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最もカッコよく、超難解な本の主張「死に至る病とは絶望のことである」

死に至る病
(著:セーレン・キェルケゴール 訳:鈴木 祐丞)
2017.11.19
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19世紀デンマークの哲学者の代表作の翻訳である。たいへんに難しい本である。

わが国の思想家・三木清の『人生論ノート』は難解をもって知られているが、あの本が難しいのには理由がある。あれは「あえて難しく書いた」本なのだ。

『人生論ノート』は1938年から1941年まで断続的に発表されている。自由にモノが言えない時代であった。三木は「難しすぎてわからないように」書くことによって、同時代の政治、状況、人々の生活などへの批判や提言を表現したのだ。(にもかかわらず、三木は1945年に投獄され、獄中死した)

キェルケゴールには三木のようなのっぴきならない理由があったわけではない。この本が難解である要因のひとつは、「難しいことを言おうとしているので、難しく語らざるを得ない」ということである。

引用しよう。

絶望とは、それ自身に関係する総合の関係における不協和である。しかし、総合それ自体が不協和ということではなく、総合はその可能性であるにすぎない。言い換えれば、総合のうちに不協和の可能性が潜んでいるということだ。

何を言ってるか正確に理解できる人はすくないだろう。わざとわかりにくいところを抜き出したのではない。本書は基本的に、全編この調子なのである。

だがこれは、キェルケゴールの誠実さのあらわれなのだ。

一見やさしくわかりやすく思える記述は、書き手が読み手をあなどっていることから生まれる。このぐらいわかりやすく表現すればわかるでしょ──要するに読者をバカにしてるわけだ。

とはいえ、自分はこれを正しい態度だと思っている。これができていない本はダメな本だとも思っている。

本は商品である。したがって、商品の受け手(=読者)が理解できないような表現をするのは、サービス不足、不親切、思いあがりである。また、難解なことを理解しやすいように表現するのは高度なテクニックを要することであり、特殊技能である。誰にでもできることではない。

もっとわかりやすく言おう。

あなたがその本を難しいと感じるのなら、それはあなたが悪いんじゃない。書いてるやつがヘタクソなんだ。さらに、編集者(制作者)がヘタクソを許したのだ。

悪いのはあなたじゃない、そいつらだ。品質の低いものをあなたに売りつけたんだよ。

ただし、そこからはずれる本もある。たとえばこの本だ。

キェルケゴールは資産家の息子であり、働かなくたっていい身分だった。働いてないのに秘書がいた人である。したがって本を売って儲けようとはまるで思っていなかった。むしろ、出版という手段によって、自分の思想が多くの人に届くことを望んでいたのだ。

本というかたちにすれば、誰かは理解してくれるかもしれない。本書は、瓶の中にメッセージを入れて海に流すような、そんなつもりで執筆されたものだ。

この本は、表現と意味を一対一で結びつけることが難しい。おそらく、100人いれば100とおりの読み方が存在するだろう。

じつは、どんな本だってそうなのだ。小林秀雄が「本にやさしいものなんてない」と言っているのは、そういうことである。

ここに記されていることは、はなはだ浮世離れしている。あなたの生にそのまま役立つことはおそらく、ない。
ビジネス書や啓発書は何か役立つことを教えてくれるだろうし、優れたエンターテインメントは楽しい時間をくれるだろう。この本にはそのどちらもない。

だがここには、生きること死ぬことについて真剣に考察した人の、戦いのあとがある。思考の海がある。現代にこのような思考を求める人がないとすれば、断じて不幸である。人が生まれ死にゆくのは、キェルケゴールの時代からまったく変わっていないのに。

……と、ここまで書いて、自分の周囲にこの本読む人いるだろうかと考えた。
いないような気がした。みんな忙しそうだもんな。本を選ぶなら、もっと即効性のある本を望むだろう。
どうやら、瓶の中にメッセージを入れて流す人は、キェルケゴールだけじゃないようだ。

この本を読むためには時間が必要だ。忙しい人には難しい。しかし、時間をかけてじっくり接するならば、かけた時間に応じた何かを、あなたに届けてくれるだろう。これは、そういう本だ。

ふたつ付言しよう。

本書の文章を、「格調高い」とほめる人がいる。大いに同感だ。内容の充実が、格調の高さを呼び寄せたのだろう。

誰がなんと言おうと、カッコいい書名の第1位はこの本である。『新世紀エヴァンゲリオン』にもこのタイトルを冠した1話があった。庵野秀明さんもカッコいいと思ったにちがいない。

  • 電子あり
『死に至る病』書影
著:セーレン・キェルケゴール 訳:鈴木 祐丞

実存主義の祖セーレン・キェルケゴール(1813-55年)の主著、待望の新訳!
「死に至る病とは絶望のことである」──この鮮烈な主張を打ち出した本書は、キェルケゴールの後期著作活動の集大成として燦然と輝いている。本書は、気鋭の研究者が最新の校訂版全集に基づいてデンマーク語原典から訳出するとともに、簡にして要を得た訳注を加えた、新時代の決定版と呼ぶにふさわしい新訳である。
キェルケゴールは、本書の第一編で、まず人間を普遍的かつ非キリスト教的な視座から描き、人間の特定のあり方が「死に至る病」としての「絶望」であることを明らかにした上で、絶望がさまざまな仕方で具現化されるさまを見ていく。そして続く第二篇では、キリスト教的な視座から人間を改めて捉え直し、その考察を通して、心理学的な概念である「絶望」がキリスト教的な概念である「罪」に変質していくことを指摘する。そうして、その罪がさまざまな仕方で具現化されるさまが描き出されて本書は閉じられる。
このようにして「絶望」と「罪」の精緻を極める診断が行われる目的は「死に至る病」を治療することにあった。キェルケゴールはこう言っている。「この書全体において、私は信頼できる航路標識にしたがって舵をとるように、信仰にしたがって舵をとっている」。そうして読者の一人一人をキリスト教の信仰に導き、「死に至る病」を治癒させること。キェルケゴールが生きたキリスト教世界からは遠く離れた現代日本であるが、人間が「絶望」から無縁ではいられない存在であるかぎり、本書は限りない教えと救いを与えてくれるに違いない。

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。2013年より身体障害者になった。

ブックレビューまとめページ:https://goo.gl/Cfwh3c

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