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日本人の朝鮮観はどう形成されたか──17世紀“もう一つの竹島”で何が?
(著:池内敏)
幕末期、長州の志士たちのあいだに、竹島開墾論なるものがあったそうだ。たとえば、吉田松陰は安政5年2月19日の桂小五郎あて書簡で、こう書いている。 「朝鮮・満州に臨まんとならば竹島は第一の足溜なり」
富国強兵策の延長線上に、竹島の開墾を構想したのである。 しかし、同年7月、桂小五郎、村田蔵六の連名で老中・久世広周あてに提出された「竹島開拓建言書草案」は、建白者が藩主ではないとして返却され、日の目を見なかった。
ところが、この議論は、明治になっても蒸し返されたという。そして、維新後の中央政府によって、否定された。外務官僚が調べた結果、竹島は「古来、我が版図外の地」であることが、明らかだったからである。 どういうことだろうか。
それを理解するには、17世紀まで歴史をさかのぼらなくてはならない。本書第三章で語られる「元禄竹島一件」である。
ちなみに、ここに言う「竹島」は、現在、わが国と韓国との間でその領有をめぐって問題になっている竹島ではない。現在の鬱陵島である。(鬱陵島は、たとえば1902年の時点では朝鮮人定住人口が3000人を超え、同じく日本人定住人口が548人を数える規模の島であり、現在の竹島は、その東南東約90キロに位置し、1849年に「発見」したフランスの捕鯨船が「リアンコート・ロック」と名づけた小さな島である)
ざっと記せば、15世紀以来、鬱陵島は朝鮮政府によって渡航・居住を禁じられていたため、無人島となっていた。この物産豊かな無人島「竹島」を発見したのが、17世紀の鳥取藩の町人・大谷甚吉であった。大谷が竹島渡海を江戸幕府に申し出、免許を得たのが1625年のことである。
ところが元禄5年(1692年)、竹島に出漁した大谷家等は、多くの朝鮮人漁民と出会い、まったく漁にならなかった。ここから、幕府の命をうけた対馬藩と、朝鮮政府との交渉が始まる。その曲折に富んだ叙述は、歴史史料という「事実」に裏打ちされて、じつに読み応えがある。
最終的に、老中・阿部正武は、「今回のことは、こちらからあえて問題としないほうがよい」との断を下す。阿部のこのような発言が紹介されている。 「日本と朝鮮の両国関係がもつれてしまい、ねじれた関係が解けずに凝り固まって、これまで継続してきた友好関係が断絶するのも良くなかろう」
現代の世界中の為政者に聞かせてあげたいような、立派な言葉だ。
とはいえ、この阿部の言葉で一件落着となるほど、歴史は単純ではない。近代になっても、問題は問題でありつづけた。それは、鬱陵島だけのことではない。現在の竹島は、いわば鬱陵島とセットで利用されるところに、歴史的特性があった。すなわち、現在のいわゆる「竹島問題」も無関係ではないのだ。
その議論の細部については、本書を読んでいただくしかない。乱暴な要約は慎むべきだろう。
いずれにせよ、歴史学の方法論によって、史料を正確に読解する、という態度で問題にむかうのが、本書の一貫した方法だということがわかる。
あつかう問題は、「竹島」だけではない。 江戸期の朝鮮通信使や、お互いの漂流民の問題、あるいは、近代の関係に至るまで、さまざまなテーマをオムニバス的に構成している。
「一六世紀末から二〇世紀初頭にかけての時期を対象として、日本人の朝鮮観がどのように現れ、推移してきたかを叙述しようと思う」
と、著者は「はしがき」に書いているが、その試みは、各章がいずれもスリリングに展開するだけに、成功しているといっていいだろう。
近代に入ってからの章からひとつあげよう。細井肇という「朝鮮ウオッチャーの草分け的存在」を論じた章がある。高崎宗司の「日本人の朝鮮蔑視を象徴的に体現しているという点でも重要な人物」という評をも紹介しながら、その言説に分け入っていく。ここでも、雑駁な要約は慎む。ぜひ、本書の叙述を追っていただきたいが、細井の講演を紹介する中に、こんな箇所がある。
関東大震災後、「朝鮮人を引渡せ」と迫る自警団員に対して、ある老婆がこう応えたという。 「私のお世話している朝鮮の方々は皆立派な人々である。(略)もし、どうあっても私の申す事を御信用にならず、直接にいろいろの事をなさろうと仰有るのならば、先ず私を殺してからになさらなければなりません」
あつかう問題は、いずれも簡単ではない。だからこそ、歴史学の方法こそが有効なはずだという態度は、たしかに、「日本人の朝鮮観」というテーマにふさわしい。 そんな中で、老中・阿部正武の言葉や、この老婆の言葉に出会う。 著者の標榜する歴史学が、ただの学問ではなく、人間の学問たり得ている証左だろうか。
- 電子あり
「元禄竹島一件」とは何か? 歴史学が明らかにする問題の核心!
秀吉の朝鮮出兵から近代まで、日本と朝鮮の交流と衝突。「元禄竹島一件」とよばれる江戸期の事件はどのように近代にまで影響を与えたか。朝鮮通信使と漂流民など、鎖国と日朝関係、そして近代の植民地時代まで。日本人の朝鮮観と日朝関係を、歴史学の成果を駆使して描く。
レビュアー
1955年生まれ。フリーライター。
長年、野球取材を続ける一方で、哲学・思想の動向にも目配りを欠かさない。現在の関心事は、横浜DeNAラミレス監督、中村奨成(広陵高)。哲学では、ソクラテス以前の哲学者たちに注目。「日本歌謡論」にもとりくんでいる。
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