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西村賢太の東京彷徨。最も愛した鶯谷、〝臭い〟下北沢など34篇

東京者がたり
(著:西村賢太)
2016.04.10
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──運河の向こうには、小洒落たテラスのカフェーなぞもあり、周囲には新たなビルも林立している。もし傍らに例のセメント会社の資材置き場が残っていなければ、一寸往時の界隈と同一のものとは分からぬ程の変貌ぶりだ。ここに行くと、その変わり果てた〝地獄の一丁目への入口〟を、しばし虚ろな目をもて眺め入らざるを得ない。──(本書から)

西村さんが「悪循環な人足稼業」をしていた頃に通った新東海橋を語った一節です。新東海橋とは、今の天王洲アイルの付近のことです。かつては超高層ビルなどはなく、「平和島や昭和島、京浜島なぞの冷蔵団地、或いは大井埠頭」へと「日雇いや、常勤のいわゆる〝倉土方〟を乗せたマイクロバス」が走っていたところです。西村さんもその中のひとりでした。

絵画で、重ね塗りされたり、修正されたりして見えなくなった元の画像が透けて見えるようになることをペンティメントといいますが、この本に収められた一連のエッセイは現在の東京に透けて見える東京を綴ったものだと思います。けれどその元の絵は幻境になっているように感じられてなりません。

神楽坂の銭湯、新宿二丁目の病院、憧れの日暮里のビジネスホテル、西村さんが愛着とともに思い出すそれらは今でも厚い絵の具で上書きされ続けています。上書きしているのは〝成長という経済〟と東京に流入している人びとの群れ……。西村さんは虫が好かないという世田谷、杉並を象徴するものとして下北沢についてこう記しています。

──つまるところ東京に来て調子にのっている田舎者が、本当に不愉快でならないのだ。アングラ芝居の関係者がその地のバーで、朝まで演劇論を闘わせ、ときには掴み合いにも発展するとか云う、自己満足の猿芝居はまことに〝臭い〟と思うし、その街を闊歩していていっぱしの東京人を気取る百姓と、それを許容する周囲との甘えた馴れ合いは気味が悪くて仕方がない。まったくもって、人も街も安雑貨だ。──(本書から)

東京者の矜持(きょうじ)というものなのでしょうか、このような西村さんの嫌悪感は白金台の一節にもうかがえます。かといって下町とよばれている場所に強く惹かれているだけではありません。それを証しているように、たとえば最近では外国人もしばしば観光で訪れる〝谷根千〟もまた西村さんには異郷になっているようです。このあたりは巻末の対談「粋でもなく、郷愁でもなく」で語られています。苦笑、爆笑混じりの〝東京者〟の面目躍如たる対談です。

最近では東京はもう〝東京という名の商品〟になっているように思えます。現在の東京はバブル期並みに地価やマンション価が高騰して、どんどんその姿を変えています。かつて、東京オリンピックで一度街が壊され、高度成長と、またバブルに浮かれた日本人が東京を変えました。でも今は現金を詰め込んだ中国人が都心を買いあさっているそうです。どんどん東京の中心は商品化され、切り売りされ、普通の生活者(サラリーマン)では手が出ないほど高騰化した商品となっています。富裕層と呼ばれる人を除いた日本人のドーナツ化現象とでもいうのでしょうか、郊外へと脱出する人が増えているとニュースでもとりあげられるようになりました。

西村さんの東京は幻境化し続けていくのでしょうか。もしかしたら、その幻境を現実化しているものが西村さんの私小説なのかもしれません。

──東京人特有の、本然の意味での粋な野暮ったさと云うものは、上京イコール洗練とはき違えている、そこいらの百姓学生風情には到底理解の叶わぬものがあろう。本稿はその私の、極めて身体的な東京地図の断片集である。──(本書から)

この本は東京の来し方を綴りながら、同時に西村さんの小説世界の成り立ちを私たちに教えてくれているものでもあります。そして厚化粧を落とした東京の〝素顔〟をのぞかせているものとしても興味つきないエッセイです。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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