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近代フランスが生んだ美食の権化、ブリヤ=サヴァラン。その名著を味わい尽くす!
(著:辻 静雄)
「本を読む」ってこういうことかも
ブリヤ=サヴァランとは森茉莉の楽しいエッセイ『貧乏サヴァラン』が初対面で、以後人生のあちこちでその名前を聞いている。しかも全部おいしい場面だ。ラム酒でひたひたになったスポンジにフルーツがあしらわれた帝国ホテルのサヴァラン(サバラン)だとか、フランス料理店でコースの最後に出てきたクラクラするおいしさのチーズの名前もサヴァランだった。
つまり、ブリヤ=サヴァラン本人や彼の著作よりも先に、彼の名を冠した強烈に美味な食べ物を知ってしまったものだから、ブリヤ=サヴァランのことをこれっぽっちも知らないまま謎の信頼感だけが長らく一人歩きしていた。
『ブリヤ=サヴァラン「美味礼賛」を読む』の「あとがき」は、こんな言葉から始まる。
名著で通っている本は、買い求めても読まないものだ。少なくとも読み通したりしないものである。
まったくもってその通りで、ブリヤ=サヴァランの名著『味覚の生理学(美味礼賛)』に興味はあったけれど(なにせお菓子のサヴァランもチーズのサヴァランもギョッとするほどおいしかったからだ)、なかなかチャレンジできずにいた。
そんな食いしん坊かつものぐさな私が、ブリヤ=サヴァランの『味覚の生理学』に触れるなら本書しかない。そう思った。著者は辻静雄先生。辻調理師専門学校の創設者だ。ブリヤ=サヴァランのおもしろさと同時に、辻先生の莫大な知識と魅力が存分に詰まった本でもある。本書のメインディッシュは、実は辻先生ご本人なのではという気すらする。
『味覚の生理学』のほんの1行に対して、先生は料理の知識と関連書籍、歴史的背景、そしてフランス語の解釈を無数に展開する。もう嵐のようだ。興味の枝葉がどこまでも伸びていくので楽しい。本を読むとはこういうことなのかもなあと圧倒される。
しかも語り口がとてもチャーミングで、そこもこの本のすてきなところだ。参考文献の『フランス--一八四八年から一九四五年まで』と辻先生との出合いが私は大好きだ。
私はフランス料理を研究するというか、つくっている人間ですから、フランス料理が商売なわけですけれども、あんまりフランス人がフランス料理を自慢するので鼻持ちならない目にあうことがある。そこでフランスの悪口を書いた本はないかといって、英国の本屋さんに頼んでおいた。これは英国人に探させるのがいちばんいいんです。なにしろそういう種類の本を全部集めて送ってくれって。そして届くたびに読んでいったんですね。そうしたら、この本が届きました。
ひとが「本を読みたい」と思うきっかけのシンプルさやおもしろさが表れている。どうして辻先生はこんなにたくさんのことをご存知なのだろうと仰天しながら本書を読むあいだ、ずーっとこのエピソードが頭のすみにあった。
辻先生の頭のなかをほんの少し覗かせてもらいながら、ブリヤ=サヴァランの世界に触れていきたい。
文章の力、フランス語のおもしろさ
ブリヤ=サヴァランの本が現在でも名著とされる理由を、辻先生は次のように紹介する。
ひとつには「ガストロノミー」という言葉を定着させるのに大いに力があったことがあげられるのではないでしょうか。とくに、この本のいちばん最初に出てくる「教授のアフォリスム」によるところが大きいでしょうね。これ以外のところは、あまり読んで面白くてしようがないという本でもないと、正直言って、そう思いました。
「ここは面白い」「ここはそうでもない」を軽快に語ってくれるのが本書の楽しいところだ。アフォリスムとは、辻先生によると「何かの理論といいますか、考え方を簡潔な言葉で示すもの」「いわゆる気の利いた言葉」とのこと。ブリヤ=サヴァランの有名なアフォリスムと、それに対する辻先生の鋭いツッコミについてはのちほど紹介したい。
おいしい料理を食べることはただの快楽だけではなくて、まじめな、いわば学問的な考察の対象になることだというようなことを発表するような人がいなかったか、少なかった、ということになると思います。ブリヤ=サヴァランはそれをやってしまった。
