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“言葉を弄する怪物”ヒトラーに挑んだ「言論の奇人」がガチで最強説

2017.08.25
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言葉を武器にして世界に立ち向かった男というのが、カール・クラウスをいいあらわすのに一番ふさわしい表現ではないかと思います。この本は特異な言論人、ジャーナリストの日本で唯一の伝記です。

カール・クラウスは1899年から30年以上にわたって個人誌ともよべる評論誌『炬火(きょか)』を編集、執筆、刊行し続けました。この雑誌で発表されたクラウスの文章は強烈な諷刺に満ちた社会批判であり文明批評でした。

彼はまた劇作家としても知られています。代表作には『人類最期の日々』という驚異的な作品があります。
「号外だあー! 皇太子が暗殺されたあ! 下手人は掴まった!」
という新聞売りの声で始まり、
「アニ吾(ア)ガ志ナランヤ」
という神の声(!)で終わる、第1次世界大戦前夜のヨーロッパが舞台となっている戯曲です。この戯曲はなによりもおびただしい引用に驚かされます。新聞、政治家、文化人が当時発言していた言葉を集め、構成しただけなく、一般の庶民の言葉までが広く集められ、戯曲の素材となっているのです。

──巨大な諷刺劇は第一次大戦直前のウィーンに始まり、やがて戦争の拡大につれて旧オーストリア=ハンガリー帝国の至るところ、さらにドイツやフランスやイタリアや東欧に広がって、最後は宇宙的な騒乱と神の声で結審する。登場人物は皇帝や将軍や文学者や新聞記者や政治家や官僚から娼婦や闇商人や町の遊び人まで、あらゆる層をつくしており、しかもその大半が実在した人物である。だが、量やスケールにもまさってもっと驚くべきは作品の手法かもしれない。このドラマはセリフの点で、およそ奇怪な作品である。登場人物は劇の外で自分たちが口にしたことばをしゃべる。まさしく「自分のことば」を口にしなくてはならない。──

クラウス自らがこの戯曲についてこう記しています。

──「当ドラマの上演は地上の時間の尺度では十日余を必要とする。故に、むしろ火星の劇場こそふさわしい。この世の劇場通には耐え得ない代物だ」──

上演すれば10日間はかかるというこの巨大な作品は語られた言葉を集めることで現実を再構成し、戦争という愚劣な歴史を忘れさせないために書かれたのでしょう。

かつて発せられた実際の言葉を再度口にさせることほど、愚劣な現実への諷刺となることはありません。

──「ここに報告されているさながら異常の行為は原寸の写しである。ここに遺されるさながら異常の会話は原尺の控えである、作者は《引用》を唯一の創意としたにすぎない」──

グロテスクな現実を文字通り、目の当たりにさせたのです。たとえば戯曲の中で繰り返される「名誉の戦場」や「聖戦」という言葉、その言葉を口にするものの意図は実は苛酷な戦場への「前線送り」というものでしかないことを、文字どおり(言葉どおり)観衆の前に明らかにしました。それにとどまらず、戦争の大義名分、兵士の顕彰、戦意昂揚のためのプロパガンダの正体、そしてそれにのせられた(のった?)民衆の言葉までががあきらかにされています。

クラウスにとっては世界は言葉の集合体だったのでしょう。そして彼は、腐敗した世界を作り出している言葉に果敢に戦いを挑み続けました、言葉だけを武器にして。

──彼はなんらかの体系なり主義なり観念なりをよりどころにして批判したのではない。ひとえにことばの表現が問題だった。──

このクラウスの晩年にある1人の新たな言葉の使い手が現れました。アドルフ・ヒトラーです。ヒトラーがどのようにして権力の頂点に立つことができたのかは、さまざまな要因があげられると思います。

ですがその1つの要因としてヒトラーの言葉というものをあげてもいいのではないでしょうか。ヒトラーは「目をくらませ感覚を麻痺させる」虚言の使い手でした。キャッチフレーズともいえるような言葉を繰り返し発信していたのです。

