原作は、時代小説の巨匠・池波正太郎による『殺しの掟』。描くのは、代表作『へうげもの』をはじめ、力強く大胆な作風が魅力の山田芳裕氏。そして、主人公は“殺しを仕掛ける元締め”。
ここまで聞いたら、「そりゃ、面白くないわけがない!」と、自ずと期待は高まるもの。池波作品と聞いて、アクションいっぱいの人情活劇を想像する人もいるかもしれない。しかし、この作品はそれとは全く違い、静謐(せいひつ)な空気の中、滋味深く描かれた人間模様が見所になっている。
主人公は、音羽の半右衛門。表の顔は料理茶屋の主人だが、裏の顔は香具師の元締めであり、金をもらって殺しを引き受ける“仕掛け人の元締め”だ。彼が仕掛けるそれぞれの殺しを軸に、物語はオムニバス形式で進む。
第1話「顔」は、手駒の1人である剣術の達人・木村に、半右衛門が殺しを依頼するシーンから始まる。
妻子を得てつつましやかな日々を送る木村は、今の暮らしを手放したくないと苦悩するが、そんな中、偶然にも殺しのターゲットに出会ってしまう。殺し屋には冷徹なイメージがあるものだが、眠る子供に頬ずりしたり、ターゲットの人柄に触れたことで殺しへの葛藤を見せる木村の姿は、それとは程遠い。
派手派手しいアクションはなく、あくまで静かな空気の中で物語は進んで行くが、「殺し屋のこの男も人間であり、ターゲットの男もまた、人間なのである」ということが浮き彫りになり、読み手をどんどん引き込んでいく。
殺すべきか、殺さざるべきかと思い悩み続ける木村。だが、半右衛門は「ひとつ、お早く」と、淡々と仕事を迫る。その顔には凄絶なまでの迫力がにじんでおり、随所に描かれる登場人物たちの表情ひとつで、各々の心情や緊迫した状況がひしひしと伝わってくるのだ。
そう、この作品の凄さは、「顔」なのだ。
多くを語らずとも、彼らの内面に隠された人間らしさが伝わり、派手なアクションがなくても、緊張感を途切らせずに物語を読み進めていける。
それは一体なぜなのかといえば、登場人物たちの「顔」がすべてを物語っているからなのだ!
小説のコミカライズは難しいもので、登場人物の背景や心情を伝えるために説明調のセリフが続いたり、逆に、あらすじを追うだけで細かな心理描写ができていないケースもある。
しかし、本作は、過不足のない非常にシンプルな表現で、池波作品に漂う静と動の空気を見事に描き切っている。山田氏独特の豊かな表現力があってこそのものだろう。
もちろん、「顔」だけでなく、殺しの瞬間を描く大胆な構図も素晴らしい。普通なら、アクションシーンには派手な擬音が必須と言えるが、山田氏にはそんなものは必要ない。
音のない世界で描かれるその一瞬は、まるで映画のワンシーンのように深い余韻を残すのだ。
また、オムニバスで3作を展開するこの物語、読み進むにつれ、主人公・半右衛門の様々な「顔」を知ることができる。
裏社会に生きていても筋を通し、理不尽な殺しは請け負わない半右衛門。
過去を消そうと手を切りたがる手駒には「今はいかに繁盛なすっているからとはいえ、昔のことをお忘れになっちゃあいけませんよ」と説き、なかったことにはさせはしない。嘘をついて殺しを依頼する卑怯な輩がいれば、きっちりとその目で見定め、「二度とこんな真似はしねぇことだ」と見栄(みえ)を切る!
そんなハードボイルドな半右衛門だが、大女の女房・おくらには子供のように甘え、抱いてもらって移動する。なんとも可愛らしい姿も描くことで、殺しの元締めにも人間としての多様な側面があることが垣間見えるのだ。
そういえば、山田氏の前作『へうげもの』にも柳英子という大女が登場しており、また、過去には『いよっおみっちゃん』でも気っ風(きっぷ)のいい大女の主人公を描いていた。毎話、ほんの少しだけ登場するおくらのシーンには、ファンにとって、ちょっぴり山田イズムを感じられる楽しさもあるかもしれない。
レビュアー
貸本屋店主。都内某所で50年以上続く会員制貸本屋の3代目店主。毎月50~70冊の新刊漫画を読み続けている。趣味に偏りあり。
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