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死刑執行まで、書き続けた手紙。自分はどこで間違ったのか?

2016.05.31
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ある日、検察官のもとに1通の手紙が届きました。それは彼が捜査検事時代に取り調べた男・長谷川武からのものでした。強盗殺人容疑で取り調べをうけた彼は検事に進んで自白し、罪を認めました。そして検事は死刑を妥当として取り調べを終えます。検事が求刑したとおり、彼は1審で死刑判決がくだされ、控訴、上告と裁判が続けられましたが、死刑が確定します。(のちに執行されました)

この長谷川からの手紙には検事・土本武司へのお礼の言葉が記されていました、最初に死刑を求刑したにもかからわず、なぜ彼は感謝の言葉を記したのか、この疑問をさぐることからこのドキュメントは始まります。

土本はどのように長谷川に接したのでしょうか。罪を素直に認めた長谷川の目には検事の姿は「警察での厳しい取り調べの中でたった一人、高圧的でない態度で接してくれた優しい目をした検事さん」と映っていたのです。

後に書かれた手紙で長谷川はこうも綴っています。
──ぼくがもし生れ変る事が出来、職業を選べと言われたら、絶対、検事さんの様な“職”には進まない積リです。何故なら、現在の検事さんの心情が身にしみてよく分かるからです。ではどんな職業に付くかと言われたら、これは簡単です。ぼくは自分が今までやって来た仕事をもう一度やってみたいのです。ぼくが歩んで来た道をもう一度やってみたいのです。ぼくが歩んで来た道をもう一度、踏み返し、何処でどう間違ったのか、納得のいく所まで自分自身、見極めたいのです。──

ここにうかがえるのも、検事への感謝の気持ちと素直に罪に向き合う長谷川の姿です。かつては、「自分が死ねばいいのだ」と考えていた長谷川でしたが、時を経るに連れて「改心したうえで処刑されていくことが理想」と考えるようになっていきます。その心の変化の中で綴られた手紙です。

長谷川は経師屋の長男として生まれましたが、早くに父を亡くし、厳しい母親のもとで育てられました。苦労を重ねながらも腕のいい自動車工としてきまじめすぎるほどの仕事ぶりをみせていた長谷川。けれどある日突然「迷惑をかけるから辞めたい」と辞意を告げ、工場から去って行きます。事件の2ヵ月前のことでした。

自殺を考えながらも犯罪に手を染めた長谷川。彼の心のうちにあったのはなんだったのでしょうか。そして「何処でどう間違ったのか」……。そこに影を落としているのは母親との関係でした。
──母親はすすんで愛情を示そうとはしなかったようだ。自分がしっかりと愛された記憶を持たない子どもは自分が大人になったとき、今度は自身の子どもを愛することが難しいとも言われる。(略)息子を愛していないわけではなかった。しかし彼女は自分の中に確かにある武への愛情を「伝える術」を知らなかった。大切なものは、すべて、母子のうちにあった。しかし彼らは、それを伝えあうことが出来なかった。──

母親もまた不幸な環境の中にいたのではないか……それを堀川さんは取材の過程で知ることになったのです。この長谷川家の不幸を記すくだりは読むものの胸を苦しくさせます。

母親との間で悩む長谷川。悩みを抱えながらも誰にも打ち明けることができなかった日々。長谷川の同級生のこのような回想が述べられています。
──自分の苦しい、ギリギリ一杯になった心のうちを、ただ誰かに聞いてほしかった。ただ、聞いてくれるだけでよかった。簡単なことのようだが、それが出来ず何年も苦しんだ。すぐ側にいる家族にすら心を裸にできなかった。この相手の話をただ聞くという存在のことを、清水は“吸い取り紙”と表現した。あの時の彼は、ぼくに“吸い取り紙”を求めていたのではなかったのだろうかと。──

事件を起こす前、長谷川が訪ねた同級生の清水が上のような言葉を堀川さんに残したそうです。
あるいは長谷川は土本の中に“吸い取り紙”を感じたのかもしれません。それが感謝の手紙を書かせたのでしょうか。さらに進んで自白したのも、長谷川の言葉に土本が真摯に耳を傾けているように感じたからかもしれません。癒されない孤独を抱えて生きてきた長谷川の日々がこの本のページのあちこちから浮かびあがってきます。

裁判官の心証を形成づけたといわれる『日記』、これは1件目の強盗を犯してから書き始められたもので、『犯罪日記』と呼ばれていました。裁判では日記を記すこと自体に「悪質で異常、犯罪を面白がり人命を軽視している」と目されました。けれどこれは「唯一、自分の心のうちをぶつけることの出来るもの」だったのかもしれなかったのです。現物はもはや処分され、確認するすべはないのですが……。(長谷川は強盗、窃盗、強盗、強盗殺人の4件の事件を起こしていました)

なかば開き直ったように罪を認め、死刑を望んでいた長谷川の心に変化が訪れます。それは新しく弁護人となった小林健治との交流が生んだものでした。「自分が死ねばいいのだ」から「改心したうえで処刑されていくことが理想」という思いへの変化、それは40通以上に及ぶ小林弁護士への手紙からうかがうことができます。「ぼくが今、一番残念と思うのは、ぼくのやったことが、ぼくのすべてをもっても償い切れない無念さなのです。ぼく一人ではすまされなかったことなのです」と。

死刑確定後の獄中、執行を待つ日々の中で彼はどのように生きたのでしょう。「長谷川武は死刑囚として独房に身を置き、『生』と『死』、そして『母』に向き合いながら手紙を書き続けた」のです、獄中で飼うことになった文鳥を愛おしみながら。

堀川さんが明らかにした彼の“家族の歴史”を知るにつれ、読むものの胸にやりきれなさがつのってきます。なぜこのような事件が起きなければならなかったのかと……。

人はなぜ罪をおかすのか、罰とはなにか、刑とはなにかを読むものに問いかけるノンフィクションです。死刑がなぜ存在するのか、それを何度も繰り返し考えさせるものでもありました。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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