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高橋源一郎が「全世界を描こう」とした名作。全読者が違う感想をもつ小説
ウィリアム・サローヤンの小説に、主人公が「おれは『ハムレット』と『罪と罰』と『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んでから死にたい」と語るものがあった。
いわば世界文学の三大傑作であり、このセレクションにまったく異存はない。実際、死ぬまえにもう一回ぐらい読む機会があってもいいな、とも思っている。
ただし、自分が選ぶならきっとこうはならないだろう。自分が死ぬまえに読むとしたらどうなるんだろう。そう考えたのが、この本を再読しようと思ったきっかけだった。
もっとも、この作品が、たとえば『罪と罰』に匹敵すると言ってるわけじゃない(高橋源一郎さん、ごめんなさい)。そういうすごい傑作だと言ってるわけじゃないんだ。ただ、死ぬまえにもう一度読んでおかなくちゃいけない。そう思った。
どうしてそう思ったか。
この小説が不思議な、他では得られぬ感覚をもたらすものとして、記憶されていたからだ。
そのとき、私は二十歳になる前だった(単行本の刊行は1984年)。人としてたいへんセンシティヴな時期でもあるし、小説読者としての経験値も決して高くはない。なにしろ、上にあげた「世界文学の三大傑作」いずれもまだ読んじゃいないころだ。
あれは、若かったから、あるいは小説読者として未熟だから味わった感覚だったのか。それとも、この作品が特別だからなのか。知りたかったのである。……死ぬまえに。
いわばすごく個人的な理由から再読したわけだが、それのなにが悪い、と開き直れるぐらい図太くもなっている。もう二十歳前のこわっぱじゃねえんだよ。
結論から言おう。
この作品は特別である。
『ハムレット』や『罪と罰』、『ハックルベリー・フィンの冒険』は、映像化/舞台化が可能な作品だった。いずれも映画や演劇の原作になっているし、『ハムレット』に至っては戯曲、すなわち舞台で演じられることを前提につくられている。他のメディアで表現することが可能なのだ。
ところが、本作はそうではない。
なにしろ登場人物が「カール・マルクス」だったりたくさんの金子光晴だったり背番号7の宇野人形だったりする。こんなもん、どうやって映像にするっていうんだよ! 読者の誰もがそう思うにちがいない。
ストーリーを問えば、100人が100人みな違ったことを答えるだろう。「金貸しの婆さんを斧で叩き殺す話」みたいに、ひとことでまとめることなんか絶対にできない。
「小説でしか表現できないもの」とは何か。「文字でしか書き表せないもの」とは何か。それを考えているからこそ、こうした作風になるのである(上記三作が「名作」と言われるのは、他のメディアで表現しても、すくい取ることができないものが表現されているからだ)。
とはいえ、高橋源一郎の小説はたいていそうだとも言えるし、彼だけがこうした小説を書いているわけではない。この作品が特別である理由は、他のところにある。
講談社文芸文庫に収録されるにあたり、「著者から読者へ」というメッセージが追加されている(これも滅多にない特別なことである)。
それによれば、本作は「全世界を描こう」と思って書いた小説だそうだ。
果たして、それが成功してるかどうか。著者は「無理だ」と自嘲気味に言っているし、解説者は「作者はその思いをまだ失っていない」と語っている。
いずれにせよ、そのスタンスが、あの不思議な感覚につながっているのだろう。ティーンエイジャーを震撼させた、あの感覚に。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。
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