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講談社社員 人生の1冊【1】『風の歌を聴け』

風の歌を聴け
(著:村上春樹)
2017.03.25
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斎藤陽子 文芸文庫出版部 60代 女

Happy Birthday and White Christmas

村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』は、1979年の群像新人文学賞を受賞した。わたしは、その前年に、文芸図書第一出版部に異動してきて、この小説を単行本化することになった。とても爽やかで今まで読んできた小説とは、全く違った風景がみえた。

Tシャツのイラスト(村上さんの手書きだ)とDJのおしゃべりと神戸の港と、自殺した女の子が印象的だった。この女の子は、やがて『ノルウェイの森』の直子になる。初めて村上さんにお会いしたのは、当時村上さんが経営していた千駄ヶ谷のジャズ喫茶「ピーター・キャット」。おしゃれでクラッシックな内装で、美味しい珈琲があった。

アンティークなテーブルの上には、小さな花が一輪ずつ飾ってあった。流れているジャズは、スタンゲッツ。CDではなくLPですよ、もちろん。

応募時のタイトルは「Happy Birthday and White Christmas」だった。そのほうがよかったのに、と思った。

──鼠はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年は精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしたコミック・バンドの話だった。あい変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない。原稿用紙の一枚めにはいつも、 「ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。」 と書かれている。僕の誕生日が12月24日だからだ。── (本文より)

原題はそこからきているのだろう。

無口な村上さんと話がなかなか続かないので、「誕生日、12月24日なんですか?」と訊いた。

「いや、1月12日」

これにはおどろいた。わたしも1月12日生まれだったからだ。3歳違いの山羊座のA型。

佐々木マキさんのファンである村上さんのために、京都の佐々木さんを訪ね、それ以来、村上春樹さんとの本の旅が始まった。30数年後、山羊座のA型は、片やノーベル賞を噂される大作家となり、わたしはただのオバサンになった。

息子が15歳の時、まったく本を読まない彼が一冊の文庫本を持っているのを見つけた。野球ばかりやって、マンガ以外読んでいるのを見たことがなかったので、不思議に思い、書店の紙カバーをそっと開いた。『風の歌を聴け』だった。

彼は言った。「その本読んだことある? すごいよ、村上春樹さんって、天才だよ! お母さんも読んでみたら!」と。

旅行帰りに新幹線で読むために、京都駅の書店で選んだらしい。薄かったからかもしれない。

うーん、その時の気持ちは、なんと表現したらいいのだろう……。自分の作った本が、息子の最初に出会った運命の本になった。素直に感動。しかし……母親が何をして働いているかを、まったく子供が知らないって、どうなんだろう?

でも、と思う。こうやって、一冊の本が世代を超えて読み継がれていく。なんて素晴らしいことだろう。野球少年は、それから小説好きの青年になった。

『風の歌を聴け』は、そんな思い出の詰まった一冊になった。

  • 電子あり
『風の歌を聴け』書影
著:村上春樹

1970年の夏、海辺の街に帰省した<僕>は、友人の<鼠>とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、<僕>の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。
青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。

執筆した社員

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講談社社員 人生の1冊

斎藤陽子【文芸文庫出版部 60代 女】

※所属部署・年代は執筆当時のものです