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「机」だけが言えない脳。対話の難しさをみる「失語症」事例集

2016.01.29
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●失語症とは何か

本書は、アメリカでの臨床経験もある日本の失語症研究の第一人者、山鳥重氏による失語症のガイドブックである。氏の経験した失語症の事例が、これでもかというほど紹介されている(氏によればこの量は「すくない」「偏りがある」らしいが、専門に研究するのでなければ十分だ)。

おそらくはカンチガイされやすいポイントなのだろう。氏は本書のなかで、幾度となくふれている。言語障害を持つ人は多くいるが、それらすべてを「失語症」と呼ぶわけではない。たとえば、生まれつき会話能力を持たない人は、失語症ではない。

失語症とは、かつては十全に話すことができたし、言葉を理解する能力があったのに、多くは脳に損傷を得たことによって、言語能力を失ってしまう症状を呼ぶ。重い軽いは当然のごとくあって、言葉を発することはもちろん他人の話す言葉まで理解することができなくなる重度のものから、会話することも書くことも可能だが、一部の言葉だけまったく理解することができなくなる軽度のものまで、多岐にわたっている。

●失語症は、「脳の病」ではない

さて、興味深いのはここからだ。

失語症とは、脳の損傷によって生じる。脳医学は近年、著しく進歩している。現在は頭を切り刻むことなくして脳の内部を見ることができるし、メスを使わずに患部を治療することもできる。脳の神経線の一本一本を眺めることが可能になるのも、そう遠い日のことではないだろう。

ところが、失語症治療はほとんど進歩していないのだ。相も変わらず、治療者が患者と向き合って、さまざまなテストをおこなったり会話をしたりしている。山鳥氏によれば、これは、世界ではじめて失語症事例が報告された150年前と、ほぼ同じ方法なんだそうだ。十年一日ってよくいうけど、これは百五十年一日だよ。百五十年変わらないものなんてそうそうないぜ!

失語症の特殊性は、ここにあらわれている。

たとえば本書には、机を指さして「これは何ですか」と問うと、しばらく考えたのち、「机ですか?」と答える患者が登場する。それが机であることに確信が持てない。だから返答に時間がかかるし、返答が疑問の形をとる。

問題の机は、ふだん彼が使っている「机」とは、色も形も材質もぜんぜん違っている。同じ言葉で表現していいものか。返答に時間がかかり、かつ確信が持てないのは主にそのせいだ。同じことは、「椅子」や「壁」にも見受けられる。ところが、彼といっしょに外出すると、「車」とか「木」とか、当たり前のように言えるのである。彼の車ではないし彼の木じゃないのに、きちんと名前が言えるのだ!

このことからわかることは、どうやら彼は、身のまわりにある家具に関してだけ、言語能力を失っているらしい、ということだ。さらに、「机」と「車」はまったく別ジャンルであり、彼が損傷したのは「机」が格納されている場所であることも類推できる。したがって「机」と「車」は脳の別のところにある──と結論づけたくなる。が、そんな単純なもんじゃないのだ。

別の事例では、まったく同じ症状のふたりの患者が紹介されている。脳の損傷部位はまるで違うのに、ふたりは同じ症状なのだ。ひとりはセオリーどおり「○○が傷ついているから●●に障害が出ている」と言える人。もうひとりはなぜそこが傷ついているのに、こういう症状を呈するのか、まったくわからない人。

簡単に一般化したり法則化したりすることができない。それゆえ、治療法が進歩しない。それが失語症治療の特徴なのだ。

●失語症の難しさとは、コミュニケーションの難しさである

いちいち顔を合わせて話をしなきゃならないなんて、めんどくせえだろうなあ、と思う。「この薬飲めばなおります」、「患部を切り落とせばなおります」だったらどんなにラクだろう。

しかし、よく考えてみれば、人が人を知るって、そういうことだった。

人は目の前の物象から、さまざまなものを得ている。目の前に犬が歩いていれば、ある者はああ犬だなと思い、またある者はゴールデンレトリバーだと考え、またある者はそこに犬がいることにさえ気づかない。千差万別だ。

それが常態で、人はみな自身の感知するところにしたがって、自身の世界を築いている。あなたの世界と私の世界はちがうし、私と彼の世界はちがう。そんなの当たり前のことなのに、ついつい人は、誰もが自分と同じものを見て同じことを感じていると考えてしまう。そんなことあり得ないのに。

失語症は、それを思い出させてくれる。

氏が語っているように、「意識のない部分を意識できないのが意識の特徴」だ。失語症とは言葉の欠損であるが、多くの場合、患者は「欠損がある」とは意識していない(欠損の大きさを正しく把握していない)。「彼にはこういう能力が不足している」と感じるのは、いつだって治療者のほうだ。

これは、健常者どうしであっても同じなのだ。相手が持っていないもの、見ていないもの、知らないことはたくさんある。反対に自分が持ち合わせていないものだってある。それを埋め合わせるのがコミュニケーションであるはずなのに、俺たちはみな、そんなのめんどくさいと思っている。言ってみれば医療技術とは、めんどくさいの果てに発達した技術だ。

本書は豊富な失語症の事例をもとに、そんな当然な、だからこそ忘れがちな事実を思い出させてくれる。俺たちはめんどくさい世界に生きている。本当に相手を知ろうとするなら、相手と一対一で向き合い、会話して、自分と相手のちがいを見つけていくほかはない。ちょうど失語症の治療者と患者のように。

氏は書いている。「俺はまだ何もわかっていない」と。似た述懐は本書のあちこちに見られ、氏の謙虚さと失語症という病の難しさ、絶望の深さがおおいにわかる。それは言いかえれば、人と人とのふれあいの難しさ、コミュニケーションの難しさなのだ。

もうひとつわかったことがある。ロケットとか人工知能とか、科学はおおいに進展してるように見えるけど、俺たち、自分がどうやって話しているかさえ、わかっちゃいないんだよ。

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。

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