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デビュー作が芥川賞候補になった新鋭、待望の初小説集『蹴爪』

空の祠から、嘘の上塗りから、身体の欠損から、記憶の底からほとばしり出る蹴爪のような言葉の、みずみずしい暴発。圧倒的な弱さが思いがけない強さに転じる瞬間を、まっすぐに受け止めたい。

──堀江敏幸さん

2018.07.24
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■異国の少年たちの物語のはずが、これは、“ぼくたち”の姿だ――。

「蹴爪(ボラン)」

闘鶏場で胴元を務める父親が、悪魔から村を守る祠をつくる責任者となった日から、ベニグノの周囲は少しずつ変わり始めた。幼なじみのグレッツェンの大切な鶏が殺され、島で殺人事件が起こり、地震で祠が倒壊し――。
東南アジアの島の少年を襲う熱くて不穏な暴力を描いた傑作。

「クイーンズ・ロード・フィールド」

13歳で出会ったぼくたちは26年間、いつも地元のサッカーチームを応援するためにスタジアムに通ってきた。苦難を抱えた3人と一緒にいるため、ぼくは嘘をつき続けている――。
甘酸っぱくてやるせなくて、でも忘れたくない、ヨーロッパの島で巻き起こる青春小説。

■刊行記念 水原涼さん特別エッセイ

1989年生まれの水原涼さんは、デビュー作「甘露」がいきなり芥川賞候補となった期待の新鋭です。『蹴爪(ボラン)』は、そんな水原さんの初めての単行本になります。本書に収録されている2作は、ともにアジアとヨーロッパの島を舞台に、少年たちを生き生きと描いています。異国を舞台にした作品たちは、どのように誕生したのか? 著者の水原さんにエッセイをお書きいただきました。

ふたつの場をめぐって
文/水原涼

「蹴爪(ボラン)」について

熱帯性の木々の生い茂った森のなか、だらだらと続く上り坂を歩いていると、左側の木々が突然切れて、その向こうに空き地が顔を出した。柵があるわけでもない、森の木が気紛れに生えるのをやめたようにぽっかりと空いたその空間は雑草で埋め尽くされ、片隅に2、3個の石が、たまたまどこかから転がってきてその場にわだかまったようにさりげない感じで積まれている。ひらけてはいるけれど周囲を木に囲まれているから風はなく、汗を帯びた服はじっとりと肌に張りついたままだった。僕たちはほとんど乾いたままのタオルで汗を拭いて、乱れた息を整えた。

島を訪れたのにたいした理由はなく、ただ南のあたたかい海に浸かりたかったのだけれど、知人にすすめられたビーチは引き潮で足首までの深さしかなく、水を含んで重くなることもなかった水着とタオルの入ったバッグを背負って、1時間に1本しかバスがないから、宿のある集落までの道を同行者と喋りながら歩いていた。30分ほどが過ぎ、変化のない道に飽いてきたころ、どの集落からも離れたそこで、空き地と出くわしたのだった。僕たちはその場にたたずみ、声を潜めて空き地を覗きこんだ。でもそこには話題になるようなものは何もなく、ただ草と石があるだけだ。陽に照らされた空間をこげ茶色の虫が右から左にゆっくりと飛びすぎていく。「虫だね」「虫だ」とだけ言い合って、僕たちはその場をあとにした。

「神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向いあうのだ」。久高島の御獄を見学した岡本太郎は、『沖縄文化論』のなかでそう述懐している。御獄とは(僕の理解では)琉球神道における祈りの場で、岡本はそこに日本の信仰のプリミティヴな姿を見いだしている。そのエキゾチシズムはさておいて、『沖縄文化論』を読んだとき、僕は島で見たあの空き地のことを思い出した。そこには仰々しい鳥居も聖堂も必要ない。草、石、陽光、それさえあれば、人は敬虔になれるのだ。その場所から小説を始めようと思った。

「クイーンズ・ロード・フィールド」について

場が聖性を帯びること。ウンベルト・エーコはいくつかの文章のなかで、サッカーについて語りたがるサッカーマニアを皮肉たっぷりに論じている。競技場はほとんど聖域であって、宗教もイデオロギーも超越した価値を持ち、どんな社会的な運動も日曜日のピッチの上には入れない。

ただ、興奮して全裸になった観客は、イデオロギーに比べて、容易にピッチに乱入する。僕たちは彼らの名を知らない。どんな人生を過ごしてきたのか、なぜその日競技場を訪れたのか、どんな理由で服を脱ぎ、生まれたままの姿で警備員の手の先をすり抜けてピッチに飛び込んだのか、何も知らない。彼らは例外なく、たとえうまく選手に抱きつきおおせたとしても、遅かれ早かれ屈強な警備員に取り押さえられ、画面の外に連行されていく。その後の彼らの人生を知るすべはない。ラグビーの試合に乱入してタックルを決めた彼は、サッカー場に飛び込んで見事なシュートを放った彼女は、いまどこで何をしているのだろう?

