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応仁の乱、白村江、大坂の陣、禁門の変。“民”からの歴史観は鮮度抜群!

戦乱と民衆
(著:磯田 道史/倉本 一宏/フレデリック・クレインス/呉座 勇一)
2018.10.02
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本書は2017年10月におこなわれた「日本史の戦乱と民衆」というシンポジウムを書籍化したものである。シンポジウムでは本書の著者となる歴史学者が、多くの史料をひもときつつ、従来の観点とは異なる見地から歴史を語っている。

著者のひとり倉本一宏は、ボブ・ディランの「Only a Pawn In Their Game」を引用している。Pawnとはチェスの「歩」のことだ。ディランがこの曲で主題にしたのは、ある黒人解放運動家が殺されたことだった。実行犯はたしかにいる。だが、そいつは自分の意志でやったわけじゃない。操られ、利用されていただけだ。本当に悪いやつは、ずっと後ろにいる。犯人だって被害者なんだ。ディランはそう歌った。

いつだってそうだ。

この後、アメリカはベトナム戦争に深入りしていくことになるが、そのときだって作戦立案したやつらは後ろでふんぞりかえっていた。実際に手を汚したのは、前線で戦っていた名もなき兵士だ。

戦争とはそういうものだ、という言い方もできるだろう。

だが、歴史はそうであってはならない。ある決められた方式(視点)にしたがうことが、ものごとの見方を画一化させる。それが大事なことを取り逃がすことにつながり、誰かの意図的な改変を受け入れやすくなる。「歴史に学ぶ」こともできなくなる。

本書はあえてPawnの視点に限定することで、新たなGameのかたちを伝えることに成功している。

たとえば、本書で呉座勇一は、応仁の乱ではじめて新戦力として戦場に投入された「足軽」について語っている。

ご存じのとおり、足軽とは甲冑などの重装備をつけず戦場を駆け回った軽装の歩兵だ。しかし、後の世はともかく、応仁の乱では敵に向かわない足軽が多かった。当時の公家はこう書き残している。
「足軽は敵のないところに行って放火や略奪などを行う悪党だ」
呉座は複数の史料をひもときながら、足軽とは略奪をなりわいとする無頼漢であったことを明らかにしていく。戦乱があれば兵隊をやるが、平時は土一揆(金融業者などを狙った民衆暴動)に参加して、放火や略奪をおこなっていた輩。それが足軽だというのだ。逆に言うと、そういう連中をはじめて戦場に投入したのが応仁の乱だったのである。

本書ではほかに、白村江の戦い、大坂の陣、明治維新の戦いにそれまでとは異なった光を当て、新たな歴史観を提示することに成功している。

素晴らしい試みだ。歴史はあらゆる観点から語られるべきである。そう思うのは、ひとつの観点しか持たぬ歴史観の危険性を、身をもって体験したことがあるからだ。

日露戦争の講和のすぐ後、日比谷で民衆暴動が起きている(日比谷焼打事件)。戒厳令がしかれたいうことから類推するに、かなり大規模なものだったことがわかる。同じ時期、他のいくつかの地方でも暴動が起きていた。

ある程度の知識を備えた人間ならば、日露戦争講和は、本当にうまくやったと思うはずだ。あそこで終わらせるなんて、まったく大したもんだ。あれ以上適当なタイミングなんかあるはずがない。しかも曲がりなりにも勝ち戦にした。みごとな手腕だ!

だが、当時の民衆はそう思っていなかった。
「なんでもっとやらねえんだ!」「講和なんかしてんじゃねえよ!」「もっと戦え! ロシア本国に攻め入れ!」
彼らは怒りのあまり、火をつけて暴れ回った。それが日比谷焼打事件のあらましである。すなわち、民衆は戦争を求めていたのだ。政治家や軍部より、ずっと好戦的だった。

この「好戦的な民衆感情」が日中戦争・太平洋戦争を導く大きな要因のひとつとなったことは疑いようがない。

意図してかそうでないかは知らない。この事件は学校じゃ教わらなかった。この事件が語られないと、「戦争を求める民衆」の姿はなかったことになる。続く日中戦争・太平洋戦争は「軍部が独走してはじめた戦争」であり、民衆は「平和を求める被害者」であるという、単純で支配的な歴史観にきれいに接続する。むろん、そういう側面もあったのだろう。しかし、それだけで戦争になるはずがない。軍が独走したのは、民衆の支持があったからだ。民衆は戦争を引き起こす要因のひとつになっていた。

ある歴史的事実をあえて語らないことによって、歴史はねじ曲げて伝えることが可能になる。

見方がひとつしか存在しないのは、望ましいことじゃない。歴史の見方は、いくつもあるのが理想的だ。戦争指導者だけじゃない、一兵卒の視点も加味して眺めることで、戦争というひとつの歴史的事実は豊かになる。

「足軽は単なる歩兵じゃない。平素は略奪の専門家だった」
そういう視点が得られること。それはなんて幸福だろう! 本書がリリースされたことには、とても大きな意義がある。

まー、そんな難しいこと考えなくても、この本はおもしろい本ですよ。

それまでに構築していた常識的な歴史観がくつがえされ、「へーえ、そうだったのか!」と叫ぶ瞬間が何度かあった。読むことで新たな価値観が付与されるのは、読書の醍醐味であります。

  • 電子あり
『戦乱と民衆』書影
著:磯田 道史/倉本 一宏/フレデリック・クレインス/呉座 勇一

歴史書ブームの立役者が集まった!
日本史の風雲児たちによる白熱の討論!

民衆はいつも戦乱の被害者なのか?
白村江の戦い、応仁の乱、大坂の陣、禁門の変……。
民衆はいかにサバイバルしたのか? 戦乱はチャンスだったのか?
『京都ぎらい』の井上章一氏も交え、国際日本文化研究センター(日文研)の人気学者たちが、英雄中心の歴史とは異なる、民衆を主語とした日本史を描き出す。

・日本史上最大の敗戦、白村江の戦いの知られざる真相。
・一揆は「反権力」、足軽は「権力の手先」なのか?
・大坂の陣とアントワープの大虐殺、その相違点は?
・維新後の京都復興を遅らせた金融システムの破綻
・町家を壊しても、祇園祭を守った戦時体制とは?
・略奪はいつ始まったのか?
・民衆の被害に国家は関心を持っていたか……。

話題沸騰の日文研シンポジウム「日本史の戦乱と民衆」に、後日おこなわれた座談会を加えた、待望の新書化!

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/

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