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マイルス・デイヴィスを書き切った。平野啓一郎も惚れた最高の偉人伝

マイルス・デイヴィスの真実
(著:小川隆夫)
2017.04.15
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労作である。
世に音楽本は無数にあるが、本書はその中でも、もっとも手間暇がかかった部類に属するだろう。しかも、かけた手間暇が内容に直結しているのだ。そう、この本は名作でもある。

本書はマイルス伝である。マイルスほどの偉人になると、伝記を制作するために新しい事実はいらない。同じテーマの本は洋の東西を問わず、掃いて捨てるほどある。さらに、彼には自伝だってある。これらにくまなく目を通し、良いところを集めて編めば、「いい本」はつくることができる。中には「この本には新事実が何もない」と看破するやつもいるだろう。しかし、そんなの何人もいないはずだ。いったい誰が、世にあるマイルス伝すべてに目を通すことができるだろう。みんなそんなに暇じゃないのだ。必要なのは新事実ではない。編集テクニックである。

別に悪意があって言ってるわけじゃない。当たり前のことを言ってるだけだ。世には「伝記」と呼ばれる本がいくつもあるが、たいがいそうやって作られている。たとえばエジソンの伝記を作るにあたって、新事実なんかあると思う? それでも彼の伝記は作られ続ける。新しい事実がないからといって、文句を言うやつなんかいないのだ。むしろ大切なのは、その本を読むことによって、読者がどんな情報を得ることができたか、そのことの方だ。その助けとなるのが「いい本」なのである。

ところが、本書は飽和状態である(ように見える)ところに、新しい情報を付加して作られている。

著者はジャズ評論家/インタビュアーとして、多くのミュージシャンに話を聞いていた。ここで得た新情報が、本書に生かされているのだ。かといって過去に出た情報も決してないがしろにはされていない。いいものは引用し、疑わしきは関係者から裏づけを得る。そのうえで情報の取捨選択をおこない、マイルス・デイヴィスという偉人の生涯に新しい光を当てている。

……と、表面的に紹介するだけではこの本のすごさは伝わらないだろう。わかりやすく例を出そう。

たとえばジャズ雑誌などに、「今度アート・ブレイキーが来日するから、インタビューをしてほしい」と依頼される。すると、ブレイキーが1時間とか、取材のための時間をとってくれる。たいがいはプロモーションなので、無償だ。著者はこのときかならず、「マイルスと共演したときはどうでしたか?」と聞いていたのである。本書の「新しい情報」はこうしてもたらされた。

これってじつはものすごいことなのだ。自分は寡聞にして、同じことやってた人を知らない。

まず、依頼元の雑誌は、そんなもの求めてはいない。ブレイキーがブレイキーのことを語ってくれればいいのであって、マイルスのことを語ってくれても雑誌には載せられないのだ。つまり、著者の行動は、「求められてない行動」なのである。

一方、ブレイキーにしてみれば、プロモーションのために時間をとっている。したがって、作品について聞かれるか、自分自身についてたずねられるか、質問はそのどちらかだと思っているだろう。それがどうしてマイルスとプレイしたときの印象について話さなきゃならないんだ? しかも、アート・ブレイキーとマイルスが共演したなんて数えるほどしかないし、何十年も昔のことである。ヘタすりゃ怒鳴られるにちがいない。「俺はおまえのために時間をとっているのに、なんでマイルスのことを話さなきゃならないんだ!」。

おそらく、著者はその覚悟もあって、問いを発し続けていたのである。じっさいに怒鳴られたこともあったにちがいない。その根性もさることながら、それを何十年にもわたって継続した、その意志の強さにも恐れ入る。

著者はジャズ評論家/インタビュアーとしての仕事をはじめたときから、「本書を作りたい」と願っていたという。夢を持って仕事するのは素晴らしいが、実現するとは限らない。この本の出版は約束されたことじゃないのだ。すべてがムダになる可能性も決して小さくない。著者はそれでもこの本のための取材をし続けた。それをさせたのがマイルスへの愛だとするなら、その愛の深さにも脱帽する。

