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新選組ファン必見! 『この剣が月を斬る』人気キャラ隊士列伝

週刊少年マガジンで人気連載中で、コミックス第2巻が11/17(木)に発売される『この剣が月を斬る』。この物語は、歴史上最強の剣客集団「新選組」の沖田総司を主人公に、少年達の涙と絆の青春時代を描いた作品である。「新選組」のメンバーは、決して最初からスーパーヒーロだった訳ではない。何者でもない自分に悩み、社会に打ちのめされ、それぞれにコンプレックスを抱えながらも、夢を見た。そんな彼らだからこそ、どこまでも真っ直ぐに生きようとした。この列伝を読めば、もっと「この月」が面白くなる! もっと彼らを応援したくなる!【期間限定 第1巻試し読み増量中!!】
2016.11.16
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列伝【一】沖田宗次郎(おきた・そうじろう/後に「沖田総司」と改名)

──父を亡くし「強さ」を求めた天才剣士

  • ■剣の流派 天然理心流(てんねんりしんりゅう)
  • ■新選組での役職 一番隊組長、副長助勤、剣術師範

「時代なんか勝手に終わればいい! 俺は強くなりたい!」

1842年(天保十三年)、江戸に生まれる。幼い頃に父親を亡くし9歳で天然理心流の剣術道場「試衛館(しえいかん)」に預けられ、20歳という若さで免許皆伝・塾頭(じゅくとう/師範の代わりに弟子に稽古をつける役目)となる。近藤らと共に新選組を結成すると、一番隊組長を任され数々の戦闘で活躍する。剣豪揃いの新選組内でも圧倒的な強さを誇る、まさに「天才」であった。

キーワード1「足軽の子」

宗次郎の父親は「足軽」、すなわち下級武士であった。さらに、そんな父も4歳の頃に亡くし、宗次郎は貧しい幼少期を過ごすことになる。この苦しい体験こそが、宗次郎の「強くなりたい」という思いの源にあり、ストイックな剣術修行へと彼を向かわせたのだろう。

キーワード2「池田屋事件」

数ある戦闘の中でも、特に天才・沖田宗次郎の本領が発揮されたのが池田屋事件である。1864年(元治元年)、幕府を倒さんと血気盛んな20人以上の浪士達が、旅宿・池田屋に潜伏していた。新選組は、宗次郎を含むたった4人の隊士だけでそこへ乗り込み、見事討ち果たしてしまう。その時宗次郎の身に、ある衝撃的な事が起きるのだが……。作中でもいずれ描かれるであろうこの事件に、こうご期待!

堀内厚徳先生コメント

沖田と近藤の関係、沖田と平助の関係の面白さに惹かれました。彼を主人公にする事は最初から決めていました。

列伝【二】近藤勇(こんどう・いさみ/「嶋崎勝太」から改名)

──農民出身だからこそ「本物の武士」を目指したリーダー!

  • ■剣の流派 天然理心流
  • ■新選組での役職 局長

「武士とは強い信念を持つ者のことだろう! 生まれや身分で決まるものか!」

1834年(天保五年)、多摩に生まれる。農民であったが、15歳の時に天然理心流に入門するとメキメキと腕を上げ、近藤周助にその腕を見込まれ養子として迎え入れられる。1861年(文久元年)には天然理心流四代目を襲名するのだが、そのわずか2年後、一門を率いて新選組の元となる組織「浪士組」への参加を決め、道場を捨て江戸を出てしまう。そして「局長」として新選組に君臨し、怒涛の人生を歩んでいくのである。

キーワード1「武士もどき」

江戸時代、生まれ持った「身分」は絶対で、農民である近藤が武士になれる可能性などゼロに等しかった。奇跡的に武家の養子となった後も、「元農民」である近藤は幾度となく身分差別にあう事となる。幕府が運営する武芸訓練機関「講武所」の指南役に内定した時も、農民出身である事が分かるや内定を取り消されてしまうのであった。こうして差別に苦しんだ近藤だからこそ、「誰よりも武士らしくありたい」という気持ちが強く、「新選組」結成には並々ならぬ思いがあったのだろう。

キーワード2「集う非エリート達」

自分自身が身分差別に苦しんだからこそ、誰に対しても分け隔てなく接し、他人の才能を認める事が上手な近藤であった。そして、そんな近藤の魅力に惹かれた者達が、次々と試衛館に集っていくのである。下級武士の子である沖田宗次郎、農民の土方歳三、ご落胤(らくいん)である藤堂平助……。決してエリートではない者達が集い、そんな彼らが歴史を動かしていく姿に、ロマンがある。今後はどんなクセ者達が近藤のもとに集うのか、こうご期待!

堀内厚徳先生コメント

「天才」と呼ばれる沖田ですが、きっと沖田も誰かの背中を追いかけていたに違いない。そういう思いから、近藤のキャラクターを考えていきました。沖田の兄であり、父でもある存在です。

列伝【三】土方歳三(ひじかた・としぞう)

──「頭脳」担当の新選組ナンバーツー!