しかし、それだけじゃないはずです。(中略)あれだけ構成がバラバラなのに読ませてしまうのはやはり文章の力なんでしょうね。ブリヤ=サヴァランはフランス語の書き手としてなかなか大したものだったというふうに考えていいのではないかということです。もちろん、こうしたフランス語の感じを翻訳に期待するのは酷なことだと思います。
何を書いているかだけではなく、どのように書いているかが魅力なのだという。『味覚の生理学』では造語や言葉遊びがたくさん登場する。そこを理解しないと「はて?」と思うに違いない。この本では何度も「重箱の隅をつつくようですが」との断りを入れつつ、フランス語の表現と日本語訳との対応のむずかしさや考察が展開される。それがまた楽しいのなんのって。フランス語をまったく知らない私にもフランス語の美しさを見せてくれる。
ずいぶん大ぼら吹きな言葉ですね
ブリヤ=サヴァランを有名にしたアフォリスムの数々を、辻先生は遊び心たっぷりに紹介する。
四 どんなものを食べているか言ってみたまえ。
君がどんな人であるかを言いあててみせよう。
これは私も知っています。そんなことができるの?と思いつつも、心のどこかで「かっこいい!」ってちょっと思っちゃった。辻先生による解説はこちら。
これがいちばん人口に膾炙しているアフォリスムではないでしょうか。ずいぶん大ぼら吹きな言葉ですね。何を食べているか言ってもらったって絶対分かるはずがないので、普通は通用しないでしょう。
(中略)
なにやら含蓄がありそうで、その実、考えてみたら何もない。面白さを狙っただけでしょう。
一刀両断だ。でもそれだけでは終わらない。
ただし、社会層の違いが食べ物に現われるという場面はあると思います。(中略)
場合によったら、食べているもので判断して、広い意味でどの層に属する人かというのは分かるかもしれません。けれども、ブリヤ=サヴァランは ce que tu es' 君があるところのもの、人となり、と言っているわけでして、食べているものだけではここまでは分からないと思います。
さらに続く。実はこの解説の前に、辻先生は、当時の農民や特権階級がそれぞれ何を食べていたかを丁寧に説いている。当時の豚は農民の食べ物で、ブリヤ=サヴァランなど上流階級の人間は口にしなかったのだという。だからこの有名なアフォリスムは、こんなオチで締めくくられる。
豚肉が農民にとっては貴重なものであった一方で、ブリヤ=サヴァランがこれをほぼ完全に無視していると申しましたが、「私は豚肉を食べています。それで……」といったら、ブリヤ=サヴァランは人となりなど言ってくれるどころか、絶句して卒倒してしまうんじゃないでしょうか。
「おいしい」を表現するということ
読めば読むほど「ああ私一人じゃブリヤ=サヴァランを読み通すのは無理だったな」と思う。
見たことも聞いたこともない昔のフランス料理名を料理人である辻先生は考察しつつ、「ブリヤ=サヴァランという人は、やはりアマチュアにしかすぎなくて、料理そのものはあまり知らなかったのではないか」などと冷静に指摘するので痛快だ。
詩人のボードレールがブリヤ=サヴァランの本に盛大に噛みついたエピソードもよかった。ボードレール曰く「ブリヤ=サヴァランはワインのことを詳しく書いていないから馬鹿だ」とのことだが、辻先生は知識を総動員してブリヤ=サヴァランをフェアに擁護する。
やはり本書のメインディッシュは辻先生ご本人だと私は思う。ブリヤ=サヴァランの思想を追いつつ、辻先生も「おいしい」を思索しているからだ。とくに味に関する言及を読むとゾクッとする。
人間というのはその人が持って生まれた、あるいは生活してきた個人的な歴史の中でしか味を見分けることができない、いわば、味というのは、この言葉をつぶやく人の思い出そのもの、それ以外のものではないのだと私は思います。それも正常な状態といいますか、ヌートラルな、全く白紙の状態でものを味わうということは、まずできないのではないか。
