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限定販売され完売した幻の作品が特別版で発売

世田谷文学館開館20周年記念企画として限定販売され完売した幻の作品に、書き下ろしエッセイを加えた特別版!

2018.09.19
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■もうほとんど何もかも終えてしまったんじゃないかと僕は思う。

僕は「こうもり」と呼ばれ、崖っぷちの家にひとりで暮らしながら、石炭を選り分ける仕事をしている。高級な石炭である〈貴婦人〉を見つけ出す天才だった祖父が亡くなり、家と仕事を引き継いだのだ。

机と電話機しか置いていない〈でぶのパン屋〉の固いパンを、毎日食べるようになったある日、公園のベンチで居合わせた体格のいい男のひとに英語で話しかけられた。が、意味はさっぱり理解できない。

長い話の最後に、彼はひと言「おるもすと」と云った。

■刊行記念 吉田篤弘さん特別エッセイ

左側が世田谷文学館版、右側が講談社版の『おるもすと』

未完の本の話のつづき

吉田篤弘

いまから15年ほど前のことです──。

執筆用のノートを整理していたとき、ある1冊のノートのうしろの方に、書いた覚えのない小説を見つけました。

ぼくはいつも小説をノートに手で書いています。小説に限らず、いま書いているこの文章もノートに書いています。

ですが、書いている途中で、ふと別の小説を書きたくなるときがあり、そういうときは──誰が見ているわけでもないのですが──なんとなく、こそこそとノートのうしろの方に書く慣わしになっています。これは学生時代の名残りで、授業中にノートをとるふりをして、うしろの方のページに小説を書いていたのでした。

「何だろう、これは」

書いた覚えのないその小説は、まるで自分ではない別の誰かが書いたようで、それゆえ、つい引き込まれて読み進めるうち、次第に記憶がよみがえってきました。

それは、当時書いていた連載小説を執筆するかたわら、こっそりと書いたもので、「おるもすと」とタイトルもしっかり書き込まれていました。たしか、最初にその「おるもすと」という言葉が頭に浮かび、その言葉から連想して最初の1行を書き、さらにその1行から連想して次の1行を書くという進め方で一気に書いたのでした。

こうしてノートのうしろの方に書かれた小説のあらかたは書いたまま忘れてしまうのが常です。ノートの前の方に書いているのが依頼に応じて書いているものだとすれば、うしろの方に書いたものは依頼もないのに書いてしまったもので、ようするに発表のあてがないのです。しかし、考えようによっては、そのとき、純粋に書きたいものであったとも云えます。

ただ、時間を経たあとで読んでみると、その大半は他愛ないもので、たとえノートを整理するときに発見されたとしても、一読してそれで終わりです。

ところが、「おるもすと」を見つけたときは、「こんなものが見つかった」と家人の前で朗読して読んで聞かせました。すると、彼女がめずらしく、「それ、その先も書いてほしい」と目を潤ませたのです。

それで、つづきを書き始めました。

繰り返しますが、15年前のことです。最初のうちは順調に書き進め、しかし、あるところまできて、はたりと止まってしまいました。その先がどうしても書けないのです。何度も書きなおし、つづきを書こうとして、別の小説のアイディアが生まれるということが繰り返されました。

じつに12年間──。

どうしても書き終えることができなかったのですが、12年目の春に、世田谷文学館の開館20周年記念企画として刊行する機会に恵まれました。未完のままです。

その本は活版印刷による限定出版で、活字の磨耗に耐えうる限度から考えて1400部を刷り、そうした性格の本だったのでほとんど宣伝もしなかったのですが、およそ1年をかけて、有難く完売に至りました。

世田谷文学館版は本文も装幀もすべて活版印刷

今回の『おるもすと』はその限定本に書き下ろしの文章を加えたものです。それだけではありません。前回の出版時と違うのは、未完と思われていたこの小説が、「いや、これで完成なのだ」と納得できるようになったことです。言葉を変えれば、未完成であることがこの小説の完成した姿なのだと作者である自分がようやく気づきました。

このような小説は一生に1度だけのもので、おそらく2度と書けるものではなく、もし、書いたとしても、刊行は15年後です。

いえ、可能性はあるのです──。

というのも、この文章を書いている途中で不意に衝動に駆られ、いま書いているノートのうしろの方に、この文章とは関係のない短い小説を書きました。1週間もすれば忘れてしまうに違いありませんが、あるいは何年か先にノートを整理したとき、「何だろう、これは」と発見されるときがくるかもしれません。

■担当編集者より

吉田篤弘さん・浩美さんの夫婦ユニットである「クラフト・エヴィング商會」の展覧会が、2014年に世田谷文学館で開催され、記録的な入場者数で大成功を収めました。その世田谷文学館が開館20周年記念企画として、限定1400部で2016年3月に刊行したのが『おるもすと』です。ほとんど世田谷文学館のミュージアムショップでしか販売されていなかったにもかかわらず、1年数ヵ月で完売したそうです。

限定版は活版印刷で作られましたが、この度、講談社で普及版を刊行させていただくことになりました。限定版にはなかった、『おるもすと』にまつわる書き下ろしエッセイも収録。付録の小冊子も入っていますので、書店で手にとってみて下さい。吉田さんにとって原点とも言うべき大切な本作を、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

初回配本限定で本にはさまれている特別付録もお楽しみに

吉田篤弘(よしだ・あつひろ)

1962年東京生まれ。作家。小説を執筆するかたわら、クラフト・エヴィング商會名義による著作とデザインの仕事を続けている。著書に『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『モナ・リザの背中』『ソラシド』『台所のラジオ』『遠くの街に犬の吠える』『京都で考えた』『金曜日の本』『神様のいる街』など多数。

『おるもすと』書影
著:吉田 篤弘

もうほとんど何もかも終えてしまったんじゃないかと僕は思う。間違っていたらごめんなさい。

僕は「こうもり」と呼ばれ、崖っぷちの家にひとりで暮らしながら、石炭を選り分ける仕事をしている。高級な石炭である〈貴婦人〉を見つけ出す天才だった祖父が亡くなり、家と仕事を引き継いだのだ。机と電話機しか置いていない〈でぶのパン屋〉の固いパンを、毎日食べるようになったある日、公園のベンチで居合わせた体格のいい男のひとに英語で話しかけられた。が、意味はさっぱり理解できない。長い話の最後に、彼はひと言「おるもすと」と云った。

世田谷文学館開館20周年記念企画として限定販売され完売した幻の作品に、書き下ろしエッセイを加えた特別版!

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