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第64回乱歩賞受賞作スピンオフ短編を特別公開!『間氷期』(4)

2018.11.08
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夜が明けた。

とはいえ、山に囲まれた盆地にまだ陽の光は届かない。峰々の雪に反射した光が、うっすらと調査隊のベースキャンプを照らしている。

岩陰の寝袋で凍える夜を越したデフォーたちが戻ってきた時、ベースキャンプの外れでは、分厚いダウンジャケットに身を包んだランシング教授が、濛々と湯気を上げるシエラカップのコーヒーを啜っているところだった。霧に包まれている盆地の奥へ視線を送る教授は、背後に立ったデフォーたちチーム9にはまだ気づいていないようだ。

ベイカーが呼びかけた。「ランシング教授」

教授はそれほど驚いた様子もなく振り返り、口を開いた。

「ああ、皆さんでしたか。過激派の動向はわかりましたか」

落ち着いた微笑みを浮かべる教授に、ベイカーは直截に言った。

「教授。我々に隠していたことがありますね」

「……何のことでしょうか」

「調査を妨害しているのは、イスラム過激派ではない──この土地の、先住民族だ」

それは、ロバーツがハッキングしたパソコンに記録されていた事実だった。住む者など誰もいないとされていたこの地域には、文明世界に知られることなく暮らす先住民が存在し、この21世紀においても、狩猟中心の生活をしていたのだ。

もっとも、アマゾンやニューギニアのジャングルでもそのような民族が見つかっているそうなのだから、おかしくはないとデフォーは思った。何しろこのあたりは国境紛争で軍隊が入るまで、地形図がなくても誰も困らなかった土地なのだ。

微笑みをその顔に貼りつかせたまま黙っている教授に、ベイカーは言った。

「その先住民たちを排除することを、あなた方はパキスタンに要請した。そのため、パキスタン軍の部隊が停戦協定に違反してこの地域に入ってきたんだ。その部隊の指揮官は、バジュワ中佐という方ですね。ご存知のはずだ」

ランシング教授が、息を吞むのがわかった。ベイカーがたたみかけるように言う。「残念なことを教えてさしあげましょう。バジュワ中佐とその部下たちとは、もう会えませんよ」

「どういう意味ですか」

「中佐の率いる小部隊は、全滅していました。私が思うに、そうなっても仕方がないことを、彼らはしていた」

ロバーツが進み出ると、ノートパソコンを掲げた。一見、教授を睨みつけているようだが、歪めた口元からすると薄笑いを浮かべているつもりなのかもしれない。ベイカーが続ける。

「先住民は、調査を妨害したとはいっても、矢を射かける程度だったはずだ。なのに、あなた方は排除を望んだ。それは、単に追い払うという意味ではなかった。バジュワ中佐たちは、先住民を何人か撃ち殺したんだ。その上、捕えた者を虐待していた。ご丁寧に、報告文書が残っていましたよ。結局、助けに来た先住民の仲間によって、中佐たちはその報いを受けましたが、先に民間人相手に手を出したのはあなた方だったということは間違いない」

ランシング教授の表情から、微笑みが消えていた。

「なるほど、そこまでご存知ですか」

「それだけではないでしょう」ベイカーはさらに厳しい顔つきで言った。「パキスタン軍の資料には、近々アメリカ軍もやってくると書かれていました。──我々のことですね。我々にも、その先住民を排除──殲滅させるつもりだったんだ。イスラム過激派なんて、元からいなかった。我々は、過激派だと思い込まされて、民間人を撃つところだった」

チーム9の全員が、教授へ険しい視線を投げた。だが、教授はそれに怯む様子はない。淡々と、話し始めた。

「正直なところ、私は、あまりバジュワ中佐たちは好きではなかった。軍人といっても、パキスタンの軍閥の私兵のような連中、金のために何でもする、はぐれ者の寄せ集めでした」

ロバーツの眉がぴくっと動くのが見えた。

「だから、アメリカ側からも部隊を出すと聞いて、よかったと思いました」

「アメリカ『側』……?」

「そう。アメリカ側はあまりパキスタン軍を信用していないようですね。自分たちのほうで確実に手を下したいと思ったのでしょう。だから、皆さんが送り込まれたんです」

「学術調査隊のためにパキスタン軍や我々アメリカ軍まで動かすなんて、いったい背後に誰がいるんですか?」

ベイカーの質問に、ランシング教授は微かなため息をついてから答えた。覚悟を決めたような顔に見える。

「この調査は、単なる学術調査ではない。アメリカ政府主導の、きわめて重要な国家プロジェクトなのです。……邪魔する者がいるならば、武器を使用することすら認められています。そして私も、それに同意します」

