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なぜ一流企業は不祥事を繰り返すのか。負の連鎖を止める「恥の意識」活用術

法律より怖い「会社の掟」
(著:稲垣重雄)
2017.06.06
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この本は日本企業が起こした不祥事について、それがなぜ繰り返されるのかを解明したものです。けれどそれだけではありません。企業を越えて日本の政治家・官僚の不祥事も解明できるものとなっています。

繰り返される不祥事、それをもたらしているのは日本人の法意識にあります。この法意識は江戸時代に醸成されたものでした。
──日本も長く儒教文化圏に属してきた。ここでは法と道徳のうち、道徳が日常生活を規制する規範であり、法は問題解決のためにやむを得ないときに登場するに過ぎない。(略)道徳によって社会を治めようとすれば、手段はただ一つ、教育しかない。幼い頃から四書五経を中心に、儒教の徳目が教え込まれた。そして時々、庶民の前に立ち現れる法は、権力者の発する命令に他ならず、人民を守ってくれるようなものではなかった。さらに言えば、法と日常の生活は関係がなかったうえ、法の適用は為政者のさじ加減次第。これでは当時の庶民が、法は関わりたくないもの、嫌なものと思うのはやむを得ない。こうした江戸期の法感覚が、現代のわれわれの法感覚の根底にあると考えてよいだろう。──

しかも戦前の制限選挙下では「ほとんどの庶民は間接的にさえ立法行為に関わりを持つことはなく」、普通選挙後も女性には参政権がなく、大政翼賛会の成立によって「国民が立法行為に馴染む」こともなく戦争へ突入しました。

庶民は法を自分たちを“抑圧するもの”、あるいは“鬱陶しいもの”といったようにとらえていたのです。

これは日本に本来の近代法が根づいていないということを意味しています。法(=ロー)というものを考える時に、たとえば“アウトロー”というものを考えてみます。
アウトローというと日本では無法者、社会(体制)に反抗して独自な生き方、時にカッコいいと思えるような人間を想像しがちです。ですがこれは間違いです。アウトローとは、法の保護をうけられない、市民権を剥奪されたものを指します。つまり市民社会から追放され、誰からもいかなる援助も受けられないもののことです。もちろん義賊などというものではありません。彼我の差は西部劇の悪人と高倉健の違いとでもいえるでしょうか。

近代法とは民衆の生存権、生存の正統性を保障するものです。ですから基本的人権が近代法のひとつの大きな核心となります。近代法は憲法を含めて、その根源に権力者に対して市民生活の安寧と秩序を要求し、保障させるものです。ですから当然ここには民衆の抵抗権というものが認められます。

抵抗権とは、「個人は相互に同意して自然権の一部を政府に委託して国家を作っているのであり、国家は人民の生命・財産・自由といった自然権を守る目的を持ち、その主権は人民にある。政府が人民の自然権を侵害することがあれば、人民には政府に抵抗し、それを覆す権利がある」(ジョン・ロック『統治二論』)とする考え方です。

ところが日本では法は“お上(権力者≒政府)が押し付けるもの”というようにとらえられています。だから法をすり抜けること、あるいは発覚しなければいいのではないかという考えも出てくるのです。法は「相互に同意して」あるものではなく、支配者が統治のために使うものと捉えられているように思えます。

つまり日本は“法治国家”ではなく近代以前の“人治国家”です。“人治国家”が法を運用・利用するのが最悪なのはいうまでもありません。“法”が恣意的に運用されるからです。今の日本にもそのような姿がしばしば見られます。

“人が治める”のなら好ましいのではないか、と誤解されそうですが“人治国家”は“法治国家”より問題の多い社会体制です。“人が治める”とは法よりも人が優先するのですから、とりもなおさず血縁、地縁、友人、知人等が優先されて賄賂や便宜供与等が行われます。最近の「森友・加計問題」や「公人・私人論議」をみるかぎり日本は正統な近代的な“法治国家”とはいい難いよう思います。

しかも「手段と目的」が逆転する風土(!)も日本ではみられます。会社を含めて、組織はある目的を持って活動するはずなのに、組織の存続そのものが目的になることが多いのです。それは組織があたかも自然的・本来的な共同体とみなされるからです。問題はこの組織観が終身雇用に代表されるような日本の企業の特殊性、独自性と結びつき、組織(=会社)の存続が自己の存続と表裏一体のものになっていることです。組織(=共同体)が自分を越えた絶対的なものとしてあらわれることになるからです。

さらに日本人の自我の特殊性がこれに加わります。稲垣さんによれば、
──日本人の自我は対人関係を基礎としていおり、さらに相対的であり、状況に対応して変化するということになる。自分の自我は相手によって支えられているのだから、関係を切らないように努め、できるだけ摩擦を避けようとする。(略)日本人は対人関係の遮断が自我の崩壊につながる。──
それゆえ「無視」が日本人にとって「最も有効な罰則」となるのです。

この自我と組織(の持つ共同性)が組織を維持することを至上とする心性を生み出していきます。そして違法行為と思われるものも、発覚しなければいいという考えが組織の不祥事を生み出していくのです。

では組織はどのような不祥事を起こすのでしょうか。大きく「不正利得獲得」と「共同体維持」とに分けられます。この両者の度合いに応じて7つの類型が挙げられています。「経営効率過剰重視型」「情報の非対称性悪用型」「優越的地位濫用型」「部門暴走型」「共同体死守型」「トップ暴走型」「尊大民僚型」です。「尊大民僚型」とは「公的性格を持つ独占・寡占企業や、長い歴史がある超有名企業」が起こしがちな不祥事のことです。

「問題が明るみに出ても、素人が心配しなくてもよろしい、余計なことを言うなという態度が見え隠れする」というこの尊大民僚型は、そのまま今の日本の政治家・官僚に通じる型だと思います。

このような不祥事はどのようにすれば解決できるのでしょうか。稲垣さんは近江商人の「三方よし」(売り手よし・買い手よし・世間よし)という商売倫理の推奨を始めとして、なによりCSR(企業の社会的責任)を徹底すべきという処方箋を提案しています。

興味深いことに稲垣さんは「恥の概念の再活性化」ということを提案しています。
──「恥」は自負心、自己に対する誇りの存在を前提としている。これは「三方よし」の考え方にも通じる。それゆえ、自負心を土台とする日本人の「恥」の意識を活用することは、他者からの監視という五人組や隣組といった伝統的な統治の思想とは大きく異なる。行動を吟味し、判断を下すのは、他者の視線ではなく内なる自己である。──
こうした「社会規範の内在化」が重要なのです。厚顔無恥な今の政治家・官僚に心にしっかりととどめて欲しい提言だと思います。

私たちは共同体・共同性というものに、気づかないうちにいつの間にか、あるいは進んで従ってしまうことがあります。そのことに気がつく必要があります。さらに“人治”ではなく“法治”へという法意識を持つことが必要です。法は不祥事云々ということを越えて私たちの生活・生命に直接関わることでもあるからです。

私たちはどのように組織(共同体)との関わりを築くべきなのか、それを考える上で知見にあふれた1冊です。

『法律より怖い「会社の掟」』書影
著:稲垣重雄

続く不祥事。それは日本の「風土病」か? 日本を代表する大企業で次々と起こる不祥事。その根本的な原因を、日本人の規範意識、共同体意識などから探るとともに、企業が進むべき新しいCSRの姿を示す。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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