普通という仮面をかぶった女・阿武英子
「怖い」と「笑い」は表裏一体だ。
本作『阿武ノーマル』のオビには「新感覚サイコ・サスペンス、開幕──!!」とあるが、新感覚すぎて、爆笑必至のコメディであり、なぜだか爽快で(ちょびっと)感動的ですらある……。つまりは傑作(確定)だ。
主人公は阿武英子。
彼女は相手が笑ったら笑う、相手が泣いたら悲しむといった、協調性が根本から完全に欠落している。それでは社会生活やコミュニケーションが成り立たないし、なにより会社勤めができない。それは生きづらさとは別次元の問題として「不便なので」彼女は普通になりたい。そこで彼女は大学の一年先輩・相田一香の手ほどきを受け「普通の人間」という仮面を手に入れる。
<訓練前の阿武英子の笑顔>
<訓練後の阿武英子の笑顔>
そして相田一香と同じ会社でOLとして働き始める。「普通の人間」を極めるために同僚の榊原撫子を研究しながら、ぬるくも穏やかな日常を得るが……、彼女の本質はまったく変わっていない! そんな彼女のOL生活に派遣社員・河原京介が投下される。
皆さん! こういう特級呪物にぶち当たったことありますよね! 私は即座に5人ほど思い浮かべましたよ。根拠なき自信と上から目線、「誰が書いた自己啓発書に影響された?」と言いたくなる空虚なロジック、手は動かさないくせに、なぜか上役からはウケが良い。死ね、死ね、死んでしまえ!
大切な研究対象の榊原撫子が、彼のハラスメントで退職に追い込まれそうになり、阿武英子は事態の収拾に乗り出す。業務の自動化、効率化を図り、河原の居場所をなくすことで派遣社員の契約解消に成功するのだが……。
サースペ~ンス!
死、もしくは……。切り開け! 第三の道
河原京介はクズの特級呪物。グーで女性の顔をタコ殴りすることも迷わない。しか~し、阿武英子は一瞬の隙を突いてナイフを奪い、河原京介の太ももをメッタ刺し。
な~にが「本気だ」だよ……。ここからまったく同情できない自分語りを始める河原京介。33歳になって母親を殴って父親に家を追い出され、派遣社員をクビになり、金も尽きた……。
そのうえ何を言ったと思います?
「この国の文化が悪いんだ」だって(キャー)。
河原京介は完全に観念し、「好きにしてくれ」と言うのだが……。
サースペ~ンス!
そう、彼女は「普通の人間」になりたい。母親からの電話で「もう30手前でしょ 普通結婚するわよ」と言われた阿武英子は、引っ掛かっていたのだ! 「結婚」に!
ち、違ぁ~う! 「今はもっと多様な生き方があっていいんだよ」なんて言葉も、彼女の前では通用しない。
一方の河原京介は、阿武英子宅に同棲という名の拉致監禁に遭っている。
うん、安定のバカ。
しかし河原京介は知らない。逃亡を企てる自分を、阿武英子がどう認識したかを!
サースペ~ンス!
なに、そのパワーワード。怖すぎるやろ~。
協調性の欠如とは、こんなにも恐ろしくて、こんなにも笑えるものなのか!
夜道で襲われてから5時間ほどしか経っていないにもかかわらず、結婚情報誌の付録についている婚姻届を書けと迫る阿武英子。河原京介は全力で拒否するが、今の関係を破棄すれば彼女がなにをするかわからない(河原的には社会的、生命的な死を予感)。彼は初めて自分の頭で考えた。真剣に考えた。
結婚を回避し、なおかつ別れられる関係性の構築を!
そして阿武を納得させる回答を……!!
と、ここまで引っ張って申し訳ないが、どんな回答を出したかはコミックスを読んでください。「人間、死の淵を覗きながら生きる術を考えたらこんな答えが出るんだ」と、腹筋を痙攣させながら笑いました。
協調性が欠けた阿武英子は「普通の人間」になることで、人間の群れの中に溶け込もうとし、河原京介は「普通の人間」の群れから抜け出たいが、努力する能力を持たない。二人がこだわる普通なんて、あるようで無いものだし、無いようであるものだ。人それぞれに「普通」と「普通じゃない」線引きがたくさんあり、みんなその線引きを行ったり来たりしている。この漫画が画期的なのは、その線引きをバトル漫画にしてみせたところだ。
ファーストバトルは、阿武英子の圧倒的優勢だったが河原京介がなんとかドローに持ち込んだ。しかし、新たな線を引くキャラクターが現れる。ブラック企業の経営者(にして、かつて河原京介をいじめていた男)と、彼の妻にしてインフルエンサー。彼らを加えた四者の「普通」がせめぎ合うバトルで、阿武英子はテッペンを取れるのか? そのテッペンからどんなアブノーマルな「普通」を見せてくれるのか、ワクワクが止まらない。
レビュアー
関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。