──やはり。教授が【排除】という言葉を口にした時の違和感は、間違っていなかった。デフォーは思った。

視界の隅に、テントから他の科学者たちが出てくる様子が映った。遠巻きに、この状況を見守っているようだ。

「いったい、何のプロジェクトなんですか」ベイカーの声が大きくなる。

教授は表情を硬くし、黙りこんだ。その様子に苛立ったのか、パソコンを置いたロバーツがドスの利いた声で言った。

「あー、パキスタン軍の奴らがはぐれ者って話でしたが、俺たちも結構はぐれ者の寄せ集めでしてね。厄介者のチーム9ってね」

「やめろ」

意外にもロバーツをたしなめたのは、ベイカーではなくウェストだった。

「ランシング教授……。どこかでお写真を拝見したことがあると思いましたが、『サイエンス』誌に論文を載せておられましたね。しかし、ご専門は地質学などではないはずです。たしか、核物理学……。論文は、放射性物質の地層処分についてでした。そんな方が、ここで何をされているのです」

教授が、ほう、と目を見開いた。

「『サイエンス』を読む特殊部隊員がいるとはね。そう、私の専門は放射性物質の管理と廃棄です。ここで行っているのは──」

教えてはいけない、という声が科学者たちの間から聞こえたが、手のひらを上げてそれを制し、教授ははっきりと言った。

「我々が行っているのは、米日共同の放射性廃棄物処分場建設計画、その事前調査です。アメリカ、日本、そしてパキスタンの政府は秘密裏に、そして強力にこの計画を進めています」

デフォーは目がくらむような思いを抱いた。任務の関係上、様々な秘密を知ることもあった。だが、まだまだ国家機密の闇というのは深いらしい──。

ランシング教授は、手を後ろに組んで行ったり来たりしながら、学生へ説明するように、ゆっくりと語りかけてきた。

「今この瞬間も、世界中で放射性廃棄物が生み出されています。これは、我々の文明が原子力に頼っている部分がある以上、致し方ないことです。今はもう、原子力に賛成だの反対だの、言っている場合ではないのですよ。人類はそれを手にしてしまったのだし、社会はそれによって動いているのだから。そして生み出された放射性廃棄物は、どこかに捨てなければいけない。それを妨げることは、人類の進歩を妨げることでもある。それでもなお邪魔するならば──私はやむを得ないと思います」

皆、口を開かない。それは完全に同意はできないが、明確に反論する言葉も持てないという沈黙だった。

「数年前、アメリカと日本は、放射性廃棄物の最終処分施設をモンゴルに建設する計画を立てました。しかし、計画を公開したことで反対運動が激化し、計画を断念せざるを得なかった。あらためて見つけたこの地では、もう失敗を繰り返すわけにはいきません。残された時間は、あまりないのです」

それからランシング教授は、同僚の科学者たちのほうへ歩いて行った。科学者たちと、デフォーたちチーム9の列が、向き合う形になる。

「この盆地の突き当りに、洞窟があります」

教授が指さす先では、霧が少しずつ晴れてきていた。薄暗い断崖の陰に、周囲よりもさらに深い闇があるのがわかった。

再びデフォーたちへ顔を向け、教授は言った。

「洞窟の調査はまだ完全に終わっていませんが、少なくとも長さは5キロ以上、深度も400メートルを超えていると推定されます。我々の目的──大深度地下に放射性廃棄物を埋設する、地層処分場にはお誂え向きです」

「受け入れることになるパキスタンは、本当に承知しているんですか」ベイカーが聞いた。

「パキスタン政府は歓迎していますよ。だからこそ停戦に合意し、我々はここに来られたのです。彼らには、アメリカと日本から相応の見返りが提供されます。実際のところ、彼らだって、こんな土地──兵士の死因のほとんどが凍傷というほどの土地は持て余していた。ただ、面子のために軍を置いていただけです」

ウェストが、あくまで素朴な疑問といった調子で手を挙げた。

「廃棄された放射性物質は、どうなってしまうんでしょうか」

いい質問です、と学生に対するように教授が答えた。「放射性物質の原子核は、放射線を出して別の原子核へと変わる『放射性崩壊』を繰り返し、安定した物質になっていきます。当初あった放射性物質の半分が別の物質へ変わるまでの時間──『半減期』は、ラドン220ならわずか55秒ですが、セシウム137は30年、ウラン238に至っては45億年です。ここに埋める放射性廃棄物の場合、様々な元素が含まれますが、1万年後にはおよそ2千分の1にまで放射能は減少する計算です。ちなみに、建設する施設の管理期間は100万年と想定しています」