クラウスは晩年、このヒトラー(ナチズム)の言語世界へ果敢な闘争を試みました。しかし、その著作は第2次大戦後まで公刊されることはありませんでした。

──「人間の姿をした化け物」がわが世の春を謳歌している時代にあたって、ことばを記すとはどういうことだろう? 「敵」に対抗することばが生まれるとすれば、それは「必然と徒労の間」においてだとクラウスは言う。──

“息を吐くようにウソをつく”ヒトラーという男との闘争は「徒労」と感じてもなお攻撃し続ける意思が必要だということだったのでしょう。

晩年のクラウスは彼の支持者から沈黙を責められたといいます。クラウスはなぜ沈黙したのでしょうか。「徒労感」にさいなまれたのでしょうか。ヒトラーに染まっていく民衆に絶望したのでしょうか。自らの言葉が届かなくなっていく祖国の姿が映っていたのでしょうか。いまある民衆、それが権力者に取り込まれている以上、未来の民衆に言葉を届かせようとしたのかもしれません。

生前、未完だった著作『第三のワルプルギスの夜』は、「徒労」に負けることなく、果敢にウソと虚構にまみれた言葉(=世界)への闘争を未来の民衆に向けて綴ったドキュメントに思えます。

──彼は新しい権力者を迎合する知識人たちのことばを集め、辛辣な注釈を加えた。あるいは情報宣伝相ゲッベルスの発言をことこまかに取り出して、そのウソの宣伝術を分析した。──

言葉だけを武器にしてウソと虚構の世界に挑んだクラウス、彼の生涯をたどることは、言葉が浮遊し続けている日本で、徒労にまけることなく、なにを正すべきなのか、語っている様です。名著です。

  • 電子あり
『カール・クラウス 闇にひとつ炬火あり』書影
著:池内 紀

本書は、稀代の作家・ジャーナリスト・編集者カール・クラウス(1874-1936年)の生涯を描いた日本語による唯一の書物である。
モラヴィア出身のユダヤ人として生まれたクラウスは、1899年にウィーンで評論誌『炬火(Die Fackel)』を創刊する。ヨーロッパがやがて世界大戦に向かう激動の時期を迎える中、クラウスは編集者としての役割を越え、1911年末以降は『炬火』をたった一人で編集・執筆する個人誌に変貌させていった。そうして権力や社会や文化の堕落・腐敗に鋭い批判を突きつけていった『炬火』は常に毀誉褒貶の対象であり続けることになる。
また、クラウスは1910年から定期的に朗読会を開催し、自身のものを含めたさまざまな作品を聴衆の前で読む企てを始める。この会は没年まで実に700回に及んで行われ、とりわけ圧倒的な支持を寄せた若者たちに深い影響を与えた。そして、いよいよ大戦が間近に迫る状況の中、クラウスは反戦劇『人類最期の日々』の執筆に邁進し始める。全5幕219場、登場人物は600人以上に及び、上演すれば10日以上を要すると著者自身が言うこの気宇壮大な戯曲は、皇帝、将軍、文学者、新聞記者、政治家、官僚、娼婦、闇商人、町の遊び人に至るまで、ありとあらゆる種類の人間の言葉を新聞・雑誌などから縦横無尽に引用して織りなされる作品である。
のちに同じ引用の織物による書物を志したヴァルター・ベンヤミンは、クラウスを深く敬愛していたことが知られる。ベンヤミンのみならず、エリアス・カネッティも、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインも、クラウスの崇拝者だった。世紀末から世界大戦に向かう時期のヨーロッパを語る上で、クラウスは決して無視できない存在であることは間違いない。著者が深い思い入れと情熱を注いだ本書は、この知られざる巨人の生涯を鮮やかに浮かび上がらせる。
激動する世界の中で堕落と不安が蔓延するとき、メディアは、そして〈ことば〉はいかなる力をもちうるのか。この根源的な問いに、まさに身をもって答えようとした巨人に触れるべき時が、今、訪れている。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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