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モスラの精神を深読みすると、映画が10倍愉しくなる

モスラの精神史
(著:小野俊太郎)
2015.12.24
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来年(2016年)で55年になります。かつての東京、いや日本のシンボルでもあった東京タワーがへし折れ、中から巨大怪獣モスラが出現してからです。この怪獣は、それ以前にスクリーンに登場したゴジラやラドンと大きく異なった要素(?)がありました。それは他(人間を含む)とのコミュニケーションができるということでした。

初代ゴジラが復活した南太平洋は戦前は大日本帝国の信託統治下でした。多くの日本人、とりわけ沖縄県人が多かったそうですが、移民をした地でした。そして戦後は幾たびも原水爆実験場に使われた場所でした。これはその地が旧日本信託統治領であったことも関係していたのでしょうか……。

そして戦争で見捨てられた日本人(民間人、軍人も)の怨みをはらすかのようにゴジラは東京に上陸し、破壊の限りをつくします。その姿は人間を超えたもの、〝破壊神〟とでもいったものでした。「人間が生み出した恐怖の象徴」というのが映画公開時の惹句だったそうです。人間の意思を超えたものとの間にコミュニケーションは成り立ちません。そこには一方的な人間への宣告があるだけなのです。

そのようなゴジラに対してモスラは、「小美人」というものを通してであれ、コミュニケーションができる能力を秘めていました。のちに作られたモスラの登場映画でも怪獣同士を含め、コミュニケーション能力というものが重視されているように思えます。

このモスラは中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という3人の文学者による小説『発光妖精とモスラ』を原作として生まれました。小野さんによると「モチーフとして中村が「変形譚」、福永が「ロマンス」、堀田が「ヒューマニズム」を分担」したそうです。また、『広場の孤独』や国共内戦期の中国を描いた『歴史』、南京事件をテーマとした『時間』などで知られる堀田善衛の参加がモスラの世界に〝社会性〟とでもいったものをもたらしたのかもしれません。

また、小説の中で福永武彦は詳細なモスラ神話を作り上げていました。その神話世界ではモスラは「母─子」関係といえる行動原理が持たされています。「映画『モスラ』と後続のモスラたちが母性的イメージをもっているのは、〝妖精である母を守る怪獣である子ども〟という関係が成立している」のです。さらにいえば「母性というより女性ともっと明確に結びつく」ものであり、「モスラは長年飼育されてきたカイコガと同じく人間から完全に自立して自由に活動する怪獣ではない」とも小野さんは指摘しています。つまり、はじめからコミュニケーションが不可欠である関係を背負って生まれてきたのがモスラだったのです。

それはまた、モスラが正しいものの味方であるということでもあります。小美人は無垢な妖精ということなのですから。すると、小河内ダムに出現して都心部へ向かうモスラの進撃路というものが意味を持ってきます。

小野さんはこう記しています。「やはり気になるのは、横田飛行場、通称横田基地を破壊しながら進む場面である」と。この基地はモスラ誕生の前年の「一九六〇年からはじまったベトナム戦争の激化で、横田基地の注目を浴びることになるし、すでに一九五五年には、立川基地の拡張工事に反対する砂川事件など記憶される出来事もあった」場所です。

それは〝正しくないもの〟を破壊するというようにも読みとれるのです。

小説では繭を作る場所は国会議事堂となっており、さらに加えて「それを排除するために、自衛隊が出動となるのだが、私たち三人は(中村真一郎、福永武彦、堀田善衛)はそこで、日米安保条約を持ち出し、この条約によって、日本政府はアメリカ軍に出動を要請し、議事堂の周りは安保反対の群衆がとりまく」(中村真一郎の『発光妖精とモスラ』あとがき)という案もあったそうです。前年の'60年安保反対運動の影が差しているのは明らかです。

「モスラは、水爆実験がもたらす被害の人類への警鐘というより、日米安保条約と米ソの冷戦構造を浮かび上がらせる怪獣であった。しかも、一九三○年代の象徴ともいえる国会議事堂の上で成虫になる印象的な場面をもつことで、空爆したアメリカ軍にも、六○年安保の国民運動にもなしえなかった、国会の物理的破壊を実行しようとした」。さらには「モスラの成虫への「変態」が、そのまま日本に固着した関係を破壊あるいは打破する変形譚となり、ニュース映画を挿入して迫真性を与えることで、前年の現実の出来事と交叉させる思いがあったはずだ」という小野さんの指摘はこの作品を政治的に解釈しすぎたとはいえないようです。なにしろ'60年安保反対運動で命を落とした樺美智子さんの名前を連想させる人物まで登場しているというのですから。

もちろんこの映画『モスラ』はそのような政治的な主張を中心とした作品ではありません。それと同様に、あるいはそれ以上に民俗学、神話学、民族学の知見もあり、さらにその上に東宝のショービジネスのノウハウを活かしたからこそ傑作映画として完成したのです。原作からの変更とシナリオに秘められた謎(モスラの歌の成立など)を詳細に追う小野さんはさながらシャーロック・ホームズを思わせる名探偵ぶりです。

〝読んでから見るか、見てから読むか〟とは、かつて角川映画で使われたキャッチコピーですが、この本を読むと絶対見たくなります。しかも何度でも。

『モスラ』がその後の日本にどのような影響を与えたか、宮崎駿のアニメーションにもその影響がうかがえるという小野さんの指摘には納得させられるものがありました。宮崎ファンの方たちはどう思われるでしょうか。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

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