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類人猿がもたらす史上最悪の災厄とは? 戦慄の仮想進化論『Ank』

2017.10.07
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『Ank: a mirroring ape』は、昨年『QJKJQ』で第62回江戸川乱歩賞を受賞した佐藤究さんの受賞後第1作。超一級のスリリングな近未来パニック小説かつ大胆な着想の進化論で長大な人類史の謎に迫った大スケールの長編小説です。

本書で問われているのは、人類(ホモ・サピエンス)とはなんなのか、ということ。遺伝情報が人間に最も近いと言われる類人猿と、われわれ「ヒト」は、進化のどの段階でどのようにして決定的な差異を生じさせるに至ったのか。「ヒト」は知的に高度な「言語」を獲得した一方で、類人猿はなぜ「ヒト」と同じような「言語」を持たなかったのか。

本書では折に触れて、それらが問われています。読者を深く遠い進化論の旅へと導いてゆくため、むろん簡単に答えなど出るわけがありません。そうした途方もない進化論の闇に光を当てる目的で作中の京都に建造されたのが、世界一の霊長類研究施設でした。

カウンセリング用AIで世界的な名声を手に入れたダニエル・キュイ。彼の出資によって始まったKMWP──京都ムーンウォッチャーズ・プロジェクト(Kyoto Moonwatchers Project)。プロジェクト名の「ムーンウォッチャーズ」の由来は、映画『2001年宇宙の旅』に出てくる猿人(エイプ・マン)のリーダーだそうです。そして、そのKMWPのセンター長に就任したのが、若い霊長類研究者で学術論文『ミラリング・エイプ』を執筆した本書の主人公、鈴木望です。


自己鏡像認識とチンパンジーの行方

望は、類人猿の遺伝子操作や突然変異にはまったく興味がありません。「進化の過程で何が起きてわれわれが生まれたのか」──それだけが知りたい。「われわれ」とは、むろん「ヒト」のことです。そこで望が着目したのが「鏡」でした。より正確にいうと、「自己鏡像認識」能力です。

人間は1歳半から2歳ぐらいまでの間に、この「自己鏡像認識」能力を獲得するそうですが、たとえばシロテテナガザルなどの小型類人猿には「鏡に映っている像は自分」なのだということが、どうしてもわからないそうです。

他方、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンの大型類人猿には、「ヒト」と同じように「自己鏡像認識」の能力がある。小型類人猿と大型類人猿を分け隔てている進化のルート。そこからさらに「ヒト」へと至る進化の分岐点――そもそも「ヒト」はなぜ「言語」を獲得し、人を人たらしめている「意識」を持つようになったのか。

自己鏡像認識にその手がかりがあると考える望は、ウガンダから南スーダンへ密輸されそうになっていた1匹のチンパンジーを、研究用としてKMWPセンターで受け入れることにしました。当初、ジュバCと呼ばれていたそのチンパンジーは、高難易度の立体パズルを造作もなく組み立ててしまいます。望はそれが鏡像行為(ミラリング)ではないかと推理します。「チンパンジー観察史上、類のない高度な同調行動」なのだ、と。望は、高度な知能を持つそのチンパンジーに「アンク」の名を与えました。

古代エジプト語で「鏡」を意味する「ANKH(アンク)」。
そこから「H」を外して「Ank(アンク)」です。


殺戮のウルトラ・ライオット

それからほどなく、KMWPセンターで原因不明の虐殺事件が発生。望が施設内の死体を調べると、職員同士で殺し合った痕跡が次々と見つかります。

常識的に考えて、超一流の科学者同士が殺し合うなどありえない。とすれば、この惨劇の原因は、感染爆発(パンデミック)かもしれない。望はそう考えますが、感染症を確認するためのモニタ表示は「検出なし」。いかなるウィルスも菌も発見されませんでした。

では──原因はなんなのか。やがて、センターから逃げ出したアンクが事件の重要な鍵ではないかと望は疑い始めます。逃走を続けるチンパンジー。アンクを追いかける望。

その間にも、嵐山や金閣寺など京都各地で人々が突然凶暴化。理性を失い、獣になりはて、闘争心むき出しの殺戮行為に及ぶ超暴動(ウルトラ・ライオット)。それら原因不明の暴動による混乱が一向に鎮まる気配を見せない中、物語は、望やサイエンス・ライターのケイティ・メレンデスなど主要登場人物たちの過去と現在を断片的に織り交ぜながら、予測不可能な終幕へと向かって駆け足で滑り込んでゆきます。本書はパニック小説としても間違いなく一級品なのです。


壮大な進化論のオデッセイ

それでいて、やはり本書を知的にも詩的にも彩っているのは、著者オリジナルの進化論の新説にほかなりません。それだけを取り出してみると、おそらくは乱暴で荒唐無稽な話です。しかし著者の広範な知見によって、驚くほど強固な説得力を持たされているのも事実です。この本を手に取った読者は、たちまちその魅力に引きずり込まれてゆくでしょう。

綿密にロジックを重ねた奇想で人類史をさかのぼろうとするこの小説が、前代未聞のウルトラ・ライオットとともに、はたしてどのような結末を迎えるのか。未読の方はぜひ本書を手に取って確かめてみてください。

『Ank: a mirroring ape』は壮大な進化論のオデッセイです。時間を忘れて読みふけるほど、文句なしに面白い1冊でした。

  • 電子あり
『Ank: a mirroring ape』書影
著:佐藤 究

2026年、多数の死者を出した京都暴動(キョート・ライオット)。ウィルス、病原菌、化学物質が原因ではない。そしてテロ攻撃の可能性もない。人類が初めてまみえる災厄は、なぜ起こったのか。発端はたった一頭の類人猿(エイプ)、東アフリカからきた「アンク(鏡)」という名のチンパンジーだった。

AI研究から転身した世界的天才ダニエル・キュイが創設した霊長類研究施設「京都ムーンウォッチャーズ・プロジェクト」、通称KMWP。
センター長を務める鈴木望にとって、霊長類研究とは、なぜ唯一人間だけが言語や意識を獲得できたのか、ひいては、どうやって我々が生まれたのかを知るためのものだった。
災厄を引き起こした「アンク」にその鍵をみた望は、最悪の状況下、たった一人渦中に身を投じる──。

江戸川乱歩賞『QJKJQ』で衝撃の”デビュー”を果たした著者による、戦慄の受賞第1作!

我々はどこから来て、どこへ行くのか――。人類史の驚異の旅(オデッセイ)へと誘う、世界レベルの超絶エンターテインメント!!

レビュアー

赤星秀一 イメージ
赤星秀一

1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。

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