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バレエというわざの世界。熊川哲也、21年ぶりの自伝『完璧という領域』【第1回】

完璧という領域
(著:熊川 哲也)
2019.12.25
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■バレエという「わざの世界」

まずなにより、本書を読んで、「バレエはわざの世界だ」ということを確信しました。「わざの世界」の定義も曖昧ですが、僕なりにいえば、「教育」ではなく「伝承」の世界だということです。

「師弟という二者関係」ではなく「師匠-弟子-先人による三者関係」で伝える世界、学校教育的に教えることよりも学び取ることが重視される世界、個人としての学びを超えて共同体を受け継いで受け渡す世界、そんな伝承の世界に興味を持っていろいろ考えてきましたが、これまでの僕の「わざ研究」は、職人や武道や伝統芸能といった、日本の伝統的な世界だけを対象にしてきました。

もちろんそれだけにとどまるとは思っていませんでしたが、西洋ルーツの技芸の世界についてじっくりと向き合う機会がありませんでした。しかし今回、本書を読んで、バレエは「わざの世界」であると強く思います。僕が向き合ってきた「わざ研究」は日本の伝統的な世界にとどまる話ではないということ、それをあらためて確信する機会となりました。

■古典の重要性・先人との交感

なかでも熊川さんが繰り返し強調される「古典」すなわち「先人」との関係性がとても印象的で、僕にとって最も重要なところでした。「わざの伝承」というと「師弟関係」ということになりがちですが、ご存知のように僕は「先人からいかに学ぶか」だと思っています。教育学の研究者は「伝承における先人」(あるいは教育における先人)のことをちゃんと考えてこなかったわけですが、この本には「先人との関係」=「先人との交感」に関する貴重な記述がたくさんあって、読んでいてひどく興奮しました。

たとえば、「チャイコフスキーに選ばれたダンサーでなければオデットは踊れない」(59頁)、「古典芸術は過去から継承されてきたものであり、そこに触れることで時空を超えて先人たちの魂とつながることができる。」(135-136頁)、「先人の魂の宿った存在とそれをいつくしむ感性があること」(138頁)、「古典と会話できるような感性」(188頁)、「身体という媒体を通して天上にいるチャイコフスキーやベートーヴェンと交信する。」(243頁)。

撮影: 木本忍

このように本書では、繰り返し、「先人との交感」の重要性が語られます。「わざの世界」においては、確かにこういった「先人との交感」という現象があると思うのですが、これまで理論的に考えられてきたことはないと思われます。僕はそこに光を当てて考えてみたい。いくらかの整理をしたり、言葉を創ったりすることによってみんなで語れるようにしたい。そのようなことを考えています。そういうわけで、これまでいろんな「わざの世界」の芸談や聞き書きを読んできましたが、身体表現の世界の人のなかで、ここまで「先人」を全面に押し出して、その重要性と意義を語ってくれる本は貴重です。

くわえて、「過去の芸術家が現代に生きているのならば、われわれも同等の芸術家として肩を並べなければ、優れた作品世界をともにつくり上げることはできない」(60頁)、「彼らがつくり上げた創作世界に、一つのパートとして関わることができる」(135頁)など、熊川さんが先人たちとの関係のなかに自分を位置付け、その歴史を含めたバレエという共同体全体のなかで「今を生きる自分の役割」を認識しておられて、それが記述されていることもすごく刺激的です。

それはその認識によって、バレエを学ぶことの意味が「個人の成長」の話を超えて「共同体を受け継ぎ受け渡すこと」にまで突き詰められているように思えるからです。京都の朝日焼を受け継ぐ陶芸家十五世松林豊斎さんが「自分のもんでありながら自分のもんではない。ある期間預かって、また次の世代に渡していくものです。」(『つなぐ心、つなぐ技』里文出版 144頁)などと語っておられますが、それと同じで、熊川さんにもバレエの歴史や先人たちの事跡に対するとても謙虚な姿勢があって、「つないでいく」という役割がはっきりしている。それが「伝統の深みを思い知り、いくら効果的な演出でも安易に作品に手を入れてはいけない」(56頁)というような判断につながっていると感じます。

ここから武道家が「先人から受け継がれてきた型」を安易に変えることはしないというような話を想起させられたりもしますし、さらにそのうえで、熊川さんが「古典の持つ普遍的なテーマを損なわず、舞台の流れや物語の展開上必要ならば、手を加えることを恐れない。」(161頁)などと言ってみせるのもすごく面白いところです。

■モノや楽譜を通して先人と出会うこと

ところで先ほど、「身体表現の世界の人のなかで」という但し書きをつけたのは、モノの世界では「先人との交感」がわりと強く語られるからです。陶芸、書道、あるいは文化財修復の世界……これらも熟練の職人や芸術家による身体の世界ではありますが、その学びのうえで明確に「モノ」を媒介する世界です。

たとえば、書道では「先人の書」を臨書します。そのとき、ただ形を写すのではなく、筆の勢いや筆圧、筆先の感覚までを真似ようとする。残された作品から先人の筆使いの感覚や姿勢、呼吸、思考までを感じ取ることができるそうです。「書には臨書という古典学習法がある。倣書とも言われることがあるように、文字通り古典を真似るのである。古典の書きぶり(筆蝕とスタイル)を再現的になぞることによって、筆尖が紙との関係を摩擦する深度、速度、角度を同調させ、追体験し、表現された世界の秘密を、目ではなくて手で覗く」(石川九揚『失われた書を求めて』岩波書店 95頁)

