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救世主イエスが造られた暗黒面──吉本隆明が評論「マタイ伝」の正体

マチウ書試論・転向論
(著:吉本隆明)
2016.07.17
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戦後最大の思想家、吉本隆明の初期論考を集めたアンソロジーである。中でも重要とされるのは『マチウ書試論』。吉本の仕事を5つあげろといわれたら、多くの人が推すだろう作品だ。

本書に収録された評論を制作しているとき、吉本は組合闘争に身を投じていた。要するに左翼運動であって、その中にあって共産党の影響力はたいへん大きなものだったといわれている。それゆえ、この時期の吉本の作品には、共産党批判が色濃く織り込まれている、とされる。
 
それはそうなんだろうな、と思う。戦前・戦中を通じ、日本は国をあげて右に傾いていた。敗戦を境に左翼思想が力を持つのはいわば当然のことだろう。また、当時はソビエトも中国も、人類が国家をあげて取り組む壮大な実験と認識されていた。人間がある考えに基づいて国家を築く。素晴らしいじゃないか。応援したい、荷担したいと考えない方がおかしい。したがって、意識的な思想家はたいがい左翼思想を抱いていたし、それに影響を受ける学生たちの多くも左翼的な考えを持っていた。吉本はそんな学生たちに熱狂的な支持を受ける思想家であった。彼の著書を読むことが、進歩的な知識人であることの証明だったことがあるのだ。

しかし、現代の読者にとって、その事実はアクチュアリティを失っているのではないか。たとえば共産党だ。吉本が戦った相手である。その戦いの軌跡を否定するつもりは毛頭ないが、たいがいの人にとって、共産党は昔すごく強かったんだよ、へー、で終わってしまうような、そんな話である。ソビエトは昔、希望の国と考えられていたんだよ。へー。そんな例はいくつもある。
 
むろん、戦後の思想史について学ぶ必要がないわけじゃない。それを専門にして研究している方もいらっしゃるだろう。そうした方の営為まで否定するつもりはない。しかし、この時期の吉本の仕事を、戦後のある時期の思想を表現したものとして、しまいこんじゃうのはとてももったいないことだと思うのだ。こんなにおもしろいのにさ、読まねえのかよ。残念だなあ。
 
『マチウ書試論』の「マチウ書」とは「マタイ伝」のことである。すなわち、『マチウ書試論』とは、「マタイ伝論」あるいは原始キリスト教を述べたものだ。ここで吉本は、イエスをジェジュ、ヨハネをジャンと呼んでいる。なんでもフランス語読みだそうで、ここに吉本のペダンチズムを見る人もいる。たぶん、そういう側面もあるんだろう。
 
だが、吉本本人も語っているように、マタイ伝をマチウ書と呼び、イエスをジェジュと呼んだのは、単にカッコいいからだけではない。イエスと呼べば、どうしたって彼を厚く信仰している人を思い起こさずにいられない。それを避けるために、マタイ伝をマチウ書と呼び、イエスをジェジュと呼んだのだ。言いかえれば、『マチウ書試論』は、信仰を捨象するところからはじめたキリスト教論なのである。

『マチウ書試論』で最初に突きつけられるのは、マタイ伝は誰かが書いたのであり、イエスはその中で造形された人物だ、ということだ。『マチウ書試論』ではそれが丁寧に、幾多の論証をもって語られていく。しかも、吉本はマタイ伝の作者の手腕を決してほめてはいない。「ほとんど読むにたえない幼稚なもの」と述べ、「多くは旧約聖書からの剽窃から成り立っている」と語っている。要するにマタイ伝とは、あっちこっちから盗んできてまずい手つきでつないだ、文学作品としてはB級品です、と語っているのだ。
 
しかし、これを歴史の中で生まれた思想の書として見たとき、まったく異なる相貌を表してくる。救世主イエスはなぜ造形されねばならなかったか。彼の行状は多く旧約聖書の抜粋から成り立っているが、旧約の数あるエピソードの中で、そこが選択されたのはなぜか。パリサイ人や律法学者はマタイ伝で口汚くののしられているが、それはどうしてか。マタイ伝を歴史的な思想の書としてとらえなおすと、多くのことが見えてくるのだ。

こうした見方は吉本のオリジナルではなく、アルトゥル・ドレウスの先駆的な研究があるという。しかし、日本人にこうした見方の存在を示したのは間違いなく吉本だ。
 
マタイ伝がパラノイアックかつゆがんだ思想で成立したことを知れば、多くの人は気が遠くなるだろう。いったい、どれほど多くの事跡がキリスト教に負っているだろう。どれほど多くの人が、キリスト教の影響のもとで生きたろう。現代においても、某国をはじめとして、その首長を選択するのにさえキリスト教が重要な意味を持っている国はいくつもある。そのはじまりは、こういう形だったのだ。だとすれば、人間って、歴史っていったい何だろう?

これを読んだあとで、キリスト教を信仰するのはとても勇気がいる。逆に言うと、こうした書物が多くの人の感情的な批判にさらされずに存在でき、それを享受できるのは、日本人ならではと言えるかもしれない。

『マチウ書試論』は、信仰を取り去ることにより、マタイ伝を思想の書、歴史の書として見ることでわかることを述べた論である。
 
昔の学生たちは、これを闘争のための思想の書として受け取った。しかし現代人は、これを虚心に、とてもユニークなマタイ伝の研究として受け取ることができるのだ。おそらくは、吉本もそれを望んでいるだろう。

吉本の重要な論考に『共同幻想論』というのがあるが、あれも『遠野物語』と『古事記』のとてもユニークな研究書だとしてみれば、新たな光が当たるのかもしれない。すくなくとも、今吉本を読むならば、そういう態度で接するべきだろう。得られるものはとても大きいはずだ。すくなくとも、往時の左翼学生よりずっと。

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。

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