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知の巨人・宮内悠介のSF6連作。「現実と非現実の境界」を描く!

彼女がエスパーだったころ
(著:宮内悠介)
2016.04.20
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宮内さんの該博な知識に支えられた強固な作品が収められています。なによりも作品世界をとことん計算しつくして構築するその強靱な力に圧倒される作品集です。

SFというともともとはサイエンス・フィクションの略でしたが、いわゆるニュー・ウェーブの登場後、思索、考察を意味するスペキュレーティブ・フィクションであると呼ばれるようになりました。ちなみにニュー・ウェーブには、J・G・バラードの『結晶世界』やブライアン・W・オールディスの『地球の長い午後』、ハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(映画『ブレードランナー』の原作です) などがあげられます。

SFではニュー・ウェーブというジャンルは一時、聞かれなくなりましたが、それが扉を開いたスペキュレーティブ・フィクションは今世紀になってまた注目されるようになってきました。

この宮内さんの作品もいわゆるSFというよりスペキュレーティブ・フィクションと呼ぶのがふさわしいように思います。収録された6本の連作が描いているのは「現実(リアル)」と「非現実(イルージョン)」の境界にある世界というものです。

ジャーナリスト(のちに収録されたある事件に関わって失職してしまいます)の語り手の「わたし」が出会った6つの事件、そのどれもが現在の科学ではとらえきれないように思えるものでした。作中人物のひとりがこう言っています。「疑似科学に踊らされることなく、この事態に冷静な、適切な対処をいたしましよう」(「百匹目の火人」より)。けれど人は、そして「わたし」は踊らされることがなかったのでしょうか……。

「わたし」が出会った6つの事件はどれもこの〝疑似科学〟とよばれるものに翻弄されたものだったのです。日本全国各地で一斉に〝火〟をおこすようになったニホンザル。それは共時性(シンクロニシティ)のあらわれとして日本中を熱狂させました。さらに火を扱うようになったサルは人間の家屋に放火するという騒動にまでなりました。自衛隊まで出動する騒ぎは、読みようによっては人間対サルの闘いという滑稽じみたものにもなりかねません。けれど宮内さんの硬質な文体はそのような逸脱を許さず、論理を手放さずにこのプロメテウスとなったサルを追う「わたし」の姿を描いていきます。このサルは神話のプロメテウスと同じように悲劇が待っていました。

次のような言葉がやはり作中人物から語られます。
「人間には、物事をリアルだと感じられる閾値(しきいち)があると思うのです」(「沸点」より)。同じように「わたしたちが立っている場所は、いわば倫理のエッジです」(「薄ければ薄いほど」より)という言葉に「わたし」はぶつかります。「わたし」はその世界へ歩んでいきます。そこになにがあるのかを知るために。

「わたし」を取材に駆り立ている情熱はどこからきているのでしょうか。共時性、超常現象(スプーン曲げ)、ロボトミー、ホスピス、洗脳等の現象、事件になぜ「わたし」は向かうのか。その答えは4話目の「水神計画」で克明に描かれています。

洋上型原子炉〈浮島〉の事故によって汚染され続ける太平洋。その汚染を食い止める手段として「わたし」が関わったものは〝波動〟によって汚染水を浄化しようとする運動家たちの活動でした。

「水に『ありがとう』と語りかければ、水は浄化される」。自ら「自分たちの考え方は非科学的であると最初から宣言していた」グループの存在を教えてくれたのは「わたし」のガールフレンドでした。初めは消極的に(疑問を持ちながら?)取材をはじめた「わたし」ですが、ある時は奇妙な体験をします。「心が実験結果を左右する」ということが実感できるような体験にぶつかります。それをきっかけに次第に関心を抱くようになった「わたし」にそのメンバーから助力が請われました。発電所が事故を起こし海を汚し続けていることを止めてほしいと。そのために彼らが「種子」と呼んでいる〝水〟を発電所にから海へ流してほしいと。

「わたし」はある瞬間に人間は〝科学〟などというものを越えてしまうことがあるということを体験します。「わたし」にとって世界は〝客観的〟に存在しても、それが未だ〝科学的〟に存在していないように思えたのかもしれません。

「世界は事実の総体である」といったのはヴィトゲンシュタインですが、「わたし」が体験したのも事実の一部だったのでしょうか。それとも、同じヴィトゲンシュタインの有名なテーゼ、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」はずの世界を語る試みだったのでしょうか。そういえば宮内さんが最初に受賞されたのは「山田正紀賞」でしたが、この賞の名となった山田正紀さんが書いた『神狩り』もヴィトゲンシュタインのこの「語りえぬものを語る」というモチーフだったと思います。

巻末の宮沢賢治の「ほんたうの考とうその考」を見分けられる実験についての言葉が余韻のように響いてくる強烈な連作集でした。そして〝感想戦〟のように何度も何度も宮内さんの言葉の布石を検証したくなる物語です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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