あるいは、文化財修復士は、最初にそのモノを作った人のことだけでなく、各時代の修復士の思考などもわかるそうです。これは聞いた話なのですが、そのうえで「このように修復してほしい」とモノが示してくれる気がするのだとか。これはまるで「チャイコフスキーに選ばれる」(58頁)ような話です。「そこにある音が、そのカウント割を求めていた」(77頁)とか、「ともに作品を創造しているような想念」(123頁)とか、「チャイコフスキーと握手している」(137頁)ような話に似ているように感じます。

書道家や修復士がモノを介して先人と出会っているように、熊川さんも「楽譜」という「先人の痕跡」を通して先人に出会っている。先人と交感している。ほんとうに面白いところです。

僕は、あちこちに残された「先人の痕跡」を媒介にして生じる「先人との交感」を「追体験」と捉えて、「わざの伝承」における重要な学びの方法だと考えています。そして、「先人の痕跡」が残される場所として、歴史的には「モノに残す(モノ知)」、「型として身体に残す(身体知)」、「文字や図や譜として残す(書物知)」という3つのパターンがあったと考えています。さらに現代的には、写真や映像、モーションキャプチュアなど「新たなデジタルツールによる痕跡の残し方」(デジタル知)が登場しているとも考えています。

そんなわけで、今回、熊川さんが楽譜を介した「先人との交感」についてここまで強く語られていることに興奮したわけです。そしてバレエの場合、「譜」、つまり「音楽=楽譜」が先人との媒介となること、これがとても面白いところでした。というのは、茶道の世界が「茶譜」を残したり、将棋や囲碁の世界が「棋譜」を残したり、「譜」は「先人の技や思考の痕跡」であるということについても考えてきたからです。

残された「譜」に向き合うことで先人に出会うことが出来る。今は亡き先人から学び、先人の思考や技を追体験することができる。死者との対話、死者からの学びを「痕跡」が可能にする。そういうことをずっと考えてきたのですが、実際に「譜=痕跡」にどう向き合うのか、それはどんな体験になるのか、死者から学んだことを今の表現者がどう生かすのか、そういった場面を具体的に言葉にして伝えてくれる記述にはなかなか出会うことが出来ませんでした。

たとえば、将棋には棋譜があります。それは思考の記録で、将棋の世界には棋士たちの「思考の痕跡」が連綿と残されてきています。棋士の学びでは必ず棋譜通りに並べることが求められるので、棋譜を通して先人と交感する感覚を誰かが言葉にしていないかと探し続けた時期がありました。

その結果、棋士の佐藤天彦さんの「私が棋譜並べを続けていたのは詰まるところ「好きだったから」の一言に尽きるでしょう。偉大な先人たちの思考に深く深く潜り込んでいき、時に彼らの指しぶりに圧倒され、時に対話する。その時間は替えがたいひとときです。」(『理想を現実にする力』朝日新書 149-150頁)という文章に出会ったのですが、惜しいことに、これ以上に掘り下げたことは語られていませんでした。

でも、本書『完璧という領域』にはそれがありました。しかもたっぷりと。第五章はまるごとその貴重な記録であると思います。なかでも122頁から126頁半ばくらいまでの「ベートーヴェンとの創造」は、熊川さんがベートーヴェンとともに創造していく、痕跡をひとつひとつ読み解いていく、その具体的なプロセスやイメージが記されていて、思わずうなりながら読みました。

ひとりのダンサーの自伝として読んでもとても面白い本ですが、僕にとって、こういった意味でものすごく貴重な本になっています。もっと知りたいことがたくさんあって、続編を期待するのですが、あり得るのでしょうか。続編にむけて(?)、こんなことが知りたい!ということを、たくさんある中から厳選して四点、感想を兼ねて書かせてもらいます。

  • 電子あり
『完璧という領域』書影
著:熊川 哲也

熊川哲也、21年ぶりの自伝。Kバレエカンパニー旗揚げ、古典全幕作品上演、バレエスクール主宰、日本発オリジナル作品創造、オーチャードホール芸術監督、そしてさらなる新たな創造。前人未踏の軌跡が今、本人の手で明かされる――。

「完璧など存在しない」と人は言う。だがそれは失敗から目をそらしたり夢をあきらめたりするための言い訳にすぎない。たしかに作品を「完璧という領域」にまで到達させるには、ダンサーの心技体だけではなく、オーケストラやスタッフ、観客、劇場を含むすべてが最高の次元で調和しなければならない。それは奇跡のようなことかもしれない。しかし「完璧という領域」はたしかに存在する。偉大な芸術はすべてそこで脈打っている。僕はつねにその領域を志向してバレエに関わってきた。――「はじめに」より抜粋

レビュアー

川口陽徳

1979年奈良県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。千葉経済大学非常勤講師などを経て現在在野で研究活動を行っている。修士(教育学)。専門は、教育哲学、教育人間学。主要業績に(共著)『わざ言語――感覚の共有を通しての「学び」へ』(慶應義塾大学出版会、2011年)、(共著)『日本の「わざ」をデジタルで伝える』(大修館書店、2007年)、「漢方医道の継承――浅田宗伯の知識観と師弟関係」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』第45巻、2006年)、「『言葉にできない知』を伝えること――『わざ』の世界から学ぶ」(『幼児の教育』第108巻、日本幼稚園協会、2009年)、「『文字知』の陥穽――宮大工の継承における書物」(「人間形成における『超越性』の問題」、京都大学GCOE <心が活きる教育のための国際的拠点> 研究開発コロキアム論文集、2010年)などがある。

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