  • ■剣の流派 天然理心流
  • ■新選組での役職 副長

「世の中に絶対 俺を認めさせてやる!」

1835年(天保六年)、多摩に生まれる。農家の末っ子だった土方は、商家に奉公に行ってはすぐに辞めてしまうという問題児だった。やがて天然理心流に入門すると、歳の近い近藤と親友となり、土方もまた「武士になりたい」「世に出て活躍したい」という思いに駆られていくのである。やがて「新選組」を結成すると、サブリーダーである「副長」に就任し、誰も想像しえない「激動の結末」の見届け役となってしまう、数奇な運命を辿る事となる。

キーワード1「武者修行の日々」

運よく武家の養子となった近藤とは違い、土方はずっと農民であった。道場で修行する時間が十分に取れない土方は、薬を売りながら各地を旅し、先々で見つけた道場に飛び込んでは試合を申し込むという、荒っぽいやり方で腕を磨いていく。こうして世の中を知っていくうちに、「いつかでっかい事を成し遂げたい」という強い思いが、彼の胸の内に熟成されていったのである。ちなみに、試衛館では沖田のように「免許皆伝」(技を全て習熟した状態)までは行けなかったというが、武者修行で磨いた「喧嘩剣術」こそが、むしろ後の実戦では役だったのであろう。

キーワード2「鬼の副長」

新選組結成後、土方は隊士達から「鬼の副長」と呼ばれ、恐れられたという。新選組には「武士道に背けば切腹」という厳しい「法度」があった事で知られるが、これを誰よりも厳しく守らせたのが土方であった。武家の生まれではない土方だからこそ、武士の流儀である切腹を重んじることが、一流の武士集団を作る上で不可欠と考えたのだろう。また、局長である近藤を支える為に、自分は汚れ役に徹するという覚悟もあったのかもしれない。

堀内厚徳先生コメント

土方は、類まれなる才能も、何かを成し遂げた実績もないくせに、妙な自信と無敵感だけは持っている男です。ぼくはコイツの気持ちが一番よく分かる気がします。

列伝【四】藤堂平助(とうどう・へいすけ)

──「哀しみ」を背負ったもう一人の天才!

  • ■剣の流派 北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)
  • ■新選組での役職 八番隊組長、副長助勤

「僕をバカにした世の中を 見返してやる!」

1844年(弘化元年)生まれ。伊勢の津藩主(お殿様)・藤堂和泉守のご落胤(らくいん/隠し子)だと自称していたという。北辰一刀流を学んでいたが、いつしか天然理心流の試衛館に出入りするようになり、やがて近藤らと共に「浪士組」に参加する事になる。この時、試衛館メンバーの中では最年少であった。戦闘では真っ先に駆け出す勇気の持ち主で、沖田に負けずとも劣らない剣の才能を持っていたといわれている。後に、宗次郎とは哀しい「別れ」をする運命にある。

キーワード1「ご落胤」

「落胤」とは、身分の高い男性が、身分の低い女性にこっそり生ませた私生児の事である。平助が本当に津藩主のご落胤なのかどうか、確固たる資料は残っていない。『この剣が月を斬る』では、西洋式の軍備を積極的に取り入れた藤堂和泉守が、西洋の女性との間に平助をもうけていた、という独自解釈を加え「ご落胤説」を採用している。

キーワード2「北辰一刀流」

宗次郎や土方と違い、平助は「試衛館」の正式な門人ではなかった。北辰一刀流の道場(作中では「九龍館」)に通う他流派の人間だったのである。それでも試衛館メンバーと行動を共にしたのは、きっと年齢の近い宗次郎の影響があったに違いない。共に父親を知らず、共に剣の才能に恵まれ、共にその才能でもって世の中に爪痕を残そうとした。だが最後の最後で、流派の違いが哀しい「別れ」を生む原因となってしまうのだが、その運命を二人はまだ知らない。

堀内厚徳先生コメント

宗次郎と平助を描く事は、この漫画を作る上での大きな目的・楽しみの一つでした。それから、日本人ではない血が流れているという設定は、「ご落胤」説から想像したものです。

公開期間:2016年11月16日(水)~12月15日(木)

©堀内厚徳/講談社

  • 電子あり
『この剣が月を斬る(2)』書影
著:堀内厚徳

嶋崎勝太や土方歳三ら、(決して模範的な人間とは言えない)兄弟子達と出会い、自分の居場所を見つけられた沖田宗次郎。そんな時、謎の革命家・吉田松陰の出現が宗次郎の心を再びかき乱す……。藤堂平助や斎藤一ら、宗次郎と同世代の剣士も登場し、ますます濃密になる人間模様。名も無き“ハンパ者”達が、社会に爪跡を残すべく剣を抜く。この物語は「時代劇」ではない。退屈な毎日にため息をつく全ての少年達に贈る、「君の物語」。