「怪我」と「好き」が止まない
ひとさまが怪我をして「いいなあ」と思ってしまうだなんて、あまりに不道徳すぎてどうなのよと自分で自分にドン引きしつつも、『矢野くんの普通の日々』の怪我を見るたびに100回くらい「おだいじに!」をババッと唱えたのち、心のどこかがちょっとだけ「いいなあ」に傾く。や、ちょっとだけっていうか、かなり「いい」。
ね? なんとも言えない色気を感じませんか。血のぬめりと、それを拭うためにハンカチを取り出す仕草。黒髪の隙間から覗く眼帯。そして眼帯をしていない左目のゆっくりとした動き。この学ラン姿の若者が“矢野くん”です。彼は怪我をしまくるんです。
本作の数ある矢野くんの怪我の中でも私はこのページが特に好きで好きで、最も激しく「おだいじに」と「いい……」の狭間で心が乱れるんですよね。
うん、やっぱりいい。この大変いい矢野くんを綺麗な綺麗な目で見つめて赤面しているのが主人公の“吉田清子”です。清子は矢野くんのことが好き。
繰り返される矢野くんの負傷と、それを心配する清子の恋心を紹介しつつ、なんでそんなに矢野くんの怪我が魅力的なのかを考えてみます。
奇跡みたいなドジっ子
清子は大変面倒見のいい「ザ・長女!」な女の子。その面倒見のよさゆえに高校でも自然とクラス委員長をやってしまうくらいの人物です。
矢野くんとは高校2年生で初めて同じクラスになりました。矢野くん初登場の瞬間がこちら。
これ以上ないくらいの怪我人ですね。
清子もストレートに「怪我人だ」と思っています。
そんな矢野くんの下のお名前は“剛”。「よわし?」なんて言われちゃう。で、矢野くんは来る日も来る日も傷だらけで、清子はその姿を目撃し続けるうちに、持ち前の心配性と面倒見のよさとが爆発するわけです。まあ、ただごとじゃないぞと思いますよね。私も心配でした。矢野くん、どうしたの? と。
ついに清子は親友とともに矢野くんの後をつけて怪我の真相を突き止めることに。
矢野くんは何事もなくテクテクと歩いています。
すこしだけ油断した清子は親友のセーラー服のスカーフをちょっと直してあげることに。ここでも清子の面倒見の良さと几帳面な性格が表れてますよね。そして! スカーフを結び直すわずか数秒間のうちに「それ」は起こるのです。
何もないところでつまづき、立ち上がった拍子に木の枝に頭を強打。校外に出て十数歩目の出来事でした。その後も続々とプチ災難が続きます。
つまり、矢野くんはドジっ子だったのです。
ここで矢野くんのことを「呪われてる」と言わないのが、このマンガの優しいところだなと思います。
誰かに暴力を受けているのではと心配していた清子はひとまず安堵します。でも今度は矢野くんのミラクルが止まらないことが心配の種に。
私に手当をさせてくれませんか
心配が心配を呼ぶ清子の思考回路と、息をするように怪我を繰り返す矢野くん。人と人の組み合わせとしてこれ以上ないくらい相性いいんですよね。清子は他のクラスメイトのように「ドジだな……」「かわいそうだな」とドン引きするのではなく、手当を申し出ます。
ちなみに清子が抱えている救急セットは矢野くんと出会う前から常に持ち歩いていたもの。ひたすら手当キャラ。で、その手当てキャラな清子に矢野くんは1000%の笑顔で「ありがとう、優しいんだね」って言うんです。
癒やされる……。この矢野くんの笑顔を見るたびに「ああ、そっかあ」と私は優しい気持ちになります。
もちろん、怪我は矢野くんにとって良いことではないし、困ったこと。できることなら安全に生きていきたいと誰よりも本人が強く願っています。でもドジでドジでしょうがない。そんな持って生まれた体質を呪うのではなく「困っちゃったなあ」って普通のこととして日々やりすごすのって、なかなかできないことだと思います。矢野くんすごい。
ここで『矢野くんの普通の日々』ってタイトルがきれいに胸の中へ収まるんです。他の人から見たら全然普通じゃないかもしれないけれど、矢野くんには普通のことで、清子はそれを手当することが普通のことなんですよね。というか「かわいそう」って言う前に手を差し伸べるのっていいなあ。
ということで、心配とときめきにブンブン振り回されっぱなしの清子を応援しつつ矢野くんを見守りましょう。登場人物がちょいちょい流血してるのにほんわかする稀有なマンガです。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。