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労働は人間がすべきことじゃない
働かざる者食うべからず。
そんな金科玉条が、まるで呪いのように心の底に宿っています。それが自分だけでないことは、ひきこもりに対する世間の厳しい風当たりを見ても瞭然でしょう。
彼が労働者であろうとなかろうと、多くの場合、何の関わりもありません。にもかかわらず文句を言いたくなってしまうのは、働かざる者食うべからずという道徳が心の底にこびりついていることと無縁ではないでしょう。
しかし、これは断じて普遍的な考えではありません。本書は幾多の資料から、そのことを明らかにしていきます。
必然性に従う労働は動物的である。動物的活動は、古代的イデオロギーにとっては奴隷的活動、すなわち奴隷にのみふさわしい活動である。プラトンがくりかえし述べているように、古代ギリシアの市民にとって、労働はまともな人間がおこなう活動ではない。
この古代ギリシアの考えはきわめて正鵠を射ています。食ったり寝たり子孫をつくったりはまさに動物的欲望です。人間をほかの動物より高尚なものと考えるならば、こんなものにかかずらっていてはなりません。
しかし――ここが肝要ですが――今なお労働の大部分は、ここに向かって成されています。
それは近代とともにはじまった
人類の長い歴史において、労働は軽蔑されてきました。じつは崇められていた時間より、蔑視されていた時間のほうがはるかに長いのです。
労働観における古代的偏見はしつこく残存しつづける。一五、一六世紀はもとより、一八世紀に入っても労働への格下げ評価は多くの人を依然として掴んでいる。労働蔑視が続くなかで、少しずつこの偏見が崩れていくが、偏見の崩壊を促進する要因のひとつは、言うまでもなく、近代市民社会の発展とそれを支える近代資本主義的市場経済の前進である。
労働にたいする考え方は、近代国家の成立とともに、大きく変わってきました。
ものすごく雑に言えば、近代とは国家が徴税と徴兵のためのしくみを整えた時代のことです。日本では明治以降を近代と呼んでいます。
たとえば、八つぁん熊さんなんて名前は、同名がたくさんあります。まぎらわしいので、姓をつけようということになり、今に至っています。しかし、考えてみてください。誰がいつ、まぎらわしいのでしょう? 国家が徴税したり徴兵したりするときです。言い換えれば、国民皆姓という制度は、そのほうが国民を管理しやすいから生まれたのです。
本書は、労働の神格化もまた、同じタイミングではじまったとしています。
「労働はすばらしい」、「労働は人間を鍛えなおす」といった観念、あるいは「労働の尊厳」というイデオロギーの根は、どうころんでも懲罰的であり規律訓練的である。奴隷的労働に人間を馴化させるためには、労働の「すばらしさ」や「尊厳」の甘い衣をかぶせるほかはない。このイデオロギーは早くも近代初頭に出ている。
「労働の尊厳」は、資本主義という労働社会を確立するための物質的力を発揮した。ウェーバーが言うように、「労働の非人間性・無意味性」を隠すためには「尊厳」という宗教的光明をさえ必要とした。(中略)現代でも、カピタリストとソシアリストとを問わず、「労働の尊厳」を強調することが根強く生きのびているが、俗耳に入りやすいがゆえに、この労働イデオロギーは全般的労働奴隷性を強要することに貢献してしまう。
夏目漱石の小説の登場人物は、高等遊民といって、知識人でありながら親のすねをかじりつづけ、労働しようとしないやつがとても多くなっています。『こころ』の先生とか、『それから』の主人公とか。周囲から労働していないことを責められ、本人もそれを息苦しく思っているのに、かたくなに労働しようとはしません。あるいはそれも、労働が奴隷的であることへの抵抗であり、近代への抵抗であると見ることができるでしょう。
そういや昔、エレファントカシマシがこの世は奴隷天国だと歌っていたっけ。そのとおりじゃねえか。
「労働」と「仕事」はちがう
労働するって奴隷になるってことなんだ。
労働を賛美する意見はすべて、それを隠すためにある。
俺たちは洗脳されている!
本書の主張ですし、読者は全員がこれを正論と認めるでしょう。
しかし、この発言に接した人は、甘ったれんなとかふざけんなとか、誰もが否定的言辞をぶつけるにちがいありません。かくいう自分もまた、その列に加わってしまうかもしれません。近代はそれほどに深く、われわれの骨の髄にまで染みついているのです。
では、人間は労働ではなく、何を旨として生きるべきなのでしょうか。本書はそれを「仕事」としています。労働と仕事とは、(すくなくとも本書においては)まったく異なるものです。
遊戯性と結合した「労働」を仕事とよぶ。近代では、人間的諸活動が労働一般に解消する傾向が強いが、この傾向を逆転させて「労働の仕事化」を構想するのが「労働からの解放」の理念であった。人間的な諸活動が奴隷的性格を離脱し、狭義の必然的労働すらその労働的性格を離脱し、遊戯性をエーテルとした自由な活動(古代のプラークシス)へと転換することこそ、たとえ現在ではユートピアであっても、手放すことのできない理念たりうる。
本書は1988年に出版された書籍の文庫化です。著者が故人となられてからも、かなりの年月が経過しています。にもかかわらず、ここに記されていること(労働とはなにか)がまったく古いものになっていないのは、私たちの不幸だと言うことができます。私たちはいまだに、近代の怨霊に取り憑かれたままなのです。
しかし、これだけは言うことができます。
「自分たちはだまされている」と知ることがなければ、そこから脱出しようという考えも生まれてきません。
本書は、「労働の尊厳」という現代においても支配的な観念を「近代になってから成立した、本質的ではないもの」と述べることに成功しています。値千金の認識です。
仕事とは、そして人間とは何か。重要な問いを考えるよすがを与えてくれる、とても貴重な書物であります。
- 電子あり
南太平洋のマエンゲ族の1日当たりの平均労働時間は4時間だという。古代ギリシアにおいて多忙は倫理的悪であり、中世の修道士にとって労働とは神から課された罰であった。
しかし近代になると、労働の価値に大逆転が生じる。「労働の尊厳」が高らかに謳われ、経済のみならず政治・文化を含むありとあらゆる活動が労働化する、完全な意味での労働社会が人類史上初めて誕生する。
この逆転はいかにして、なぜ起こったのか。古代から中世を経て近代にいたる労働観の変遷をコンパクトに描き出し、現在の労働中心主義は決して当たり前のものでもなければ、長い歴史に裏打ちされたものでもないことをあざやかに浮かび上がらせる。
人は生産労働なしに生きることはできない。しかし労働に従事するかぎり人間は自由になることはない。この相克を超えて、本当の意味で「労働から解放」されることは可能なのか――。
労働の価値が再び大転換しつつある今こそ必読の労働論!
【本書の内容】
はしがき
第一章 未開社会の労働観
第二章 古代ギリシアの労働観
第三章 西欧中世の労働観
第四章 近代の労働観
第五章 労働の批判的省察
注
解説(鷲田清一)
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/
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