「能力の低い人ほど自分を過大評価する」らしいけど……?

答え 1. いるいる、そういう人

電車やバスの車内風景──。お年寄りに席を譲らない人がいたら、それは気の利かない人です。
しかし、本人は「私は気が利かないなあ」と遺憾に思っているでしょうか、きっと思っていないでしょう。なぜなら、近くでお年寄りが困っていることに気づいていないからです(仮に、気づいているのに席を譲らなかったら、それは「気が利かない人」でなく、「意地悪な人」です)。

気が利かない人は、問題となる事態に気づかないからこそ、「気が利かない」のです。こうした構図があるかぎり、「自分がどれほど気が利かないか」を、自分では知ることができません。

一方、自分が気づいていることを他人が気づいていないという状況に出くわすと、「私はこんなに気を利かせているのに、どうしてあの人は気が利かないんだ」と憤慨します。
他人の顔は見えても、自分の顔は見えないように、他人の欠点(認知バイアス)には気づけても、自分の欠点には気づけません。だからヒトは「自分は公平で正しいのに、他人は視野が狭くて偏見に満ちている」と考えがちです。これを「バイアスの盲点」と呼びます。

人は自分に対して無自覚であるという事実に無自覚です。最大の他人は自分なのです。
もし他人に憤りを感じることがあったら、ぜひ「自分もまた完璧な人間ではない」ことを思い出しましょう。いや、実のところ、世の中、完璧な人間なんて一人もいません。全員が「ココロの盲点」を持っています。だとしたら、ある人が完璧でなかったからといって、それは怒る根拠に値するのでしょうか。当たり前のことが当たり前に起こっただけのことです。そう考えるだけで、たいていの腹の虫は収まるものです。

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