前、世論調査は五輪開催を望まないという意見が過半に達していることを示していました。国民の半分以上が開催を望んではいなかったのです。しかし、オリンピックは開かれ、アスリートが世界中から日本にやってくることになりました。
マスコミの報道を信じるならば、オリンピック開催前に下落していた内閣支持率も、大会に接すれば上昇すると考えられていたようです。
馬鹿にしてんなーと思いました。お祭り騒ぎ見りゃ意見も変わるってことかよ。軽く見られたもんだぜ。
こういうとき、人々がとるべき平和的な手法は選挙以外にありません。しかし、それがままならないとき、われわれはどんな行動をとればいいのでしょうか。
「ええじゃないか」が起こったとき――幕末は、血なまぐさい事件が頻発していました。桜田門外の変のような要人暗殺テロがあり、幕府と長州が戦争をするという以前では考えられないような内乱が起こりました。天皇の在所である京都には「人斬り」と呼ばれる殺人者が横行していました。
「ええじゃないか」は幕藩体制の崩壊をもくろむ勢力の陰謀によってひきおこされた説がありますが、民衆がその気になっていないところで扇動したところでうまくいくはずはありません。むしろ扇動者は、人々の気運の高まりに呼応する形で導いたと考えるべきでしょう。
本書は、「ええじゃないか」には強い「世直り」願望(能動的な「世直し」ではない)があったことをあきらかにしています。また、「世直り」への希求は断じて幕末のみに見られるものではなく、『古事記』『日本書紀』などの古い記録にも見られる普遍的なものであることも述べています。
「世直り」を求め、人々はまさに「狂乱的」な民衆運動を展開したのです。日本人とはそのような人種である。そう断じてもいいと思います。
民衆が自らたちあがって自分の手で要求を得ようとした百姓一揆にこそ、世直しが意識されるのである。御祓の降下を契機に展開する無銭飲食やハレの日の状態の持続は、民衆が自ら意識してうみだした世直しではなく、それは民衆とは離れたところからもたらされた他動的な世直りであった。民衆の生活は、彼らの努力だけではなんともしがたい壁に当面していた、前年のあの江戸時代最大の高まりをみせた百姓一揆・打ちこわしをもってしても、状況は変化しなかったからこそ、彼らは彼ら以外の力による世直りの到来をまち望んでいたのである。
さらに、西垣先生は以下のような歌が歌われたことを語りつつ、述べています。
西から蝶々が飛んで来て 神戸の浜に金撤いて エイジャナイカ エイジャナイカ
(中略)民衆の不安は、地下水のように人々の生活の奥深く秘められていた民俗文化に根づく伝統的な感情や意識を、表面にもちだすことになる。
- 電子あり
江戸や大坂など大都市の市中で、あるいは木曽街道の宿場町や四国の農村で、「エエジャイカ、エエジャナイカ」と歌い踊る人々。このお祭り騒ぎは、幕末の日本を観察したイギリスの外交官、アーネスト・サトウの回顧録に記され、島崎藤村の『夜明け前』にも描写される。
徳川時代の末期、慶応3年(1868)夏頃から翌年にかけて、日本の多くの地域で引き起こされたこの熱狂は、いったい何だったのか。日本史上でもあまり類例のない、この不思議な現象の全貌を、各地の史料を掘り起こして明らかにした労作。
さらに、中世の神社史、特に伊勢神宮史に業績のある著者は、この「ええじゃないか」という事象を、古代の常世神や志多羅神信仰から、「永長の大田楽」、近世の伊勢踊りへと至る民衆運動の系譜の中に位置づけ、また、近世の伊勢信仰と「おかげ参り」の大流行、そして幕末の「世直し」との関連のなかで考察する。〔原本:『ええじゃないか――民衆運動の系譜』新人物往来社、1973年刊〕
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/
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