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目覚めると、青が消えていた──才能と商業に揺れる色彩の旅

COLORS
(著:カスヤナガト)
2016.07.26
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この小説を書いたのはイラストレーター、カスヤナガトさん。『植物図鑑』(有川浩)、『神様のカルテ』(夏川草介)のような現代作品や、夏目漱石の『坊っちゃん』のような名作、学術書、そして数多くの広告など、多彩な分野で活躍する人気イラストレーターです。

主人公の北崎琢磨もまた、イラストレーター。年齢も著者と近い。そうするときっと、著者自身の人生の経験が投影されているのだろうと思うのですが、実際、北崎が交わすクライアントとの依頼や修正、納品のメールのやりとりなど、「デジタルの冷たさが、逆に生々しい」という矛盾したリアリティがあって、はっとさせられます。

しかし物語は、不思議な展開と交錯を見せていく。専門学校を卒業し、絵で食べていくことを志した北崎。もちろんその道が平坦であるはずはなく、細々とした可能性をたぐっていくことになるのですが、やがて出会いに導かれ、彼は職業として、あるいは職人として、プロへの道を歩んでいった。

だが、やがて30歳を越えた彼は、夢の女性と邂逅する。そしてその度に色彩を失っていく。青や緑、赤と色を失っていくのではなく、なくすのはCMYK。印刷技術で用いられる色の表現方法で、シアン(青)、マゼンダ(赤)、イエロー(黄)、そしてキーカラーの黒の4つです。

視野から色が失われる。それはイラストレーターにとっては致命的な事態。心から愛した色彩を、なぜ喪失していくのか。彼は切実で痛切な謎をひとり背負って、ある人の旅の道筋を自分もまたたどろうと決めました。


(描き下ろしの章扉イラストからも、徐々に色彩が喪われていく――)

同じ重さの金属球をいくつも並べてぶらさげる。そして端の球をはじくと、反対の球がおなじようにはじき出される。「ニュートンのゆりかご」ですが、これをもし反対の球の質量を軽くした場合、球は予想もしない速さとリズムで動き出します。

「青春」はこれに似ている。大人であれば、ありきたりの反応しか見せないことでも、思いもよらぬ形で反射し、思いもよらぬ軌跡を描く。

もしかすると20代とは、社会に出て、きちんと予想どおりの反応を見せる人になっていくプロセスなのかもしれません。

北崎は、絵で食べていこうとしていた。その目標は実践していたのですが、引き換えにしてしまったものはなかったか。商業イラストレーターとしてクライアントと向き合い、そのオーダーに応える。その営みで身につけた技術は、それを「才能」と呼んでいいものだろうか。そもそも「才能」ってなに? 

自分自身の創作ではなく、あくまで他者の表現を形にする職業。そこで発揮されるのは、表現者の能力というよりも、むしろ立派な社会人としての処世術ではないか。だが、それも悪くないのかもしれない。

もっと昔なら、彼は思い切り苦悩してもよかったでしょう。商業としての表現を捨てて、もっと破滅的な生活に転落してみるのもアリでしょう。

しかし今は現代。最高の技術は商業に集まり、表現を続けていくには、社会性も必要な時代です。「無頼派」の季節ではありません。商業的なオーダーに応え、むしろその世界でこそ自分の腕を振るっていく。それが現代の表現者。

だがそれって実は、どれだけマーケティングの感性に優れようとも、クライアントとのコミュニケーションに秀でようとも、あくまで優れた技術者であって、表現者ではないのでは?

そんなことを思い返す余裕は、本来どこにもありません。なぜならこの世界、まずは食べていくことに必死。そんなこと思い悩んでいる余裕はないのです。だけど本当の答えはどこかにやはり“あるのかもしれない”。

答えのない迷宮の中に迷い込んでも、まずは目の前の仕事、仕事。でないと食えない。そうこうするうちに歳を重ね、出口を探していたことすら忘却してしまう。それでよかったのか。私には、北崎の運命はそのことを問い直す旅のように見えました。

彼がたどり着いた世界。その炸裂に、読んだ人は、文字で書かれものでありながら怒濤のイメージに全天球を包まれることでしょう。

そしてもうひとつ。カスヤナガトさんの描くヴィジュアル作品を目すると、そのカラフルな色彩、その人物の表情、魅力的な体の線に、「圧倒的な才能を感じる」と言いたくなります。しかしこの小説を読むと、そんな感じで「才能」なんて言葉で呼んですませてしまう訳には行かなくなる。描き手の生身の遍歴が感じられて、よりいっそう、ストーリーがあふれだす。そうした「キーピース」としてもオススメです。

レビュアー

堀田純司

作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に〝中年の青春小説〟『オッサンフォー』、 現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証言集』では編著も手がける。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。

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