カイジのスピンオフシリーズの勢いが止まらない……!
「このマンガがすごい!2017、オトコ編 (宝島社) 」の堂々1位を勝ち取った『中間管理録トネガワ』に続く『1日外出録 ハンチョウ』も、カイジのようにヒリつくようなギリギリの生活を送っているギャンブラーよりも?普段真面目に暮らしているサラリーマンの琴線に触れること請け合いの問題作だ。
カイジが非日常を描いているとしたら、スピンオフシリーズは日常系……。帝愛グループ幹部の利根川幸雄が主役の『トネガワ』が中間管理職の悲哀を描いたものだとしたら、地下労働施設のE班トップ、大槻班長が主役を張る『ハンチョウ』は飯テロマンガと言うことになっているが、確かに真似したくなる飯テロ模様なんだけども、なんかこう……もっと大局的な……? なんというか……余暇の……人生の過ごし方? というように、限られた時間と限られたリソースの中で最大限に1日を楽しむと言った、実際にサラリーマン諸氏がすぐにでも活用できるようなライフハック漫画と言っても良いのかもしれない。
カイジシリーズに馴染みがない方に本作を楽しむための基礎知識を説明しておこう。
『カイジ』でおなじみ、サラ金大手の帝愛グループの劣悪債務者はいわゆるタコ部屋と言える強制労働施設に収容される。そこで自分の債務が返済されるまで陽の光を浴びることもできないまま、地下で長い年月を送ることを余儀なくされる。
地下労働施設内では、施設内の独自通貨「ペリカ」が給与として毎月地下労働者たちに支給される。支給額は9万1000ペリカ。しかし帝愛グループたちも鬼ではない。「勤労奨励オプション、としてペリカを貯めて、1日外出券を購入すれば、所持しているペリカを日本円に換金して下界に解放してもらうことも可能。しかしその額50万ペリカ……。さらにペリカの価値は日本円の1/10と……。いや、やっぱり鬼であることは変わりなかった。
そもそも月額1万円にも満たない収入しか持たず、ヤミ金サラ金で身を持ち崩して強制労働施設に入れられる人間が、50万ペリカもの大金を貯めることなどほとんど不可能に近いのだが、本作の主人公であるE班トップの大槻班長はチンチロリン賭博で荒稼ぎした資金で、たびたび悠々自適の外出を楽しんでいる。というところが本作に必要な事前知識だろうか。
※ハンチョウがチンチロリン賭博で荒稼ぎする手口は、「賭博破戒録カイジ」にその悪魔的所行が語られているのでチェックしてみて欲しい。
1日24時間。サラリーマンも主婦も、石油王も1日に使える時間は変わらない。そこに労働時間と睡眠時間を入れれば、基本的にはウィークデイは遊びに費やせる時間はあまり無いことに異論はないだろう。石油王は別かもしれないが。
週末は週末で家庭の用事や近所付き合いがあって、完全にフリーという状況というのは、現代社会に生きる我々には意外と無いのだ。実は地下の労働者たちとあまり変わらない……! といったら言い過ぎか。しかしサラリーマンには有給休暇がある……! 労働者の権利……!
ただ仕事を休むだけというように、役所に行くとか病院に行くといった、必要に迫られた理由以外で有給休暇を取得する行動は、もしかしたら地下労働者たちが1日外出券を買うことに似ているのかもしれない。と言うようなことを考えてしまうのは、カイジシリーズが現代社会の闇を描き出しているからだろうか。それはさておき、まずは試し読みを読んでみて欲しい。
なんと余裕綽綽と言える振る舞いだろうか。監視の黒服たちも驚くほどの落ち着きを見せる。ほぼ半年分の給料で得る自由な24時間。大抵の外出者たちは1分1秒をムダにしまいと生き急ぐように「飲む打つ買う」に走るところ、ハンチョウは慌てずのんびり過ごす。格安ビジネスホテルに泊まり、翌日はスーツを仕立て、白昼の立ち食いそば屋にてビール飲んでの豪遊をする。ただそれだけに時間を費やしたのだ。
「スーツを仕立てて立ち食いそば屋で昼から酒を飲む」という、お金の使い方の凄さ。
白昼堂々とサラリーマンが腹を満たすために集う立ち食いそば屋で、昼間から酒を飲むわけにもいかない真っ当なサラリーマンたちを肴にビールを飲む。なんて悪魔的な振る舞いだろうか。平日の日中に働く酒飲みにとってどれだけ腹立たしい行為だろうか。私だったら堪えられないかもしれない(誘惑に負けて飲んじゃう)。
この行為の凄さは、視点を変えているだけというところにある。
・ハンチョウの普段の風体で飲むと落伍者に見えるが、真新しいスーツを着ていれば重役のように見える。
・スピードと効率を求める立ち食いそば屋のテーブル席で、時間に余裕がある立場を演出。
・上記2つの要素を合わせて、平日の昼から飲むことが出来る権力者を演出。
だったら立ち食いそば屋なんかに行くなよという突っ込みは野暮。なぜなら肴が普通の労働者であることを忘れてはいけない。このように見方と演出を変えるだけで、そんな悪魔的な振る舞いができるのだ。まさにエポックメイキング。
ハンチョウが持つ卓越した人心掌握術と余裕ある視点があって初めて成立するものであるが、学ぶべき部分は非常に多い。そこまで出来る人間がなぜ地下労働施設行きにまで身を持ち崩すのだと言いたくなるくらいの堂々たる振る舞いなのだが、それを言ったらやっぱり野暮か。
「1日外出を満喫するにはまず焦らぬこと、心の落ち着きを取り戻すことが肝要」と、ハンチョウは部下の沼川に諭(さと)す。
この言葉の「1日外出」、を有給休暇に置き換えれば、我々のようなサラリーマンにも十分と通用する金言だと言えよう。
現代に暮らす人々は忙しい。せっかく一休みする機会を得ても貧乏性にとりつかれてあれもこれもとあくせくしてしまう。だからといって何となく有休休暇を取り、無為に過ごしたのではハンチョウにへたっぴと言われてしまいそうなので、時間とお金を上手く使って豊かに過ごせるようになりたいものだ。
有給を取らずとも、プレミアムフライデーなんかを口実にして、平日の昼間に仕事から離れて過ごすところから『ハンチョウ』的時間の過ごし方を真似してみたらどうだろう。本作に倣って、立ち食いそば屋だったり、夏祭りの縁日だったり、アンテナショップめぐりだったり……。まだ浸透してるとは言えないプレミアムフライデー。浸透する前だからまだ、他のサラリーマンたちを肴にする『ハンチョウ』的悪魔的所業が楽しめるかも?
レビュアー
静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。