「100万年……」隊員たちの何人かが、呆然として呟いた。

「そう。人類が農耕を始めたのがおよそ1万年前。その100倍もの期間です。その間には、いくつかの氷期と間氷期を繰り返すでしょう。永劫といってもいい時間です」

それまで黙っていたカトリが、ぼそりと口を挟んだ。

「100万年後の人間にとっては、迷惑な負債でしかない」

何を考えているのか、東洋人の表情はよくわからないが、吐き捨てるような口調はわかった。そこに含まれているのは、怒りだ。

それを聞いた日本人らしき科学者が、カトリを睨みつける。

デフォーは、ふと3日前の基地での情景を思い出した。あのブリーフィングにいた、NNSAの男──。ようやくその意味がわかった。放射性廃棄物処分場のための作戦だったからか。

同じ場面を思い浮かべていたのだろう。隊員の1人が誰にともなく呟いた。「なぜ、最初から先住民のことを言わなかったんだろう」

その問いには、ウェストが答えた。

「本音と建て前だろう。いくらなんでも、民間人を殺せとはストレートに命令できない。この地域に民間人はいない、いるのは調査隊の他は全員過激派だと情報を与えておけば、手を汚すのは俺たちだ」

「こういう仕事は、厄介者のチーム9にやらせるわけだ」ロバーツが吐き捨てた。

「先住民といえば」デフォーは、思わず声を上げていた。

「パキスタン軍の資料には、ベースキャンプを設置したこの盆地を攻撃してこないのは、彼ら先住民の聖地のような場所だからだろうとありました。聖地を、いきなりやってきた連中に勝手に占領された上、仲間を殺されたのなら、彼らの怒りも当然かと思いますが」

ランシング教授が、何も言わずにじっとデフォーとカトリを見つめてくる。デフォーも、それに負けぬよう見つめ返した。

教授は言った。

「未来のことを考えず、知ろうともせず、ただその場の感覚でかわいそうとか、きたないとか、感情論だけで行動するのはやめていただきたい。それを、偽善というのです」

その声はそれまでより少しだけ大きく、教授なりに感情が昂っているのだろうと感じられた。

「誰かが決めて、誰かが犠牲にならなければ、このまま放射性廃棄物はたまる一方だということは、わかりますね? 私たち人類は、さらに未来へと文明を進歩させていかなければならない。過去へ戻ることはもちろん、停滞も許されないのです。先住民の文化が、学術的に貴重だとはわかります。しかし、過去と未来を比べるならば、私は未来を取る。進歩をやめることは、種の滅亡にも繫がることだと私は思います。だから、そのための犠牲は必要なのです。コラテラル・ダメージです」

その言葉は、デフォーの心を抉った。まさか知っていてその用語を使ったわけではないだろうが、それは特殊部隊員が救出作戦にかかわる際、必ず1度は悩むもの──やむを得ない犠牲のことだった。そして、デフォーはかつて実際にその犠牲を生み出したことがあった。それがもとでしばらく任務につけずにいたデフォーを拾ってくれたのが、チーム9、ベイカー大尉だったのだ。

「私は、私の信念に従う。100万年先の人類のことを考えて、あえてこの道を選びます。その間に救われる人間の数を思えば、何十、何百の墓標を築くことも厭わないつもりです。私も、その墓標の列に連なる覚悟はできています」

教授の言葉を聞いたデフォーの脳裏に、あの墓の情景が浮かんだ。積まれた石と、差された黄色い花。あれは、パキスタン軍から助け出されたものの、そこで命尽きた捕虜の墓だったのかもしれない。仲間たちはどこか遠くから摘んできたのか、そっと花を供えたのだろう──。

デフォーは、思わず口にしていた。

「その墓に、花を手向けてくれる人のことは考えないのですか」

教授はデフォーの目を見据えて、言った。

「お話は終わりです。皆さんは、軍隊でしょう。軍隊とは、あくまで国益のために存在するもののはずです。そして、皆さんはそのための駒なのです。これ以上何も言わず、任務を果たしてください」

背を向けて、教授が歩み去っていく。

 ──駒。駒か。そうだ、俺たちはただの駒でしかない。だが、駒にだって、それぞれ信じる正義はある。

斉藤 詠一(さいとう えいいち)
1973年東京都生まれ。千葉大学理学部物理学科卒業。現在神奈川県在住。2018年『到達不能極』で第64回江戸川乱歩賞を受賞。

  • 電子あり
『到達不能極』書影
著:斉藤 詠一

衝撃の受賞作なしから1年。

こんな熱量を、興奮を待っていた!
賞始まって以来、最大スケールの冒険ロマン、ここに爆誕!!
第64回江戸川乱歩賞受賞作。

1945年、ペナン島の日本海軍基地。訓練生の星野信之は、ドイツから来た博士とその 娘・ロッテを、南極にあるナチスの秘密基地へと送り届ける任務を言い渡される。

現在と過去、2つの物語が交錯するとき、極寒の地に隠された“災厄”と“秘密”が目を覚ます!

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