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【真説】相手が分かる、とは? コミュニケーションの正体が見えてくる

2016.07.27
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武道家であり仏文学者、倫理学者でもある内田樹氏と『オニババ化する女たち―女性の身体性を取り戻す』で知られる疫学者・三砂ちづる氏とがさまざまなトピックについて縦横に語った対話(対談)集です。どんな語り口かというと……たとえばエイジングで……。
──歳の取り方、エイジングの仕方が明治以降の世代からあとだんだん下手になってきてる。どんどん下手になっていまに至っている。老婆が厚塗りしたり、薄物まとって素肌をさらしたりするのって、無惨な感じがするでしょう。(略)きれいに歳を取っている人が減ってきて、無惨な年寄りが増えてきた。歳の取り方にも伝統的な方法があったはずなんだけれど、たぶんそれが伝わっていないんですね。──

内田さんの実に直截な発言です。それを受けた三砂さんはというと……、
──枯れていく時のメソッドというのは、次の世代に継いでいくこと、でしょうね。自分のことばかり考えていると、枯れられませんからね。どのへんで、自分の人生はもう「たたむ」方向に踏み出してあとは次の世代に任すか、ということでしょう。──

この「たたむ」を受けてでしょうか、三砂さんは、着物着用を勧め、「着物を着ると上手に枯れることができそうです」と続くかと思うと、内田さんはこう返します。「体形が崩れてきたほうが、着物は型になじみますからね。肩が落ちて、下腹が出てきたほうが絶対似合うし」と。

実に息の合ったユーモアあふれる対話です。この雰囲気はまるごと1冊続いています。笑話だけの本ではありません。取り上げられたトピックは、武道、結婚、出産はもとより、着物、教育、貨幣、地域社会まで実に多岐に渡っています。もちろん身体についてもとことん語られています。

この本の魅力、楽しみかたはふたつあります。ひとつは個々のトピックスについておふたりの知見と創見があふれた言葉を知ること。たとえば「いやな感じ」や「貨幣の本質は運動」というように具体的な“知”をたずねることです。もうひとつは、この本全体に流れている“何か”を感受することではないかと思います。

さて、おふたりのいう「身体知」とはどのようなものでしょうか。それは身体と脳という二元論、「脳の司る知的活動」に対置(対抗)する「身体の司る知的活動」というものを指しているのではありません。
──「身体知」は「身体が行う知的判断」や「身体から発信されるメッセージ」を意味する。そして、それが「知的判断」や「メッセージ」である限り、判断を吟味し、メッセージを解読するのはすぐれて知的な活動であり、それに脳が介在しないということはありえない。──

内田さんは次のようなことも語っています。「脳が介在しない純然たる自律的な身体経験」には「人間的境位ではほとんど意味がない」と。
そして身体はあることを私たちに気づかせてくれます。

──自分の目の前にいる人の身体的実感は、実際には私たちの理解も共感も絶している。「あなたの身体の内側で何が起きているのか、あなたが身体を通じて何を感じてるのか、私にはわからない」という無知の自覚がむしろ身体について語るときの前提に置くべきことだろうと私は思っている。──

もちろん身体的な「快・不快」というものも重要ですし、そのことが意味するものも語られています。けれどもより重要なのは絶対的な他者がそこにあるということです。そしてその他者に対してどうふるまうかという問題があらわれます。

それはコミュニケーションという問題です。
──コミュニケーション能力が高い人というのは、「何を言っているのかわからないメッセージ」であっても、それをちゃんと「聴き取って」、「返事ができる」という能力なんですから。(略)明確なメッセージをきちんと送受信するのがコミュニケーション能力が高いと勘違いしている。そういう人たちは意味がわからない言葉に関しては耳をふさいでしまう。──

勘違いしている人たちはなにを見落として(聴きそこねて)いるのでしょうか。それは「ノイズ」というものです。「他者が発する『ノイズ』を『声』に変換して聴き取るという、強引な力業」が内田さんの考えるコミュニケーションの本質です。ここで注意しなければならないのは、自分の既知の言葉に安易に翻訳するということではないということです。お互いの「わからなさ」を大事にするということだと思います。

ですからこのような対話の感想が出てくるのでしょう。
──語彙レベルでお話している内容を理解しているわけじゃないんです。響きといってもいいし、倍音といってもいいし。意味はよくわかんないけど、とりあえず「わかる」という反応が身体レベルで起きている。とりあえずはそれでいいと思うんですよ。身体でわかるはずのことなら、そのうちきっと頭でもわかるから。──

この本の大きな特徴は、安易な共感・共鳴の対話に終わってしまうことなく、“分かる/分からない”ということを曖昧にしていないところだと思います。お互いに相手の言葉を傾聴しながらも、それと自分の言葉の差を安易に埋めないというだと思います。対話とはこうあるべきだというすぐれた手本です。

内田・三砂さんがこの本を通して私たちに見せてくれた、この姿勢ともいうべものは極めて重要なものだと思います。“同調圧力(=世間の目、多数者への恐怖と遠慮、おもねり)”に陥りやすい私たちにとって見習うべき姿勢ではないでしょうか。これこそが自分の足で立つということにつながるのではないかと。

──私たちはこの対談企画の場で、じつによくおしゃべりした。私たちがそのおしゃべりに熱中したのは、「あなたの言う通りの身体の感覚を私も有している」からではなく、むしろ、「あなたの言うような身体の感覚について、私は今はじめて聞いた」と私たちが感じたからであり、それらの言葉をきっかけにして、私たちそれぞれの身体の中に新しい未聞の記号的文節が始まったことを愉しんでいたからと思う。──

これこそが“新しい知”の発見ではないでしょうか。読むたびに姿を変えて“新しい知”に気づかせくれる、万華鏡のような本だと思います。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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