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ただ住む世界が変わっただけ。ただ会えなくなっただけ。亡き彼女への思いを綴るエッセイ漫画
(著:荒井 瑞貴)
『大丈夫。世界は、まだ美しい。』は著者・荒井瑞貴さんと亡くなった彼女との思い出を紡いだノンフィクションのコミックです。 『モーニング』新人賞の第8回「THE GATE」大賞受賞作です。
心臓に持病がある彼女・まつきよ。その恋人であり漫画の著者・荒井。ふたりは同じ美術専門学校時代からの友人。卒業後もよく会うグループの仲間でした。まつきよと著者は平日に休みが取りやすい職業のため、社会人になってからふたりで遊ぶようになります。
だんだんと彼女に惹かれていき、告白をしてお付き合いを開始。晴れて恋人同士に。
ゆるやかに恋して、愛を育んでいく。他の恋人たちがするように、デートをし、ドライブをし、誕生日を祝い、結婚をゆるやかに夢見る。
いつものように、デートのために車で、まつきよを迎えにきた著者。家からなかなか出てこないまつきよを待ちながら、何度か連絡を入れるとまつきよの姉が電話に出ます。
「キヨコなくなったんです」
著者はこの電話で、自分の恋人がこの世界からいなくなったこと、死を知ります。
私の「悲しみの引き出し」を開く作品
まつきよは心臓に病気があり、小さな頃に心臓の大手術を受けていました。そのことは前から聞いており、たまに不整脈が起きるとも知っていました。普段から体調が優れないことはあったものの、少し休めば回復する症状だったようです。
心臓の不整脈による突然死でした。部屋で倒れていたところを、母に発見されたそうです。
お葬式ではまつきよ家族の計らいにより、恋人として喪主を務めたり、通夜を手伝ったりと、著者は別れに伴うことを淡々とこなしていきます。
実感のない突然の別れ。揺れる気持ちが、丁寧な時間軸の記憶で描かれていきます。著者が日記を付けているそうで、描写の正確さとゆるい絵のコントラストがものすごくリアルさを持ちます。
とても愛していた記憶。言えなかった言葉。楽しかったデート。彼女の描くかわいいイラスト。その日常がすべてとまって、たったひとりしかいない世界になった。著者の過去と現在が混ざった混沌とした描写が続きます。
大切な人を死で失ったことがない。
私はこの漫画を「わかる」とは言えません。映画や漫画、ゲームで死を扱うものは多いです。しかし、それはあくまでフィクション。この生きている世界から大切な人がいなくなるのは、フィクションとはまったく違う感覚でしょう。
変わることのない今日と明日。永遠に続くように錯覚する日々の暮らし。そこから、愛おしい人だけがいなくなった。返信のこない携帯のメッセージ。嬉しいことも悲しいことも、昨日はできた会話が今日はどこにもない。
一方通行の言葉や想いが、泡や雲のように時間の中へ消えていく。私にはその経験がなく、その悲しみがわからない。わからないから、とても重い。
この漫画の前半を読んでいるとき、苦しさを感じました。たとえば、少女漫画の失恋シーンや、大人の漫画の離婚シーンは自分にも経験があるので、想像するときのものさしがあります。たとえその物語の失恋や離婚とは違っても、私の中に残る痛みや悲しみで、共感まで気持ちを動かすことができます。しかし、私には死による恋人の別れ、もしくはそれに近い体験の経験がなく、この漫画の深い深い悲しみがわからないのです。
体中のありとあらゆる経験と記憶を組み合わせても、この漫画の中で起きる感情を汲み取ることが難しく、最初はすごく遠くから眺めているようにしか読めませんでした。漫画との距離感、著者との距離感、彼女との距離感が、言語化できなくて、もやもやと重くまとわりつくような感覚になります。感情を呼ぶための言葉がない。悲しみを汲み取る言葉がない。
シンプルでわかりやすい絵や言葉が続くのに、読み手の私が近づけないドライさがあり、喉の乾きのような感覚が、心の中にある悲しみの引き出しをどんどん開けていきます。
