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奇蹟か知恵か? 入浴シーンは?『その可能性はすでに考えた』待望の続編!

2016.08.13
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昨年9月に刊行されるや、瞬く間に話題となった『その可能性はすでに考えた』。その待望の続編が『聖女の毒杯』です。肝心の内容はというと、結婚式で盃を回し飲みした8人(と犬)のうち、3人(と犬)が毒殺される、というもの。毒殺は人の仕業か、はたまた伝説の聖女による「奇蹟」なのか。
 
前作が「首なし聖人」。今回が「毒殺の聖女」です。扱う「奇蹟」の題材としては、もしかしたら前作の方がスケールが大きいかも。しかし、その面白さは甲乙つけがたく、僕の場合は、前作と比べて明らかにパワーアップしとるやないか! と感じましたが、他の方はどう読まれるでしょうか。もちろん前作も相当面白いんです。どっちが好きかは結局のところ趣味の問題なのですが、とにかく僕好みの作品だったのは間違いなかったわけで、非常にテンションが上がっております。つきましては、いきなりですが、クイズを出しますけれど、いいですね? 

問題。次のふたつの文章は誰のお言葉でしょうか? 

──論理においては何ひとつ偶然ではない。あるものがある事態のうちに現れうるならば、その事態の可能性はすでにそのものにおいて先取りされていなければならない。──

──論理的必然性のみが存在するように、ただ論理的不可能性のみが存在する。──

わかりましたか。30秒以内に答えてください。……正解は、哲学者の、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889-1951)先生ですッ! 上の文章は、彼の著書『論理哲学論考』(野矢茂樹:訳 岩波文庫)からの引用でした。

それにしても、どうしてまた唐突にウィトゲンシュタインなのかと言いますと、それは当然、あれですよ。レビュアーたる僕の、露骨な知的アピールのためですよ。決まってるじゃないですか。どさくさにまぎれて、インテリと勘違いさせる腹積もりなんです。……嘘ですよ。『聖女の毒杯』が面白かった上に、あれやこれや凄かったので、テンションが上がりすぎて、暴走してるらしい(まあ、よくあることです)。
 
もっとも、『論理哲学論考』が好きなのは本当でして。ただ、深い次元で理解しているわけではないので、僕なんかが安易にウィトゲンシュタインを語った日にゃあ、そりゃもうとんでもない考え違えや浅学をさらしつくして、ひたすら恥をかくこと請け合いだ。それはそうなんですけど、まあね……、好きなものは好きなわけで、『論理哲学論考』はたまに読み返したりします。
 
昨年あたりからはそのたびに『その可能性はすでに考えた』シリーズの名探偵、上苙丞(うえおろ・じょう)の青髪が、ぼんやり脳裏を掠めてゆく。あれ? 上苙とウィトゲンシュタインって、なんか微妙に似てたりするような……というほぼ確実に間違ったことをつらつら考えてしまうのです。反対に、もしウィトゲンシュタインがいま生きていたら、『その可能性はすでに考えた』シリーズをどんなふうに読んだのかなあ、なんてことを連想したりも。

『論理哲学論考』の訳者解説によると、
──「私にはどれだけのことが考えられるのか」、これが『論考』の基本問題である。思考の限界を見通すことによって思考しえぬものを浮き彫りにする。ウィトゲンシュタインはそこに二つのことを賭ける。ひとつは、哲学問題が思考不可能な問題であることを示し、いっさいの哲学的お喋りに終止符を打とうとする。もうひとつは(略)──

上苙の基本的なスタンスも、これにちょっと似てるような、と思ってしまうわけです。前作を読まれた方ならご存知でしょうが、上苙の目的は「奇蹟の証明」です。非現実的な現象がまさしく非現実的な現象そのものである──すなわち正真正銘の「奇蹟」なのだということを証明するために、彼は、あらゆるトリックが不成立であることを立証しようとします。トリックとロジックの百花繚乱。「知的お祭り騒ぎ」とでも言いたくなる推理の緻密さとバカミスっぽさが最高なのですが、それにつけても上苙がやっていることは不毛です。どう考えても骨折り損。しかしそれこそが、上苙を上苙たらしめ、それなくしては、このシリーズの名探偵たりえない。なんでまた、そんな妙ちきりんなことになっちまったのかと思われる方は、ぜひ、前作『その可能性はすでに考えた』からお読みください。

で、その上苙さんですが、性懲りもなく今回も「奇蹟」と信じて疑わない。それが、レビュー冒頭に書いた「回し飲み毒殺事件」。物語は、犯人が逮捕されないまま、やがて中国裏社会の女ボスが所有する船上での知恵比べに。上苙は、のべつ幕なしに出てくる推理とトリックを厳密な論理で反証していきます。そしてすべてを否定し終えたとき、彼はついに「奇蹟」の存在を証明しちゃうのか──というのがやはり本作の醍醐味なのですが、それに加えて、僕からもうひとつ。

──「帰りに温泉でも寄るか、フーリン」──

これですよ。おそらくはこの台詞周辺のくだりこそが、『聖女の毒杯』のクライマックス。僕がレビュー冒頭からハイテンションなのは、おおよそこれのせいです。
 
フーリンというのは、中国黒社会(ブラック・チャイナ)出身の金融業者で、上苙は彼女に億単位の借金をしている、というのは前作からのファンなら常識ですが、グラマラスな美女でもあるフーリンと上苙の関係が、引き続きどうもよくわからない。債権者と債務者といった単純な関係とは思えないし、深い男女の仲という気もしない。実に、もやもや──していたところ、なんとここに来て、「温泉でも寄るか」。若い美男美女が、ふたっりきりで温泉に……! これで何も起こらなかったら、それこそ「奇蹟」、というか、やっぱりそんな仲だったんですか!? それならそうと可及的速やかに教えてくれたらよかったのに。フーリンのことが好きだった……(でも、ふたりはお似合いだから、むしろ付き合ってほしい)。

毒殺は聖女の奇蹟か、それとも人の知恵の産物か、という肝心の事件の謎はちゃんとつまびらかになります。そこは安心していいです。しかし、より重要かと思われるフーリンと上苙の関係が、なんと、わからずじまいで終わるので、著者の井上さんはいけずと思ってしまいました。井上さん、ごめんなさい。

……で、温泉ですが、本当に行ったんですかね? 行ったとして、続編が出るなら、ふたりがその後どうなったのか、ぜひとも描いていただきたいなあ。ふたりの入浴シーンを冒頭に持ってきてそれぞれのファンに買わせる、という手もありかと思います。大丈夫です。その可能性はすでに考えていますから。考えた上で、買いますよ、僕は。

レビュアー

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赤星秀一

1983年夏生まれ。小説家志望。レビュアー。ブログでもときどき書評など書いています。現在、文筆の活動範囲を広げようかと思案中。テレビ観戦がメインですが、サッカーが好き。愛するクラブはマンチェスター・ユナイテッド。

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