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【世界最強】老衰ご褒美あり。江戸は超高齢のエコ社会だった!

2016.08.20
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江戸時代を初期、中期、後期と分けたとき、誰を代表人物とするかによって時代のイメージが異なるのではないでしょうか。主だった人を対比してあげてみると……、

初期:徳川家康、徳川家光、徳川綱吉、柳沢吉保vs.井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門、菱川師宣
中期:徳川吉宗、荻生徂徠、田沼意次、松平定信vs.石田梅岩、大田南畝、平賀源内、朱楽菅江、宿屋飯盛
後期:徳川家斉、徳川家慶、水野忠邦、井伊直弼vs.恋川春町、山東京伝、十返舎一九、式亭三馬、為永春水、上田秋成、曲亭馬琴、良寛、与謝蕪村

幕末を除けば、このような人たちがあげられます。この対比で後者のほうにあたる下流武士(!)と町人(武士以外をひとまずくくって称するとこうなります)の活躍が「お江戸日本」を「世界最高のワンダーランド」にしたのです。

前者では田沼意次だけは開明派として評価が良くなりましたが、残りの前者の人たちは武士=支配階級を疑うことなく、幕府草創期のやり方を縮小再生して幕府の困窮、ひいては悪政をもたらしたように思います。柳沢吉保、徳川家斉は奢侈で有名ですが……あとは質素倹約をモットーとした堅い頭の持ち主で、しかも強権派です。

つまりvs.の後者の人たちがワンダーランドの創造者で、そのワンダーランドを楽しんで(というと少し語弊があるかもしれませんが)生きたのが町人たちでした。もっとも、創造者といっても、政道批判が過ぎると獄門にかけられたり、遠島、死刑という目に合った人も少なからずいます。それでも彼らがいなかったら江戸は世界に名だたる大都市であり平和(一応)都市であり文化都市にはならなかったと思います。

この本は江戸文化論というだけでなく江戸暮らしのドキュメントを読んでいるようです。町民の生活のいきいきとしたさま、彼らの心意気や度胸だけでなく食生活(出汁について)や、はては江戸のコンビニ事情までも詳説、歯切れのいい文章でぐいぐい迫っていきます。

もちろん支配階級の武士(大名)たちがどんな暮らしぶりだったのか、その気苦労までも追っている筆致は痛快至極で、ここもまた読み出したらやめられないおもしろさにあふれています。

江戸が効率の良い循環都市でエコ社会だということはよくきかれますが、同時に超高齢化社会の最先端の都市でもありました。なにしろ「生涯現役」社会だったのです。
──江戸時代の武士に定年退職はなかった。とくに将軍にお目見えのできる身分である旗本にしても、将軍へのお目見えはできない御家人(ごけにん)にしても、将軍家の家臣として奉公している武士たちの勤続は、青天井だった。──

家督を譲って隠居ができたのはごく一部だったのです。
──早期引退は、そこまでの出世が狙える身分と(少なくとも自己評価では)能力を兼ねそなえたエリートたちのあいだでだけ通用する話だ。江戸時代の武士が早期引退したケースの大部分は、単純にお家の長としての責任を跡取りに譲って、まさに裃(かみしも)を着けずに自由に暮らしたいという欲求から発したことだったのだ。──

家を守ろうとする限り(お家大事)、隠居するにも資格(!?)や身分があったのです。畢竟(ひっきょう)江戸の武士の大半は楽隠居など夢のまた夢、ずっと奉公し続けることになっていたのです。

長い奉公の先にはこのようなこともあったそうです。
──かなりおおくの藩が、八〇歳や九〇歳を超えた存命者には、武士、町人、農民を問わず「老衰ご褒美」という名目で表彰し、扶持米(ふちまい)を支給する制度を導入していた。水戸藩では、この支給年齢を七〇歳以上にしたら、あまりにも該当者が多くて藩財政に対する負担が重すぎ、八〇歳以上に変更せざるをえなかったらしい。──

この高齢者社会は日本人におおきな贈り物を残しています。それが「豆腐」であり「和出汁」です。
──ようするに歳をとって歯が悪くなって、ものをきちんと噛めない人の人口が激増したのだ。(略)そして、歯が弱い人間にも食べやすい食材を使った料理が増えると、高齢で歯が弱くなっても食べものの栄養分を摂取しやすくなり、ますます長命の人が増える。この好循環が続いたことで、和食の世界にもうひとつ非常に大きな変革がもたらされた。それは、「飢餓感を紛らわすためではない満腹感」を演出する調理法の発達だ。──

それが出汁(だし)というものでした。
──健康を保ったまま高齢化する人たちが増えていた。その人たちは、新陳代謝のペースが緩慢になり、もう若いころほどの量を食べる必要がなくなっていた。そこで、少量でも満足感の高い食事をするために、和食の出汁が開発されたのだろう。──

生活に根ざした“知恵”が息づいていた江戸時代というものでした。この生活の知恵は太平がもたらしたものだったのでしょう。身分を固定した江戸時代、それがある種の町人には「支配階級にもぐりこむことが採算の合わない生き方だった」と感じさせたのです。
──江戸時代の庶民の大半は、「人を説得する言葉の技術を身につけて支配階級にもぐりこんだところで、今よりたいしていい生活ができるわけではない。一方、気苦労のほうは、今の何倍、何十倍になるだろう」というきわめて経済合理性の高い判断を下した。──

比喩めいてしまいますが自らの足で日本図を完成させた伊能忠敬の生き方は、江戸町人の優れた生き方の典型例(理想)だったのかもしれません。この本や、小説『四千万歩の男』(井上ひさし著)を読むとそう感じてしまいます。実家の商家を引退した“定年後”の生き方としても伊能忠敬には今の私たちの参考(手本)になることが多いのではないでしょうか。

豊かさを持った江戸の“ワンダーランド”の精神は今もどこかに生きているのでしょうか。それを考えなおすことも、この本が教えてくれたことでした。
──「老衰ご褒美」という表現、初めて見たときには奇異な感じがしたが、だんだん味わいのある言葉遣いだと思えてきた。まず、現在国民の祝日のひとつになっている「敬老の日」のように「老人を敬(うやま)いなさい」という押しつけがましさがない。そして、「老いれば衰えるのは当たり前であって、衰えが来るまで持ちこたえたことを褒めて野郎じゃないか」というすなおさが感じられる。──
“ワンダーランド”の精神はこのようなところにも生きていたのだと思います。エコな循環都市であった江戸は生活文化を手放さず成熟していた都市でもありました。そこには私たちの未来への大きなヒントがあるように思います。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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