さらに味を文章で表現することについても辻先生は鋭く指摘する。ブリヤ=サヴァランの著作は「味の表現」がとても少ないのだという。美食の権化の本なのに! その理由の本質は、辻先生のこの言葉から汲み取ることができる。ブリヤ=サヴァランが持つ文学性のヒントもここにあるように思える。
味について書いた文章は文章の味で勝負しているものであって、だれしも共通の感覚をもっていると錯覚しないかぎり読めるものではありません。それから、言葉を選べない人、言葉で表現できない人、それでも何か、よく舌で捉えている人は存在するということは認識しておかなくてはなりません。
それは、音楽や絵画、詩などについて、「わかる」という言葉をつかう場合、心しておかねばならないということです。「わかる」とは、その人が、そのように、その時に感じることに他ならないことです。(中略)食物や料理の味になると何が各人に与えられているのか、まったく想像することすらできないのですから、受けとめ方に関しての表現になると比較すること自体、無理があるのではないでしょうか。
たしかに私は目の前にいるごく親しい人に対してのみ「これおいしいよ」と心から言える。この世にグルメ情報は無数にあるけれど、それと私の「おいしい」は実はリンクしていない。あまりに個人的すぎるのだ。だから本気で表現しようとすると、とても難しい。辻先生の言うとおり無理があるよ。食いしん坊な気持ちひとつで読み始めたら、まさかこんな迷路が待っていたなんて。
考え始めると途方に暮れてしまうが、ブリヤ=サヴァランも挑んだであろうこの難題について、辻先生はこう書き添えている。しびれた。
それでも、感じたことを言葉で表したいという意欲こそ人間のもっている業(ごう)であると考えさせられます。
- 電子あり
18世紀フランスの政治家・法律家にして稀代の美食家であったサヴァランが著した『Physiologie du Gout(味覚の生理学)』は、「ガストロノミー」、食というものについての総合学の聖典として、世界中で現在まで読み継がれている。
とりわけ日本においては、『美味礼賛』という邦題と、「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」という警句とともによく知られるが、では実際にどのような事が書かれているのか、なぜこの本が、サヴァランという人物が、かくも偉大なものとされているのかについては、詳しく知る者は多くはないだろう。
日本の料理文化を大きく展開させた辻静雄が、食はもとより歴史・地理・美術・文学についての広汎な知見を総動員し、サヴァランの思考を辿り、料理の精髄を縦横無尽に語り尽くす!
【本書より】
「私は豚肉を食べています。それで……」と言ったら、ブリヤ=サヴァランは人となりなど言ってくれるどころか、絶句して卒倒してしまうんじゃないでしょうか。
【本書の内容】
第一講 ブリヤ=サヴァランと『味覚の生理学』
I ブリヤ=サヴァランはどういう人だったか
II 『味覚の生理学』初版その他
III 『味覚の生理学』の構成、その他
第二講 食べ物と新しい歴史学
I 『味覚の生理学』の背景も知っておきたい
II ブリヤ=サヴァランの対極にいた人たち
III パリの食糧、その他
第三講 「おいしさ」とその表現
I 「教授のアフォリスム」を読む
II ブリヤ=サヴァランが好んだ料理
III 「おいしい」という言葉/味の表現
第四講 ワイン事情
I ブリヤ=サヴァランとワインのことなど
II 一九世紀のワイン事情
第五講 ガストロノミーとガストロノームの系譜
I ガストロノミーとグルマンディーズ
II ガストロノームの系譜
あとがき
参考文献
※本書の原本は、1989年に岩波書店より『ブリア-サヴァラン「美味礼讃」を読む』として刊行されました。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。
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