わからなくても、悲しみには寄り添える
たとえば。
友人がもし荒井さんだったら、彼になんと声をかけたら正解なのだろう。私が荒井さんだったらなんと声をかけてもらうのが正解なのだろう。揺らぐ彼の心が描かれたページで手が止まります。きっと私は何もできないのではないか。そう思うと、このページをどういう気持ちでめくれば良いのかわからなくなりました。
何度も何度も読み直して進んで止まって、戻ってもう一度読んで。漫画の中盤まで読み進むのに時間がかかりました。何度も何度も「荒井さん」と「まつきよさん」に向き合います。何度か読んでやっとわかってきたのは、この作品は向かうのではなく、寄り添って読む漫画なのではないか、ということです。
誰かの経験は私の経験ではない。けれど、想像が追いつかない誰かの記憶に寄り添うことで、小さなバトンをもらう。感情の「わからない」を受け入れ、「わからない」理由を知り、「わからない」けど悲しみには寄り添えるのだと感じます。
漫画の後半、著者が自分の中の彼女と共に生きていく話になります。「忘れないこと」「思い出すこと」が彼女との関係へ変わっていくと、日々が日常へ変化していきます。
「忘れないこと」「思い出すこと」これはいろいろなことに繋がるなと思いました。どんなに離れてしまっても、「忘れないこと」「思い出すこと」はいつでもできる。もしかすると、人だけではなく「大切だと思うもの」であれば、生きとし生けるものすべてに当てはまるのではないでしょうか。
傷や痛みはなくなるわけではない。それと同じく、楽しかったり幸せだったり愛した記憶もなくなることはない。著者が想いを昇華しながら受け入れていく姿に、勇気をもらいました。忘れないから自由がある。それは、残された者に託された尊い自由なのだと。
漫画の最後。
いなくなった人が
残された人に見せてくれる世界は
とても美しかった
この言葉がすべてなのだと思って読むと、心の中が真っ白に広がっていきました。誰かの心の中にある尊い大切な者は決して変わることなく、永遠になる。それはとても美しいことなのだと。
この漫画をやっと読めるようになって、最後のコマが私を軽くしてくれます。悲しみのわからなかった私さえも許された気がしました。
今、大切な人がいる人にぜひ読んでいただきたい漫画です。
ノンフィクションなので、そこには生きた人がちゃんといます。一度に受け入れて昇華するのは少し難しい漫画かもしれません。それでも、この漫画を描き切った著者の深い気持ちから、誰かを思うとき、今日という日がどれだけ大切か、たったひとつの言葉をきちんと照れずに伝え続けることの大切さを学びます。
家族と「おはよう」の挨拶からはじまる1日がある。暖かい布団で「おやすみ」と安心して眠る夜がある。その当たり前が尊く美しいものだと忘れそうになるとき、この漫画が気付かせてくれます。このたったひとつの言葉は当たり前ではないと。暮らしの中の挨拶は、自分以外の誰かがいて初めて成立していたと。
「当たり前」はとても美しい。当たり前が集まったものがこの世界なのだから。きっとこの世界はとても美しい。
- 電子あり
ある日突然、世を去った彼女への想いを切々とつづったエッセイ漫画。
モーニングが開催する新人賞「第8回 THE GATE」にて、審査員の三田紀房氏、古屋兎丸氏が絶賛し、大賞を受賞。その後、モーニング20号(4月18日)に掲載されて話題となった受賞作に描きおろし3話(34ページ)を追加した著者初の単行本作品。
レビュアー
AYANO USAMURA Illustrator / Art Director 1980年東京生まれ、北海道育ち。高校在学中にプロのイラストレーターとして活動を開始、17歳でフリーランスになる。万年筆で絵を描くのが得意。本が好き。
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