本書でもっとも印象深かったのは、まだイリノイ州からニューヨークに出てきたばかりの田舎学生だったマイルスが、チャーリー・パーカーを求めて夜の街を徘徊するところだ。

パーカーは当時、ビバップと呼ばれるもっともヒップなムーブメントの中心にいた。ニックネームはバード(鳥)。どんな曲でも鳥のように自由に飛翔し、舞い踊ることができたからそう呼ばれた。そのメロディはオリジナルを軽くしのぎ、その曲は同じ骨組(コード)でありながらまったく新たな顔を見せた。

モダン・ジャズは基本的に即興演奏を旨とするが、彼を越えるプレイヤーは今もっていないと言われている。

マイルスはやがてチャーリー・パーカー楽団の一員となるが、ここで「パーカーとしのぎを削ることはできない」と悟ったことが、その後の彼の歩みを決定的にする。

即興はたしかに音楽に翼を与え、生命を吹き込む。だが、単にソロを吹き流すだけでは、その美しさを表現することはできない。パーカーのような天才ならともかく、たいがいの演奏は退屈なだけだ。

パーカーの方法から離れ、異なるアプローチで即興演奏を追求すること。マイルスの挑戦と変遷の多くは、ここに向かって行われていた。本書はその歩みをさまざまな資料や関係者の証言をもとに、みごとに再構築している。

モダン・ジャズはロック/ポップミュージックに比して、作品数が多い。なにしろ即興演奏だから、ミュージシャンが集まって演奏しただけで作品ができてしまうのだ。

この作品数の多さは、ともすればマイナスになる。どこから聴けばいいかわからないのだ。ジャズ名盤ガイドのたぐいがたくさんあるのも、作品数が多いからである。しかし、それが本書にはおおいに幸いしている。本書のスタイルが成立するのは、マイルスがその軌跡をアルバムという形で記録しておいてくれたからだ。まるで、マイルスがこの本のために音を残してくれたみたいだ──そう感じるのは、本書がマイルス伝から離れ、ひとつの作品として独立しているためだろう。

最後に、少々自意識過剰な発言をひとつ。なんでおまえがこの本を云々してんだって思ったやつ、いるだろ? そういうやつのために言っておこう。俺、音楽ライターだったことがあるんだよ。だから音楽本もずいぶん見てるし、マイルスについてわかったようなことも語れるんだ。……どうだい、すこしは安心したかい?

でもね、これだけはわかってほしい。あなたが気にしてることは重要なことじゃない。テキストを書いた人間が誰で、その経歴がどうであるかよりも、この文からあなたが何を得たかの方がずっと重要だ。すくなくとも、マイルスはずっとそう言っていた。

本書でも重要な位置に引用されている彼のセリフがある。白人ピアニスト、ビル・エヴァンスをバンドに迎えたことを黒人ファンに批判されたとき、彼はこう言った。
「もしお前があいつ以上のピアニストを連れてくるなら、オレはそいつがどんな色をしていたってすぐに使ってやる」

文庫解説は芥川賞作家の平野啓一郎さんが担当している。平野さんのマイルスへの、ひいては本書への愛が吐露された、素晴らしいものになっている

  • 電子あり
『マイルス・デイヴィスの真実』書影
著:小川隆夫

「それなら誰にも書けない本を書けよ。なにしろ俺のことは、ずいぶん間違って伝えられているからな。」──マイルス・デイヴィス
マスコミ嫌いで有名だったマイルスに最も近づいた日本人ジャズ・ジャーナリストによる真実の声の数々。マイルス本人への20回近くにおよぶインタビューと関係者100人以上の証言によって綴られた「決定版マイルス・デイヴィス物語」が待望の文庫化!
平野啓一郎氏(小説家)による解説「偉大さと親近感と」収録。

 

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。

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