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生物学のジャンルでは異例のヒットとなった前作『生物はなぜ死ぬのか』に続き、死への過程でもある「老い」の正体に迫った『なぜヒトだけが老いるのか』が刊行される。著者の小林武彦氏と担当編集の家田有美子が生物学的見地から、知られざる「老い」の真実を解き明かす。
「老い」は単なる「死」への過程ではない
家田 前作『生物はなぜ死ぬのか』では、「生物は死ぬことでのみ進化していく」というメッセージが大きな反響を呼びました。
小林 「死」にもポジティブな意味があるということを多くの方に分かっていただけて良かったです。
家田 「死ななければならない」理由を進化の観点から説明されているところが新鮮でした。一方、高齢の読者の方々から「じゃあ、我々はもう死んでもいいか」というお声が届いたのは予想外のことで、それが本書を書かれる動機になったのですよね。
小林 「死」に意味があるように、「老い」にも意味がある。単なる「死」への過程ではないんだ、ということを伝えて、シニアの方を励ましたいという思いがありました。
家田 ましてや社会のお荷物なんかではないと。生物学の視点から、「老い」も前向きに捉えられる本ができないかとご相談しました。
小林 実は、年老いた人たちの存在が社会にとって大変重要だということは、生物学的に進化を考えるとはっきりと見えてくるんです。
家田 社会学だけの話ではないんですね。
ヒト以外の生物にはほぼ「老い」はない
『なぜヒトだけが老いるのか』著者、小林武彦氏
小林 ヒト以外の生物には、ほぼ「老い」はありません。「老い」イコール「死」ですから。みんなピンピンコロリで死んでいく。つまり「老い」こそがヒトをヒトたらしめているんです。
家田 この話を最初に伺ったときは驚きました。
小林 「老い」というのはヒトが進化していく過程で出てきた現象です。進化は遺伝情報の「変化」と、環境に「選択」された結果だと前著でも書きました。太古の昔、生理学的に「老い」に耐えられるヒトが環境から選ばれ、生き延びてきたわけです。
野生動物は老いては生きていけません。もちろん、現代のペットは別です。飼い主が病院に連れて行って人間並みの医療を受けさせますから(笑)。
家田 いつ頃から「老いた」ヒトはいたんですか?
小林 数万年前の化石には、高齢者の骨と思われるものが見つかっています。肉体的に長生きする潜在能力は、現代のヒトとそんなに変わらなかったようです。当時の平均寿命はおそらく10代くらいと思われますが、それは栄養面や疫病等の環境条件による乳幼児の死亡率が高かったからです。
家田 ということは、数万年前のヒトと同じ遺伝子をもつヒトが現代に現れたとしたら?
小林 普通に80代まで生きる可能性は充分あります。
家田 そもそも「老い」とは生物学的にはどういう現象なんですか?
小林 基本的には死に至る過程なのですが、より生物学的に言えば、細胞の遺伝情報が壊れていく、つまりDNAに傷が蓄積されている状態です。これは赤ちゃんのときから起こっていることですが、それが多量になり細胞の機能にも影響し、個体レベルで体の調子が悪くなってくると、人は「老い」を意識するようになります。
家田 どれくらいから「老い」の領域に入るのでしょうか。
小林 個人差も大きく、いまのところ数値化はまだできていないのですが、DNAの傷の量、ダメージの深さが「老い」の程度ということになります。ちなみに、この傷がガンを引き起こし、大きな死因になっているわけです。
一般的に55歳くらいからヒトにガンが急増するので、これくらいからが「老い」と言えるかもしれません。ちなみに、ヒトと約99%同じ遺伝子をもつチンパンジーはその前に死んでしまうので、ガンで死ぬ例は極めて稀です。
社会性の生き物ゆえに「老い」が有利だった
『なぜヒトだけが老いるのか』著者の小林武彦氏、右)担当編集者の家田
家田 進化に「死」が必要だったように、ヒトの「老い」は種の存続に有利だったということですが、それはいつの時代からの話ですか。
小林 高齢者が存在していた数万年前には〝シニア〞は社会=集団にとって重要な存在だったと思われます。逆に言えば、立派なシニアが数多く存在した集団こそが生き残ってきたと言えます。
シニアの大きな役割の一つは「子育ての手伝いや教育」です。生殖年齢を超えたシニア世代が子育てを手伝うことで、若い世代はより多くの子どもを産み育てることができます。これはヒト以外の動物には見られない行動です。
家田 「おばあちゃん仮説」と言われるものですね。
小林 はい。そして、より大きな集団は生存競争で有利になり、環境からより「選択」されやすくなります。さらに重要なのは、シニアの「リーダー」としての資質です。太古の世界においては、豊富な経験、知見をもつリーダーの存在に集団の存続がかかっていました。そこでおじいちゃんの登場です(笑)。長い人生経験をもつシニアがリーダーとして活躍することが集団として有利だったのです。もちろん子育てもリーダーも、性別関係なく男女ともに役割を担っていたはずですが。
家田 おじいちゃん、おばあちゃんが種の繁栄を支えてきた、と。
小林 シニアのこれらの役割は、実は現代においても重要だと思うんです。「もう歳だから……」などと尻込みせず、豊富な経験を活かして下の世代をリードし、サポートしていっていただきたい。
家田 本書では老後に「ご褒美のような幸せな時間」が訪れるとも仰っていますね。
小林 これまで「老い」を生物学的にポジティブに語ってきましたが、現実的にはいいことばかりではないですよね。病気の心配、生活の不安、そして何よりも死がだんだん迫ってくる恐怖心があると思います。でも、80代半ばを過ぎるといろんなことが変わってきて、死への恐怖も減ってくると言われています。近年提唱されるようになった「老年的超越」という概念ですね。そこまでいくと、いろんな不安や恐怖も薄れていって、幸福感に満たされるようです。
家田 私もどうせならそこまで生きてみたい(笑)。でもその前に、シニアとしての役割をしっかり果たせるか、まったく自信がありませんが(笑)。
撮影:林 桂多/講談社写真部
神奈川県出身。九州大学大学院修了(理学博士)。基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授。日本遺伝学会会長、生物科学学会連合代表を歴任。生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波ジュニア新書)、『DNAの98%は謎』(講談社ブルーバックス)など。
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