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はあちゅうは「普通の女の子」なのか? 初の小説集で書いた生々しさ

通りすがりのあなた
(著:はあちゅう)
2017.10.01
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5メートル先の普通の女の子

もともと特別なオンリーワンなんていう歌が流行ったこともあるようなこの世界は、その歌をミリオンヒットさせた特別な人たちではなく、オンリーワンの花と言えるような存在でもない、たった5メートル離れれば周囲の風景に溶け込んでしまうような、誰でもない、平凡な、「普通の女の子」たちでできている。

そんな取るに足らないチリたちが、嫉妬しあったり、悪意を持ったり、夢中で崇拝したり、セックスしたりすることで地上は色づき、また退屈すぎて死なない程度には興味深いことが起こることもある。

自らを「ブロガー・作家」と名乗るはあちゅう初の本格的な小説集『通りすがりのあなた』に登場するのは、そういう、ごく普通の感覚で地上の生活を全うする女の子たちである。就職活動後の旅行、短期留学中の異国の地、大学生がもうすぐ終わるという時期の合コンの合間、そういう、特別と言ったらあまりに大げさな、でも確かに存在する日常の合間のちょっとした時間の、これもまた特別と言ったら言い過ぎだけど他人として忘れるには勿体無いような人との関係を、細やかに言葉に落とす。

童貞のくせにと悪態をついたり、この人と寝てもいいと上から目線で思ったり、久しぶりの故郷で生き生きしている同級生を恨みがましく思ったり、言葉にしなければ見過ごしてしまうような些細な心の温度の変化は、確かに実感を伴うような形で私たちの腑に落ちるものである。

その実感を誘うのは間違いなく文章の真摯さだ。細部に配慮が行き届いた正確な言葉選びは、作者が正当な小説を書くというとても勇敢な行為にまっすぐに向き合った軌跡に見える。

欲深いけど常識的で、退屈だけど強かな彼女たちの、大まかに言えば一般的であることを受け入れながら生きる姿は、必然的に作者であるはあちゅうのそれと重なり合う。はあちゅうは平凡であることを拒絶しないまま特別になった女の子だ。

メディア人としての彼女のしてきたことは自分の価値を高め、自分の名前を浸透させ、隣の人より一歩前に出ようとすることに他ならない。他ならないのだが、彼女の佇まいやメッセージは、自分の平凡さから一歩も逃げようとしない潔さがある。

はあちゅうの、あるいは彼女が小説の中に生み出した「彼女」たちの生活は、多くの人にとっては十分に特別で恵まれたものであるのは、彼女たちも承知の事実であろう。彼女たちはその視点に気づく程度には賢いが、それをあえて突っぱねて、自分を特別ではない「普通の女の子」であると頑なに定義する。はあちゅうに向けられる一部の批判は、そう言ったところに由来するのだろうし、「そんなものは、普通じゃない」と言いたくなる人の気持ちもわからないわけではない。

ただ実際のところ、彼女たちは思いの外、一所懸命「普通の女の子」としての日常を全うしている。普通というのは何も万人が認める平均値のことではなく、自分が期待したほど特別な自分ではないことの受容とちょっとした諦め、そしてそこからの「悪あがき」だからだ。

大人になりきる手前の女の子たちの、曖昧だけれどもとても生々しい空気感を捉えた本作は、そのはあちゅう自身の、普通さを普通以上に受け入れる態度を確信するに足るものだと感じる。

収録された「妖精がいた夜」のこの一文が好きだ。

「部屋の中には私の髪の毛が、まるで私が生きている証拠みたいに散らばっていて嫌だった」。

彼女たちは、自分の生活の他の誰かへの入れ替え可能性を十分に感じながら、それでもその生活を生きているのは自分であると時々強く実感せざるを得ない。その事実に絶望せず、誰でもないという事実はちゃんと楽しむに値するものだと捉え直して生きていかなくてはならない。

もっと幼ければ無邪気に信じられた自分の特別さを少しだけ心の中に残しながら、凡庸であることをなるべく恐れずに生きる女の子たちの物語は、似たように、自分の平凡さに気づく程度には聡明で、しかしそこに何の抵抗も感じないほど達観しきれてもいない「普通の女の子」たちの、本棚にそっと置かれてとても馴染む。大きな絶望に立ちはだかれることはなくとも、誰だってかつて夢見た自分の姿よりはほんの少し下に自分の現実を見つけた経験はあるのだから。

はあちゅうの、とても一般的な焦げ茶色のセミロングの髪と、街に溶けてしまいそうな薄手のニットを思い出しながら、私もまた彼女の本を、大学時代に買った本が少しだけ残る自宅の本棚に押し込んだ。

  • 電子あり
『通りすがりのあなた』書影
著:はあちゅう

言葉や距離を超えて築かれる、友達とも恋人とも名づけられない“あなた”との関係。7通りの切ない人間模様を描く、はあちゅう初の小説集!

大学3年の1年間、モラトリアムに逃げこむように香港大学に留学したサホは、マイケルというABC(アメリカン・ボーン・チャイニーズ)と出会う。冴えない自分と、人気者の彼。付き合っているようで、本当のところはわからない。やがてマイケルは、奇妙な「秘密」を漏らすようになって──(「世界が終わる前に」)
ほか、全7編。

レビュアー

鈴木涼美

1983年東京都生まれ。父は舞踊評論家・翻訳家の鈴木晶、母は児童文学者の灰島かり。清泉小学校在学中の10歳〜12歳まで英国で過ごす。明治学院高校卒業後、慶應義塾大学環境情報学部入学。その頃から、横浜・新宿でキャバクラ嬢として働き出し、20歳でAVデビュー。80本近くの作品に出演する。東京大学大学院学際情報学府で執筆した修士論文は後に『AV女優の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』として書籍化される。
大学院修了後、2009年に日本経済新聞社入社。都庁記者クラブ、総務省記者クラブなどに配属され、地方行政の取材を担当する。2014年秋に退社し、現職。夜働く女性たちに関するエッセイや、恋愛・セックスのコラムを多数執筆。
著書に『AV女優の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』のほか、かつての自らを含む夜職の女性たちの恋愛や生活を綴ったエッセイ集『身体を売ったらサヨウナラ』。現在は現代ビジネスのほか、テレビブロス、週刊SPA!などで連載中。また、コメンテーターとしても活動中。

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