いつのことだったか、試合中の競技場に飛び降り、トラックを駆け抜けた男性は、スニーカーと腕時計だけを身につけ、彼の胸には「PEACE + LOVE」と大書されていた。宗教もイデオロギーも超越した競技場で、愛と平和を纏った全裸の男が、満場のブーイングを浴びながら駆け抜ける。それが祈りでなくて何だろう。涙するほどに感動はしなかったけれど、この姿を書きとめようと思った。

そして2作品が生まれた

この本に収められているふたつの小説は、そのようにして起筆された。それが単行本として形をなそうとしているいま、場所も、規模も、風景もまるで異なっている、2作それぞれの中心を成す場は、どこかでつながっているような気がしている。

■新しい才能の想像力に、全国の書店員さんから熱い声!

肌にジリジリと緊張感が伝わってくると同時に、少年ならではの爆発した感情に気圧される!――鶴田真さん(正文館書店)

闘鶏、地震、殺人事件、暴力の連鎖に曝され、アジアの島の熱い空気をそのまま吸い込んだ作品に圧倒されました。――竹腰香里さん(丸善名古屋本店)

行ったことのない国の話だなぁ、入れるかなと思って読みはじめたのに。いつのまにか熱をはらんだ空気、土の匂いに包まれていました。素晴らしい才能だと思います。――山本智子さん(未来屋書店高崎オーパ店)

心にざわめきを、爪痕を残す小説だ!――山田恵理子さん(うさぎやTSUTAYA矢板店)

圧巻かつ斬新な青春群像……これは驚くよりほかにない。豊かな余韻、そして深いメッセージ。極めて上質な翻訳作品を読んだかのような至福の読書体験を味わえた。――内田剛さん(三省堂書店営業企画室)

その次の物語へ挑み続けていく若者の姿勢に心打たれた。――山本亮さん(大盛堂書店)

異国の地を舞台に繰り広げられるドラマは、エキセントリックなのに何故か懐かしい情感を醸し出し、日本で世界各地で、形を変えながら繰り返し起こり得るテーマを扱い普遍である。――井上哲也さん(大垣書店高槻店)

溢れた祈りと苦痛はどこへ向かうのだろう。その答えのひとつがこの物語にありました。――松本大さん(喜久屋書店東急プラザ新長田店)

異国を舞台に描かれた少年たちの物語のはずが、読み進むにつれて、日本に住む僕たちの物語のように思えてくるところが面白かったです。――北田博充さん(二子玉川蔦屋家電)

表題作「蹴爪(ボラン)」と「クイーンズ・ロード・フィールド」、どちらも本好きの方必読の作品です。――多田由美子さん(明林堂書店大分本店)

闘鶏やサッカーが少年達のそばに生まれたときから当たり前に存在していて、切ない彼らの人生に一緒に溶けこんでいる。ちょっと切ない2つの小説。――三瓶ひとみさん(ジュンク堂書店三宮店)

青春の只中、持て余した熱量の行く先。失い、得て、また失う中にも一筋の希望がかすかに光る。つらくて強い1冊でした。――田村知世さん(ジュンク堂書店吉祥寺店)

水原涼(みずはら・りょう)

1989年、兵庫県生まれ、鳥取県出身。北海道大学文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。2011年に「甘露」で第112回文學界新人賞を受賞しデビュー。同作が第145回芥川龍之介賞候補作になる。

  • 電子あり
『蹴爪』書影
著:水原 涼

異国の少年の物語だけど、これは、“ぼくたち”の姿だ――。デビュー作「甘露」がいきなり芥川賞候補になった新鋭が、想像力を飛翔させた待望の初小説集!

闘鶏場で胴元を務める父親が、悪魔から村を守る祠をつくる責任者となった日から、ベニグノの周囲は少しずつ変わり始めた。幼なじみのグレッツェンの大切な鶏が殺され、島で殺人事件が起こり、地震で祠が倒壊し――。東南アジアの島の少年を襲う熱くて不穏な暴力を描いた傑作。(「蹴爪(ボラン)」)

13歳で出会ったぼくたちは26年間、いつも地元のサッカーチームを応援するためにスタジアムに通ってきた。苦難を抱えた3人と一緒にいるため、ぼくは嘘をつき続けている――。甘酸っぱくてやるせなくて、でも忘れたくない、ヨーロッパの島で巻き起こる青春小説。(「クイーンズ・ロード・フィールド」)

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