「大人」のチャンネル
「子供にはまだ早いわ」と大人から言われるとイラついた。でも、もしかしたら「興を削ぐことがないように」という彼らなりの配慮があったのかもしれない。どんな内容であれ「ネタバレ」はよろしくない。
なのに、こんなふうに大人がポロリする雑さから「大人のロクでもなさ」を少しだけ嗅(か)ぎ取ったことはありませんか。だからイラついたんですよ。とはいえ「あとになってわかること」は、幸か不幸か、本人が痛感するその日まで絶対に全身をあらわさない。
たとえば、9歳の私は『E.T.』や『ローマの休日』の別れのシーンにまったく納得ゆかず激怒した。今はあの切なさがわかる。流す涙の質も量も変わった。ビールの美味しさもわかる。そして私にはまだ60歳の気持ちはわからない。
こんなふうに「わかる」チャンネルが増えたり、自分にはないチャンネルを意識したり、チャンネルがオン・オフされてゆくことが「大人になる」なのだろうか。 こうやって自分のなかのチャンネルを考えるとき、子供の頃に慣れ親しんだコンテンツ=むかし話は、良い指標になる。
ということで、今回ご紹介する『むか~しむかしの 子供に読ませなくてもいいお話集』の話をします。もうね、サイテーでロクでもない話ばっかりなんですけど、「大人って……」と思わず手のひらを見つめてしまうような瞬間が多々。
や、わかるけどさ、身もふたもない……。大人はこんなこと表じゃ口に出しませんよっ。わかるけど……!
変わっちまったのは、環境か、自分か
本作は、誰でも知っている昔話と童話を、酸(す)いも甘いも噛(か)み分けすぎてガタガタになった大人向けに大人目線で大人がアップデートしたコミックだ。読んでいて歯が痛くなる。全編やるせなく、気だるく、時に生臭く、ナンセンス。
やめろー! ……でも読んじゃう。大人的リミックスだと北風さんは以下のようになる。
“北風のシンヤ”です。ドツボの予感……。対する太陽さんは以下のように描かれる。
うーん! 実際に本作の北風や太陽と出会った場合、大人はある程度幸せになれちゃうし、大変な思いもするし、なんとも言えない渋い気持ちになる。
このメガネのおばさん(不幸な物語撲滅の会という最高にロクでもない組織の会員)のクソみたいな忠告を私は少し笑えない。「あちらには立場ってものがあるの」!
こちらは「原作」よりも好きだ。出だしのパンチからラストまで隙なし。
引用したコマが何のお話をモチーフにしているかはお伝えしなかったが、懐かしいものばかりだったはずだ。身もふたもない言葉でアップデートされているが、原形が透けて見えると「あら?」となる。
こんな話じゃなかった。こんなはずじゃなかった。「ひでえ」と笑ってしまう。でもね! わかるんだわ……! そうやって、自分の中にいる「大人」が「子供」を思って渋い顔をする。こんなはずじゃなかった。エッジの効いた視点がモリモリ織り込まれている。だから気まずいし、おかしいし、コッソリ読んでしまう。
歯が痛い。ヘトヘトだ。でも「おとなになってよかった?」と子供に尋ねられたら、2秒くらい考えて「サイコーだね」と迷いなく答える。後ろめたいことは増える一方だが、こういうロクでもなさとやるせなさはクセになる。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。