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長寿すぎる日本人向け「いい死に方」のステップとは?

日本は世界的に見ても長寿大国である。2015年7月、厚生労働省は2014年度の日本の平均寿命を発表したが、男性が80.50歳、女性が86.83歳と、ともに過去最高を記録した。男性の平均寿命が80歳を超えるのは初めてのことだが、女性に至っては3年連続の世界一の長寿である。
さて、これほどの長寿にあって、私たちはどのように生きるべきだろうか。若いときに若いうちにしかできないことをやった人でも、年老いながら人生を過ごす時間のほうがずっと長くなっている。その生き方、そして死に方を考えることが必要になってきた。
今回はそんな「死に方」について問いかける1冊『死ぬ力』をご紹介しよう。

2016.03.21
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長生きが簡単な時代だからこそ「いい死に方」を真剣に考えよう

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『死ぬ力』書影
著:鷲田小彌太

「死ぬ力」、いったいどういう意味があるのだろう。本書の著者である鷲田小彌太氏によれば、こうしたテーマの類書は数多くあり、解はその本の数だけあるのだという。

本書で語る「死」は「生」なのだそうだ。そして、私たちの身の回りにある自然と、人間の自然のふたつについて語っている。著者の語る「死のドラマ」とは、さてどのようなものだろうか。本文よりそのエッセンスを少しだけ味わってみよう。

人間は長寿なのか?

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現在ほど、「健康で長生き」の人生賛歌が喧伝《ノイズド》された時代があっただろうか? わたしは知らない。わたしが古い時代のこととしてよく聞かされたのは、多く逆のことだった。

「芸術は長く、人生は短い。」(Art is long, life is short.)これはよく知られた言葉だ。「芸術は永遠だが、人生は儚はかない。」という意味で、いまでも用いられる。だが、「本意」はむしろ逆である、といっていい。

意味は、「時間がない。どんなに頑張っても、努力は無駄になる。特別の才能をもつもの以外は、医術を身につけることはできない。」なのだろうか。およそ逆なのだ。

人生=時間にはかぎりがある。だから、寸暇を惜しんで医術を身につけようとしなければならない。しかも医術にかぎりがない。何ごとにも、ひとかどの技術を身につけるには、懸命に努力する必要がある。これが主意なのだ。

たしかに、かぎられた人生だ。身を削る努力をしても、身につくものはたかが知れている。そんなものに憂き身をやつす(なりふりかまわず熱中する)より、その日その日をあるがままに受け入れ、なにものにもとらわれずに生きる方が、ずっと自由で楽しいじゃないか。こう考える人も多いと思える。でも、原意はそうじゃないのだ。

もう一つ、人間が「短命」だ、というのは正確ではない。

陸、海、空の「最長寿命」動物は、ゾウ、シロナガスクジラ、イヌワシで、ともに、「食物連鎖」の頂点に君臨している「最強」動物である(といわれる)。しかし三頭とも最長寿命年数は、ともに80年で、人間の120年に劣ること遥かなのだ。

つまり人間は、他の動物と比較して、途方もなく長く生きることができる、食物連鎖の頂点に君臨する、最強動物である(ただし以上は、「寿命」、すなわち、誕生から死までの年数を、「出産」と「心臓死」までの期間と前提した場合だ)。

人間だけが自殺をする?

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ところが、この最長寿命動物といっていい人間は、あるいは、人間だけが「自殺」をする。もちろん「自然死」や「病死」もするが、自分勝手・自分本位に寿命をまっとうせず、自死するのだ。

重大な自殺と思われるものがある。たとえば、明治天皇の崩御で、乃木希典将軍が妻を道連れに「殉じ死」(自刃)した。天皇崩御と乃木の殉死によって、「明治の精神が終わった」といって、『こころ』(夏目漱石)の「先生」が自殺した。乃木はその殉死によって、「神」になって、乃木神社に祭られた。

対して、1933(昭和8)年、三原山投身自殺者が1000名を数えた。柵をこさえて自殺を防ごうとしたが、警備員の制止を振り切って、つぎつぎに火口へ向かってダイビングしたのである。一種の「流行」=「熱狂」というほかなかった。

なぜ人間は(だけが)自殺するのか?

人間は、長生きしすぎるからだ。

苦しみからの解放と自殺、そして殺人

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自殺は人間が自由であることの証である。これは、自殺を「肯定」したり、「奨励」しているかのように思えるかもしれない。そうではないのだ。

第一に、自殺は自分(という人間)を抹殺することだ。自殺も人間を殺すという点では、「殺人」である。自分のものをどう取り扱おうと、勝手じゃないか。それが自由ということだろう。こう、いちおうは理屈をつけることができる。

だが、自分の命=身体は、はたして自分だけのものだろうか?

先に、私の命(身体)は、私のもので、他の誰のものでもない、もちろん両親に属するものではない、といった。両親が私の生殺与奪権をもっているなどということを認めるわけにはゆかない。

同時に、私の身体は私の両親から得たものだ。それも無償にである。私のものだが、同時に、両親に発したものだ。私は両親の「分身《ブランチ》」なのである。

自分が親になって、子どもがその身体を切り刻むようなことをしても、それはお前(子ども)の自由だ、と座視することができるだろうか? できる人は「よほどの人」(一種の超人)だろう。

今日の本:『死ぬ力』

長寿社会にあって、人生の円熟期を私たちはどのように生きていけばよいのか。何を考えながら、余生を過ごせばよいのか。著者は、自然に生きること、仕事は年老いてもずっと続けること、つねに締め切りを設定して生きてゆくこと、がんばらないこと……などさまざまなな提言をしている。

本書は、自身の「人間学」の総まとめにすると決めた著者が、読みやすく、そして滋味深く書き下ろしたエッセイである。そこに綴られた言葉の意味を、じっくりとかみしめてみてはいかがだろうか。

著:鷲田小彌太
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後半生を存分に楽しむために。豊かな熟年に贈るこの1冊

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