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若冲、すげえ。神が見えている。でも、人も学も女も酒も無い。

若冲
(著:辻惟雄)
2016.04.24
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NHK-BSプレミアムで『若冲ミラクルワールド』という番組を放送している。2011年に放映した4回シリーズの再放送で、そうとは断っていないが明らかに東京都美術館で開催している若冲展(http://jakuchu2016.jp/)に合わせたものだ。

ナビゲーターは嵐の大野智くん。大野くんはとにかく若冲が大好きだそうで、押しつけられて引き受けたのではなく、みずから買って出た仕事だということがよくわかる。

興味ぶかいのは彼の反応だ。あらかじめ用意されたテキストを読み上げるのは司会者だから当然として、彼みずから発語したと思える言葉がとてもおもしろいのである。「すげえ」と「なんで」ばっかりなのだ。おまえそれじゃナビゲーターつとまらんだろ、と画面に向かってツッコんだ人はたくさんいるだろう。

テレビ番組には編集がつきものだから、このシーンは明らかに残したものだ。つまり、大野くんの「すげえ」や「なんで」は放映すべきものと判断されたのである。

なぜそう思ったか。番組編集に関わった誰もが、大野くんの「すげえ」と「なんで」に同意していたからだ。もっと言うと、ほかに言葉がなかったからだ。たぶん、私が大野くんの立場だったとしても、同じことを言っただろう。

若冲の絵に接すると、誰もが言葉を失う。「すげえ」以外、言いようがなくなる。そして「なんで」だ。これを補うならば、「なんでこの人は、こんな絵を描いたんだろう」となる。

番組の眼目は、NHKが保有する超高性能カメラで若冲の絵を撮影すること。すると、おもしろいことがわかる。キャンバスとなった絹の地が驚くほど大きく表示されるような高倍率に拡大すると、たとえば赤色の中に小さな黒い点が打ってあることに気づくのだ。こんな点、肉眼では絶対にわからない。たしかに、その点があることで赤の色は変化するだろう。しかしその変化は、きわめて微細なものである。肉眼では認識できないのだ。

大野くんでなくても、「なんで」と言いたくなる。要するに、こんな点なくたっていいじゃねえかと思ってしまうのだ。にもかかわらず、若冲はこの点を打った。「なんで」?

その理由は、本書にふれることでわかる。

当時の画壇では、まず山水画、続いて人物画、動植物を描いたものはその下、とハッキリとした序列があった。そのくせ若冲はなぜか、動植物ばかり描いている。山水や人物はすくない。どうしてだろう。

彼の言葉で、こんなものが残っている。

「現代の画家は、画から画をこしらえる。物を直接描こうとする者に会ったことがない」

山水を描こうとすれば、どうしても模写をせざるを得ない。若冲は模写を潔しとしなかった。絵は、物そのものを描かなければならないと思っていた。「なんで」?

当時の僧侶が、若冲の画を評した言葉がある。

「その画業、神に通ず」

物には、神が宿っている。若冲は、生き物をじっと眺めることにより、そこに息づく神を──生命の息吹を──見て取り、それを描かねばならないと考えていたのだ。それが若冲にとって「描く」ということだった。

「神」という宗教的な言葉を使わなければ、大野くんの「すげえ」になることはおわかりだろう。また、認識できないほど小さな点を打ったのも、それが「物そのもの」を描くためにどうしても必要だったからだということがわかる。人がそれを認識できるかなんて、どうだってよかったのだ。

だったら人物画でもいいんじゃないの、と思う人もいるだろう。人物画は基本的に、モデルになる人を目前にして描く。動植物を描くのと同じように、生きているものを見て描くのだ。それで動植物画より格上とされるなら、その方がいいじゃないか。

しかし若冲は、人物画をほとんど描かなかった。これは筆者の想像だが、たぶん若冲は、動植物を描くようには、人物を描けなかったのではないかと思っている。

若冲は、京都の大商の旦那だった。旦那の主な仕事は、旦那衆の寄り合い(金持ちばかりが参加するサロンみたいなもの)に顔を出すことだが、若冲はこれがいやでいやで仕方がなかったという。丹波の山に隠れたという伝説すらある。隠れたのは大げさだとしても、寄り合いに顔を出すこと、人と会うのが苦痛だったのは事実だろう。

文字もロクに書けないほど勉強が嫌いだったというし、芸事のたぐいは何をやってもダメだった。女も好きじゃなかったし、酒も嫌いだった。人づきあいも苦手だった。

要するにデクノボー。それが若冲だ。

彼は絵筆をとってこそ「すげえ」のだが、それ以外のことは一切、できなかった。社会生活を送れない人だったのだ。

そういう人に、人物を描くことができるとは思えない。とくに、彼の描き方は対象をぶしつけに「見る」ことを必要とする。相手に人格があると思えば、そんなことは不可能だろう。彼が動植物ばかり描いていたのはそのためだ。見ても絶対に失礼にならないものを、飽かず眺めて描く。神が見えるまで眺める。それが若冲にとっての「絵」だった。そこには、動植物にだって山水や人物と同じように、神が宿っているんだ、という思想も表現されている。デクノボーだった彼の境涯を考えあわせると、いよいよ興味深い。

若冲の作品には神がいる。

「すげえ」。誰もがそうつぶやかずにいられないはずだ。

本書は、若冲の代表作をカラーで紹介しつつ、その生涯や影響関係などについて述べた良書である。

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。

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