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【女たちの暗い欲望】美醜に執着、憎悪剝き出しの傑作『累』

累 —かさね—
(著:松浦だるま)
2016.04.23
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醜く生まれついた少女が美しい顔を手に入れる。

それは夢のような出来事だが、条件を1つ加えるだけで悪夢に転じてしまう。醜い少女が美しい顔を手に入れる。「ただし、他人と交換することで」――松浦だるまの『累』は美醜に振り回される女たちの繕わない欲望を描き出した物語だ。

主人公の淵累(ふちかさね)は、絶世の美女にして大女優であった淵透世(ふちすけよ)の娘でありながら、あまりにも醜い顔でこの世に生を受けてしまった。大きく裂けた口は周囲の負の感情を誘発し、幼い頃から容赦のない悪意を浴びせられる。醜い顔がもたらす深刻なマイナスは累の人生を大きく歪ませた。しかし彼女は母から2つのものを受け継いでいた。演技の才能、そして不思議な口紅である。

小学生の累はクラスメイトからの推薦で「シンデレラ」の主演女優として抜擢される。それは「あの娘に恥をかかせてやろう」といういじめの一環ではあったが、これをチャンスと考えた累は必死で練習を積んだ。だが運命は彼女に酷だ。母の形見の口紅を塗り、本番で見事な演技を披露した累は、その演技に嫉妬したいじめっ子に舞台から引きずり降ろされる。

「私の顔では母の娘だと証明することすらできない」(1巻p27)いじめっ子と自分との容姿の差に絶望した累は昏い欲望を抱く。その顔が欲しい。美しい顔が。累は衝動的にいじめっ子にキスをした。形見の口紅は効果を表し、累といじめっ子の顔が入れ替わってしまう――そうして他人の顔を奪い、持ち前の演技力を生かして舞台に立ったとき、累は「美しいものを称賛するまなざし」を知った。自分の顔では絶対に得られないものを。

顔の交換はやがておぞましい結末に至り、累は形見の口紅を封じる。しかし、あの舞台の輝きや美しい顔のもたらす効用を諦められるものだろうか。もちろんそんなはずはなかった。成長した累は母を知る演出家羽生田(はぶた)と出会い、その演技の才と口紅の力で演劇の世界へ羽ばたいていくことになる。「淵累」としてではなく、奪い取った顔の持ち主の名で。



筋書きとしては不思議な力を得た女優のサクセスストーリーと言えるだろう。醜い娘がパートナーから顔を借り、母譲りの圧倒的な演技力で成功を収めていく。そこに顔を交換する者同士の思惑が絡み、秘密を狙う者たちが累を追い詰める。口紅のギミックを利用したプロットは毎回の引きの巧さもあって、毎回毎回目が離せない。特に野菊(のぎく)という累とは対照的な「美しく生まれながらも不幸な人生を歩んだ」女が登場してからは、常に緊迫感をはらんでいる良質なドラマを観ているようで、憎悪が運命の輪を回すサスペンスとしても面白い。

だが、それでも『累』は筋書きよりは執着によって、理性よりは暗い欲望によって傑出した作品である、と筆者は思う。思考の過程を追えているためなのか、つい受け入れてしまいがちだが、岐路に立たされた累はときに人として許されるラインをたやすく踏み越える。根底にあるのはその顔より醜く、しかし切実な願いだ。累と関わった人間の末路を思うと、持ち得ないものへの執着はどれほど人を狂わせるのだろうと嘆息せずにはいられない。

さて、『累』という作品の魅力について語ったところで、元ネタにも触れておこう。淵累というキャラクターの醜さは主に顔の造形に、中でもその大きく裂けた口に依っており、彼女はしばしば外出時に口元をマスクで隠す。その姿から筆者が最初に抱いた印象は、昭和後期に流行った都市伝説「口裂け女」だ。地方によって微妙にバリエーションは違うのだろうが、マスクを取って「私、綺麗?」と問いかける妖怪にも、おぞましさと同時に美への執着を感じずにはいられない。とはいえ『累』の直接的なモチーフは口裂け女ではなく(もちろんそのような都市伝説のイメージも重なってはいるのだろうが)、実話を元にしたとされる江戸時代の怪談『累ヶ淵』だと明かされている。

筋書きはおおむね次の通り。下総国羽生村に住む百姓が、ある日後妻の連れ子である「助(すけ)」を殺した。顔が醜く、足が不自由であったからだ。翌年生まれた子供「累(るい)」は殺したはずの助とそっくりで、まるで「助がかさねて生まれてきたようだ」ということで「かさね」と呼ばれるようになる。成長した累は谷五郎(やごろう)という流れ者と結婚したが、助と同じように醜さを理由に殺されてしまった。

累の復讐が始まる。谷五郎の後妻たちはことごとく亡くなり、6人目の妻との間に生まれた菊(きく)の口からは谷五郎を糾弾する言葉がこぼれる。下総国の弘経寺に滞在していた祐天上人(ゆうてんしょうにん)はこの怪事を聞きつけ、菊にとり憑いた累を成仏させた。すると、菊にはふたたび何者かの霊が憑いた。それは助の霊であった。上人は累と助の関係を知るや、助を成仏させる。

江戸時代には様々な作品のモチーフとなった累ヶ淵であるが、『累』においてはキャラクターの名前や関係性にその影を落としている。ただ、おどろおどろしさや怨みの連鎖を元の怪談から受け継ぎながらも、『累』はただの換骨奪胎では終わらない。描かれるのはあくまで「淵累」という女の物語、美醜という人類普遍の問題に振り回される激動の人生だ。醜く生まれついた累の口からは暴力的な力強さで憤怒が叩きつけられる。彼女に対しては不愉快な現実感とともに嘲笑・嫌悪・侮蔑が向かう。口紅の秘密を知る協力者、羽生田でさえ累を演劇の世界に引き込むために容赦のない「真実」を口にする。「美しい者への"賞賛"と"自信"! その醜悪なツラでは絶対に味わえないはずのものだ」(1巻p180)。怪談を元にした人間関係はこれらの激情を紙面に叩きつけるための舞台であり、『累』はやはりその土台や骨組みよりは、その上で繰り広げられる憎悪の応酬によって輝きを放っているように思われてならない。



地獄めいた人生を嫌悪する彼女の心にも、美しさへの羨望にも、取り繕うところはない。口紅のギミックを利用したプロットで読者を絡めとり、剥き出しの感情を叩きつける『累』は、まさしく我々が目を背けたい真実を突きつけてくるのだ。

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レビュアー

犬上茶夢

ミステリーとライトノベルを嗜むフリーライター。かつては「このライトノベルがすごい!」や「ミステリマガジン」にてライトノベル評を書いていたが、不幸にも腱鞘炎にかかってしまい、治療のため何年も断筆する羽目に。今年からはまた面白い作品を発掘・紹介していこうと思い執筆を開始した。

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