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【ジャン=ジャック・アノーが映画化】文革時代、オオカミと青年の強烈な生命交流

神なるオオカミ
(著:姜戎)
2016.01.12
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漫画家、森恒二さんの『自殺島』という作品があります。「自殺未遂者が体ひとつで追放される法外の島」という舞台設定なのですが、この物語の主題は「感じることの大切さ」でした。


都市というインフラに依存して暮らす現代人は「感じること」を疎かにして育ってしまっている。それゆえの問題がいろいろと顕在化していて、たとえば「リストカッター」と呼ばれる人なども「感じること」のバランスが崩れてしまっているのだと思います。


現代ではコミュニケーションが過剰に発達している。しかし、その結果、自分自身の体に対する実感が薄くなった。体を刻み、痛みを感じ、血が流れるのを見れば「ここに自分がいる」という実感を強く感じることでしょう。大阪大学のロボット工学者、石黒浩教授は、現代人のこうしたバランスの崩れを「肉体を解放するのが早すぎた」と表現していました。


『自殺島』の登場人物たちも、島の自然の中で、否応なしに自身の生と向き合うことになります。

中国の作家、姜戎氏の小説『神なるオオカミ』の舞台は文化大革命時代。主人公は北京出身のインテリ青年、陳陣(チェンジェン)です。彼は当時の「下放」という、格差解消を名目とする政策によって、都市から農村へと追いやられました。彼の下放先は内モンゴルのオロン草原。彼は否応なしに遊牧民の村に追いやられ、羊飼いとして暮らすことになります。


自然の摂理を知らぬ彼は、村の古老、ビリグじいさんの助言を無視して草原をいき、オオカミの群れに遭遇します。絶体絶命の危機に陥った彼の心に響いたのはやはりビリグじいさんの「オオカミは鉄を怖れる」という言葉でした。彼はオオカミの群れを相手に全身全霊の賭けを仕掛けます。

陳陣は、この賭けのおかげで九死に一生を得るのですが、この体験をきっかけにして彼は変わります。遊牧民族の神、天(タンゴル)を崇拝するようになった。そしてモンゴルのオオカミに、強烈な感情を抱きます。それは憎悪だけでも恐怖だけでもなく畏敬の気持ちも入り混じったもの。オオカミは彼の魂をゆさぶり、彼を夢中にしたのでした。


この経験を経て彼は遊牧民の生活に溶け込み、ビリグじいさんが「おまえの両親に顔向けできない」と笑うほど、気質から変わっていきます。漢人からすると遅れているように見えた遊牧民の生活は「大きな生命を守る」という原理がしっかりと息づいていたのでした。「感じること」が希薄になった現代人が今読むと、この物語のもたらす「体験」は強烈です。


陳陣はやがて、オオカミの子ども「小狼」を飼って暮らすことになるのですが、野生の気高さと獰猛さを失わない「小狼」には手を焼きます。しかしやがて両者の間には交流が芽生えることになりました。


ただ物語は甘い結末には至りません。時代の波は誇り高い遊牧民たちも覆い、生活は変質していく。都市の原理が草原の人の心も暮らしも劇的に変えていきます。

この壮大な物語はジャン=ジャック・アノー監督によって映画化されました(日本公開は2016年1月12日)。『セブン・イヤーズ・イン・チベット』で人民解放軍とチベットの運命を描いたジャン=ジャック・アノーが、この『神なるオオカミ』に興味を持った理由は、わかるような気がします。
この物語は、ただ自然との交流を緻密に描いた生態記録ではありません(そこだけでもすごく面白いのですが)。「遊牧」と「農耕」というふたつの文明の相剋と衝突、そしてやがて一方が、かつては野生を誇ったもう一方を飲み込んでいくという大きな流れを描く作品でもありました。ジャン=ジャック・アノーは、こうした大きな民族の運命に興味がある人なのだろうと思います。

ニホンオオカミの絶滅を経験した日本人にとっても『神なるオオカミ』の物語は、どこか近しい気がします。我々もまた、かつては「大きな生命」を畏敬する心を持っていた。


考えてみれば「生命」とは不思議です。自然は過酷で、ひとつひとつの小さな生命たちは、少しでも油断すると命を失って自然へと還っていくことになる。


生命とは、ある意味で自然に逆らって自己を保とうとする反逆の営みで、勇敢で、聡明で、そして狡知にもたけていないと生き延びていかれない。


オオカミの気高さはそうした生命の象徴で、彼らを畏敬する心は、私たちにもどこかあったように思います。そのために異国の、違う時代の若者、陳陣(チェンジェン)の気持ちに、深く共感してしまうのかもしれません。

レビュアー

堀田純司

作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に〝中年の青春小説〟『オッサンフォー』、現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証言集』では編著も手がける。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。

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