この人が生きていたら、日本の歴史は違っただろうと思う人物の1人に坂本竜馬がいます。
薩長同盟の立役者で、海援隊の結成など進歩的な考えを持ち、日本の国益となったであろう竜馬を殺した男は、とんでもない大バカ者だと思っていたので、そんな男の名前など覚える気すらありませんでした。
その竜馬暗殺の実行犯だといわれている男こそが、『幕末イグニッション』の主役、佐々木只三郎なのです。
只三郎は、会津松平家の家臣で佐々木家の三男。「悪所通いに喧嘩三昧、番所の世話になること数多……、兄の援(たす)けがなければ武士としての体面も保てぬ男」。唯一の取り柄は、「小太刀日本一」という剣の使い手であること。
ある日、つまらないことで牢屋に入れられた只三郎は、そこで日本一の兵学者であり蘭学者でもある佐久間象山(しょうざん)と出会います。象山は、国がひっくりかえるほどの金の話があるから、いつか私を訪ねて来なさいと言います。
出所後、見知らぬ男たちに襲われかけた只三郎が、象山のもとを訪ねると、いきなりお金の話をされ、1人の人物に会わされるのですが……。
憎しみと憂いをたたえた娘の絵の迫力に、思わず私も息を飲みました。
「白菊(しらぎく)」という名のこの娘は、360万両を積んだまま沈没した仏蘭西(フランス)船の唯一の生き残りで、船が沈んだ場所を知っているというのです。
実はこの大金、露西亜(ロシア)の侵略を警戒する幕府が、仏蘭西からの保護を受けるため、蝦夷地を割譲する代わりに受け取るお金でした。
えっ、大政奉還が行われなかったら、北海道はロシアに取られてたの? そう言えば徳川慶喜が、日本の領土の一部をあけ渡す密約を交わしたという話もあったなぁ。でもそれって、蝦夷地だったっけ? と思った私。悲しいことに私の歴史の知識はその程度。
早速、調べてみると、密約に上がった割譲地は薩摩や琉球など日本の南の領土、そして幕府軍を支援したのはフランスで、薩長に付いたのはイギリスでした。
確かに歴史の授業はこれがセオリーですが、当然、ロシアからの脅威もあったはずで、違う側面を見せられたような気がしました。
『幕末イグニッション』は、こうしたフィクションとノンフィクションが絶妙で、とても想像をかきたてられます。
登場人物もそうです。こんな胡散臭い話に、只三郎はよく乗ったなと思うのですが、象山先生の論じる言葉には妙な説得力があるのです。
佐久間象山は、吉田松陰、勝海舟、坂本竜馬、橋本左内など様々な人たちに影響を与えた偉人です。もちろん私は、今回初めて知ったのですが……。
でも、そういう背景を知ると象山の「攘夷と称して人に不和をまき散らし、義憤と称して人を斬り捨てるような輩を愛国の徒とは呼ばん」とか、「己の感情すら御せぬものに語る言葉はないわ」というセリフが、素直に響きます。
その象山に乗せられた!と言いつつも、白菊を連れて沈没船探しの旅に出た只三郎は、道中、色々な人物に襲われます。
しかし、「小太刀日本一」という名の通り、小気味いいくらいに次々と敵を倒し、白菊を守り抜く只三郎。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで以来、すっかり竜馬ファンとなり、竜馬を殺した男を嫌っていた私ですが、ここに出てくる佐々木只三郎は、とても人間くさく、ちょっとお茶目で親しみすら感じます。
きっと只三郎は、己の信じる道を貫いただけのことだったのだろうとすら思ってしまいました。
「イグニッション」とは、点火あるいは点火装置という意味。只三郎や象山に限らず、尊王攘夷に関わった誰もが、「イグニッション」なのだと改めて感じました。
それにしても気になるのは、冒頭に出てくる13年後のシーン。
坂本竜馬と中岡慎太郎がいる近江屋に、ただ1人乗り込んだ只三郎。いきなり竜馬暗殺か!? と思ったら、竜馬は「じゃちょっくらま行きますか、佐々木のダンナ」と親しげに言うのです。
この真相がわかるのは、まだまだずっと先でしょうが、楽しみにしたいと思います。
レビュアー
「関口宏の東京フレンドパーク2」「王様のブランチ」など、バラエティ、ドキュメンタリー、情報番組など多数の番組に放送作家として携わり、ライターとしても雑誌等に執筆。今までにインタビューした有名人は1500人以上。また、京都造形芸術大学非常勤講師として「脚本制作」「ストーリー制作」を担当。東京都千代田区、豊島区、埼玉県志木市主催「小説講座」「コラム講座」講師。雑誌『公募ガイド』「超初心者向け小説講座」(通信教育)講師。現在も、九段生涯学習館で小説サークルを主宰。
公式HPはこちら⇒www.jplanet.jp