人間が人間を食べちゃう系のいわゆる「ゾンビもの」には、誰もがハハーンとなるお約束や様式美がある。 たとえば「噛まれたらゾンビになってしまう」や「ゾンビは結構バカ(交渉が無理=殺す1択)」や「脳を破壊しないと止まらない」など、小学生がイケイケで考えた鬼ごっこのルールのような基本原則に沿い、物語は進行する。
そして、こういったフォーマットが整っているのと同時に、存分にアレンジを効かせられるという豊かで懐の深いジャンルでもある。なので、舞台設定や人物描写、ストーリーテリングは様々だ。オーソドックスに決めることもできるし、トリッキーに攻めても、どのみち世界は「ゾンビもの」という名の「どんぶり」のなかで成立する。(このあたりはサンドイッチやラーメンのバリエーションの豊かさと似ているなと思う)
本作もそんな美しきゾンビフォーマットに沿ったコミックなのだが、「元気な妹と真面目な兄」を主人公に置くことで、どこか明るいロードムービーになっている。
……とはいえ、私はめっちゃ怖かったんですけども。
「肉喰い」という結構ダイレクトかつ嫌な感じの名前で呼ばれる「ゾンビ」たちには、ゾンビの基本原則プラス“「ぽ」が口癖”という謎設定が加えられている。これがもう凄まじく不気味で怖い。なんで「ぽ」なんだよ。「欅坂46ってなんで48じゃないの?」くらいの絶妙なフックだ。どこからともなく「ぽ、ぽ、ぽ……」と聞こえてきたら、それはゾンビの合図だよ? 歯ぁ食いしばれ?……というルールなわけで、登場人物プラス読者に大変わかりやすくプレッシャーをかけてくる良仕様でもある。
あと、ゾンビは実際に嗅いだら臭いのだろう。死んでいるし、お風呂入らなさそうだし。ここに出てくる肉喰いたちも絶対臭そうで、さわったら結構ベトベトしそうだ。そういう「あるべきゾンビ」としてのイヤーな描写もコッテリと続くので、これも怖い。
……と、がっつりゾンビものではあるけれども、絶望はしない。
前述したとおり主人公たちは、元気な妹“唯”と、真面目な兄“裕貴”で、彼らはまだ生存者だ。10年以上離れ離れの母親に会いたいと富山から東京へ向かっている。
「母親がどうなっているかはこの際置いておくとして、とにかく会いたい」というシンプルな動機だけ。しかも今のところ徒歩。大丈夫か!? 新幹線でもそこそこ時間がかかるのに。いろいろプリミティブだ。
現実でも地震などの大きな災害が身近で起こると、ショックと悲しさと怒りと不安で心は塞がり、空気も重く張り詰める。そして「人の行動ってバラバラで理解できない」というのと同じくらい「いざとなるとプリミティブな方向に足場が移るものだな」と思い知る。つべこべ言わず、自分もとりあえず動かないことには、となる。
唯と祐貴も、そういうプリミティブな感情全開でゾンビの群れを進むわけだが、悲壮感はまったくない。唯の「この子正気かな?」と心配になるくらいの明るさと行動力、祐貴の冷静さ(この冷静さのおかげで大勢のゾンビが続々と頭をかち割られてゆく)、祐貴が寝る前に母宛に書く日誌での「僕たちは元気です」という言葉で、だいぶ私は救われるというか、絶望せずに先を待つことができる。元気でいてくれー!と。
最後に、ゾンビフォーマットで書き忘れた大切な要素がもうひとつ。「生きてる人間はだいたいヤバい」だ。「なんでだよ?」と憤るくらい、ゾンビものにおける地雷率ははんぱない。
でもしかたない。人の行動はバラバラで、いざとなると個々人のプリミティブな声にしたがって動くのだ。善悪を問わず、荒々しい行動力と知恵のある人間がサバイブするようにできている。あまり信用してはいけない。
いや、善い人もいるはずなのだけども……。いてほしい。だってこんなにひたむきな兄妹が2人きりで様式美あふれるゾンビの海を元気に駆け抜けるのだから。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。