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社交性あり、社会性なし。ネット民がリアルで陥る「自己顕示欲」の罠

2016.11.03
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自分メモ
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今の世の中、個人発信が花盛り。HPやメールから始まって、ツイッター、フェイスブックなどSNSは有名人も一般人も関係なく始められる。著者はこの急速に発展した環境の中に──挫折しそうなときというのは弱っているときであり。弱っているときは沈黙にも弱くなる。そんなときにできることは、惨(むご)いようだが「黙っていること」であろう。「心が折れそう」とおもったときにまず心がけるべきなのは、ひたすら黙ることなのだ。──

この本の最後にそっと置かれたこの1節がどれほど難しいことなのか、「そうは言ってもねえ……」とため息とがっかり混じりの声が聞こえてきそうな気がします。

この難しさがどこから来ているのかを追ったのがこの本です。書名の『自分のことをしゃべりすぎる若者たち』からは、周囲のことを考えず自分のことばかり話している若者の風潮への苦言かと思ってしまいますが、そうではありません。この本のテーマはなぜ「自己アピール」「自己表現」に追われて(!?)、そのプレッシャーに押されて思わぬ落とし穴に落ちて失敗してしまうのかを追求したところにあります。

しゃべりすぎて失敗しがちなケースには大きく4つのタイプがあるそうです。
1.気配りしすぎて地雷を踏む。
2.効率主義という「正論」がすべて。
3.情報量が多いことが親切だと信じている。
4.自己顕示欲が強い。

杉浦さんによると、この4つのタイプにはこんな心理が潜んでいるらしいと……。
1.心の中にある「気配りができる私」をアピールしたい。
2.違う価値観を否定してしまい、「効率的な自分」をアピールしがち。
3.「情報量の多い自分」=「勉強熱心な自分」をアピールして他人に尊敬されたい。
4.他人の自己顕示欲には寛容ではない。

これらに共通しているものはすぐにわかると思います。「自己アピール」にばかりとらわれて他人に不愉快な思いをさせているということに気がつかないということです。
──就職・転職活動、婚活などの様々な「活動」の中で自己PRが半ば強制されるようになったがゆえに、下手な自己表現をして失敗する人が増えてきているのだ。──

なぜこのようなことがおこりがちになったのでしょうか。「しゃべりすぎる失敗」の外的要因としてすぐ思い浮かぶのはネット社会、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム等のSNSの浸透です。

簡単に情報発信や自己発信(?)できる環境(メディア)の整備・浸透は発信することのハードルを下げましたし、いままで伝わりにくかった情報を開放することに役立っているのは確かです。情報の伝わり方がスキャンダル風だったり批判めいたものになりがちではありますが、なんにせよ情報が開かれていくというメリットはあるでしょう。

ですがその一方で情報の価値とでもいったものの判断が曖昧になってきています。たとえばネット上でしばしばいわれる“炎上”というものも、必ずしも“価値”と認められているものが“炎上”しているわけではありません。逆に“炎上”するから“価値”があると思われているようにみえたりもします。これには「ネット弁慶」呼ばれる人たちの存在が関係しているのかもしれません。

この「ネット弁慶」とは「ネットの感覚をリアルに持ち込むネットどっぷり人間」のことを指しています。杉浦さんによれば彼らの発する「内輪ネタが外野を不愉快」させたりして、「社会でとても迷惑で鼻につく存在となっている」そうです。

ですが、注意しなければならないのは現在の「ネット弁慶たち」が決して「冴えない人間」ではないということです。
──ネットのコミュニケーションがSNSに移行すると社交性が高く容姿に優れた「ネットどっぷり」の人たちが台頭してくる。彼らは社交性を活かしてネットの中で華麗に自分をアピールし、そして、オフ会で友だちを増やしていく。(略)現在のネット弁慶たちはネットの中での成功体験を肥大させ、その感覚をリアルで他者に押しつけるのだ。──

彼らにあるのは「社交性=人付き合いが好きなこと」であり、乏しいのは「社会性=社会生活を営むことができる資質・能力」なのです。これはそのまま「しゃべりすぎて失敗する原因」ともなっています。そしてそれはそのままネットの危険性へと繋がっていきます。
──ネットの真の危険性は炎上ではなくて、妙に社交性が高い人がネットに逃避して、そこで完全に満たされてしまい、現実世界でダメになっていくことである。──

もう一度最初の問いに戻ります。なぜ「自己アピール」「自己表現」が求められ、そのプレッシャーに押されて思わぬ落とし穴に落ちて失敗してしまうのでしょうか。

おそらく、ネット社会の発信環境が整備された中で“発信自体が価値”と考えられ、ナイーブな自己顕示欲が肥大化し、社交性が優先されて社会性が乏しくなるということで生じてきているのでしょう。ここでは安易に“自己承認”を求めがちです。ここでは社会性を伴った「自己アピール」「自己表現」というものが(本人はできていると勘違いしても)できずに、実は何が求められているかを理解できないことになっているのでしょう。

社交性を気にしていることもあり“黙っていること”に我慢できず、不用意な発言・振る舞いをしてしまうこと、それが自己表現と勘違いしてしまうこと、それが「失敗の原因」を増やしているのだと思います。

──なぜ沈黙を破ってしまうのか。相手にあわせることその場をしのぐのに楽だからである。──

失敗は社会性と社交性の混乱がもたらすものだったのです。であるならば最後に問題としなければならないのは“沈黙”に耐える力(?)を持つということになります。
杉浦さんは営業マン、キャバクラ嬢との対話の中で彼ら彼女たちが身につけた「沈黙力」というものに着目しています。ナンバーワンホステスとのやり取りではこの「沈黙力」こそが彼女をトップにしたということがよくわかります。さらにいえば「沈黙力」はネガティブなものではありません。「他者を許容する力」をうかがわせるものでもあります。

ネット社会になってますます重要性を増してきた「コミュニケーション力」と「表現力」、社会性と社交性の混乱という落とし穴に陥らないためには「(社会的)価値判断」と「他者を許容する力」というものが大事だということを心から感じさせてくれた1冊でした。

  • 電子あり
『自分のことをしゃべりすぎる若者たち 』書影
著:杉浦由美子

フェイスブックやツイッターの波及により、やたらめったら自分のことをしゃべる場が増えた今日この頃、「自己喧伝が成功の秘訣」との風潮も強まる中、むしろ「うまく自分についてしゃべらないといけない」というプレッシャーを感じている人も多いでしょう。とはいえ、「能ある鷹は爪隠す」「口は災いの元」という格言もあるように、マヌケな自己アピールは、かえって失言や失敗のもととなる。20~30代目線で現代カルチャーのゆがみを突く著者が、豊富な取材エピソードから、「しゃべりすぎ」の失敗事例を紹介し、本当に賢いインターフェイスの処し方を伝授。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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