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これは実話か? 昭和のテロリストvs.財閥総帥「悲劇の凶弾」

光陰の刃
(著:西村健)
2016.02.10
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「一人一殺」、井上日召は同志にそう言った。「それぞれ標的を定め、つけ狙う。周りを巻き込むことはゆるされない。犠牲は標的一人だけだ」と。さらにまた「彼らを殺すことによって、国は蘇る。多くの人々が救われる。“一殺多生”である」とも。

この物語は血盟団の指導者、井上昭(井上日召)と、彼の同志によって暗殺された團琢磨の二人の生涯を追った一大長編小説です。

狙われた團琢磨とはどのような男だったのでしょうか。福岡に生まれた團は明治4年14歳で渡米し、マサチューセッツ工科大学で鉱山学を修めました。21歳で帰国した團は、最新の学問を活かして日本の近代化を夢見ていたのです。帰国後すぐに三池炭鉱に関わりを持つものも、志を得ず一時は教壇に立つこともありました。教えたのは数学、化学、地学、星学(天文学)でした。

その後、工部省の官吏として三池炭鉱に再び関わります。鉱山学の知識を活かす時がやってきたのです。そして三池炭鉱の三井への払い下げと時を同じくして三井へ入社し、三井三池炭鉱の近代化に尽力します。その成功とともに三井財閥を率いることとなりました。

司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の主人公たちと同時代の男でした。同じように“坂の上の雲(日本の近代)”を夢見、一心に歩んだ男が團琢磨だったのです。そして、團は坂の上に立ったのです。そこから見た日本の姿はどうだったのでしょうか。近代という道を列強に遅れまいと歩み続けた日本は、いつか、どこかで己自身の力を過信したのかもしれません。

その過信した日本を直撃したのが大恐慌でした。1930年代、金解禁と世界恐慌のため日本は大不況に陥ったのです。都市で多発する労働争議、そして農村の窮乏化と政党政治への不信感が広がっていきました。このような「難問山積」の日本を、理想とした国の形とするべく團は経済界で活動していました。

この日本の危機は、軍国化とテロによってもっとも象徴されるものでした。右翼、青年将校の間で“昭和維新”の声が広がっていきました。テロの時代がやってきたのです。

そして團が率いる三井財閥は、大きな悪と見なされていました。その総帥、團を狙って銃弾が放たれたのです。

團を標的とした血盟団、それを率いた井上日召は、悪ガキだった少年期を過ぎ、青年となると、善とは何か、悪とは何か、生とは何かという人生上の煩悶に取り憑かれます。宗教の門を叩いても解決されることはありませんでした。日本には己の居場所を見つけられず、中国大陸に渡り放浪する日々をおくります。その頃の大陸は、中華民国は成立したものの、内部抗争で政情不安が続いていました。大陸進出をもくろむ日本軍部。井上は軍部とも親しい関係を作りながらも、いまだ完成していない中国革命をめざす人たちと協力し活動を続けます。危険をかえりみず彼らと行動をともにしながらも、心の煩悶が晴れることはありませんでした。

中国大陸でも居場所を見つけられなかった井上は、日本に戻り、一心に座禅と読経(法華経)に没入する日々を続けました。そして回心の時が訪れたのです。「真理がすとんと身体の中に落ちた」という井上は、「町に出て償(つぐな)いの日々を送るのだ」と決意したのです。

大洗に本拠を定めた井上は積極的に活動をします。遠山満、北一輝らと親しく交わりながら活動する彼の盛名は次第に上がり、彼のもとに集まる若者たちが次第次第に増えていったのです。農村の窮乏化、疲弊する国民を憂うる彼らとともに井上は積極的に“昭和維新”の運動に加わっていくのでした。“一殺多生”であるからには標的は絞らねばならぬと説いて。一人目が井上準之助、そして二人目が團琢磨だったのです。

まったく異なった道を歩いた團と井上日召でした。團は近代化による日本を推し進め、国際協調によって日本の窮状を打開しようと考えたのです。けれど井上には、この近代化こそが財閥を生み、格差を拡大させ続け、政党政治の腐敗を生み、日本の窮状を生み出していた元凶と考えられていました。同じ日本の窮状を知り、その解決の必要性を強く感じながらもまったく異なった方法とその先の日本の姿を見ていたのです。悲劇の根本はここにありました。

この小説は昭和のクーデターとテロを主導した井上日召、またその凶弾に倒れた團琢磨のそれぞれの生を雄渾な筆致で書いた冒険小説であり、歴史小説であり、ノンフィクション・ノベルでもある傑作です。

そして傑作にふさわしい魅力的な脇役が登場します。一人は團が三池で出会った男、山海権兵衛。“侠客”の匂いをただよわす山海は團と肝胆相照らす中となります。孤独な幼少年期を送った團には山海は父親のようなものだったのかもしれません。團の夢に共感した山海は自ら旧態依然たる炭鉱のあり方を廃止し、率先して炭鉱の近代化に尽力します。

もう一人は、團と井上を共に知る唯一の人物、富士隈辰之助です。元新聞記者の富士隈は二人を照らし合わせる重要な人物として描かれています。いわば“眼”の人としてこの二人の行動を見ていたのです。そして“眼”の人だからこそ、團と井上がどこか似ているものを持っていると分かったのでしょう。

昭和7年3月、團は凶弾に倒れました。一方、井上は昭和42年3月に亡くなりました。35年の間に日本は大きく変わりました。相互扶助に基づく社会を夢見ていた團、井上もまたそのような社会を脳裏に描いていたのかもしれません、農村青年を中心として……。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
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