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女子が「理路整然」と話すメリット、「可愛げ」をとるリスク

2015.12.13
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この本には、「お母さん、お母さん、今日、宿題やっていかなかったんだけど、田中先生、全然怒んなかったんだよ」という子どものセリフが出てきます。この言葉には、宿題のことはあまり意味をなさず、「田中先生は優しいから好き」という気持ちがこめられているのだと書かれています。

なぜこんな風に子どもがまどろっこしい言葉を使うかというと、「子どもに代表される社会的弱者は、他者に対して、コンテクストでしか物事を伝えられないからだ」そうです。ここでいうコンテクストとは、前回、前々回のレビューでも出てきましたが、ひとりひとりの言葉の使い方の違い、あるいは一つの言葉から受けるイメージの違いのことです。

この一文を読んで、自分のことを振り返りました。私自身は、今でこそ言いたいことを言えるようになりましたが、その昔は、なかなか思ったことが言えませんでした。もちろん、OLとして働いていたときは、周囲の女性の同僚よりも言いたいことを言っていたほうだったのかもしれませんが、それでも今よりは、もやもやっとした言い方をしていたし、それで実はちょうどいいとされていた気がします。

東京に来てからは、徐々に理路整然と物事を話さないといけない状況になっていきました。自分の名前を出して、自分の考えをコラムにするような立場になると、もっと理路整然とした言い方が必要になります。でも、まだ「かもしれない」「ではないでしょうか」という言い回しを使ってしまい、注意されることだってあります。

今でも、自分以外の女性が以前の私のほうに口ごもるのを見ることもありますが、そんな姿を見ると、自分の昔のことは忘れて、もっとはっきり言ったほうがいいのにと思ったりもしてしまうこともあります。

もちろん、ツイッターやブログなどでは、たくさん自分の思っていることを明確に伝えられる女性はいるのですが、リアルで出会う人の中には、もごもごして何を言いたいのか、こちらが察してあげないといけない人はいます。

でも、この本を見て気づきました。昔の私も、今も口ごもる彼女たちも、会社などで弱い立場にあったのだということを。そのことを、口ごもらないで済む立場にいる人が、「なんではっきり言わないんだ!」と叱責するのは、酷な話だなとは思うのです。

でも、社会は変わりつつあります。いつもこの話を引き合いに出して申し訳ないのですが、芸人のケンドーコバヤシさんが、ある雑誌で女性の話し方について、「話の途中で急に今まで出てきてなかった人物を説明なしに登場」させたりすることに対して疑問を持っているという記事を見ました。それに対して、話をするときは、「駒を配置して」から話すと伝わりやすいと書いていたのです。それは、コンテクストに頼らずに理路整然と話す方法です。

平田オリザさんは「社会的弱者は、何らかの理由で、理路整然と気持ちを伝えることができないケースが多い。いや、理路整然と伝えられる立場にあるなら、その人は、たいていの場合、もはや社会的弱者ではない」と書いています。ケンドーコバヤシさんの言う「女性が駒を配置できない」ことの背景には、こういう理由があるのです。

女性にも、立場的に弱かったからこそ、子どもと同じように、コンテクストでしか伝えられなかった時期や時代が存在することはわかりました。でも、同時に、時代は変化して、男性に「コンテクストを理解して!」というだけでは、「はあ?」となってしまうフェーズに来たのかもしれないなとも思うのです。

もちろん、男性が「コンテクストを察しろ」という態度をとるときはありますが、それは、遠慮からはっきり言えない女性のものとは性質が違います。例えば、何も言わずとも「お茶を出してほしい」ことを察しろというように、権威的であるからこそのコンテクストの省略は、かつての家庭や会社などであったのではないかと思います。

一方で、この本には、弱者のコンテクストを理解する必要性についても書かれています。これは、前回のレビューで書いたように、演出家が権威的すぎると、コンテクストを押しつけるばかりで、俳優のコンテクストをすり合わせしようとしない、ということになりかねないからです。

また、平田さんは、「自分が担当する学生たちには、論理的に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人びとの気持ちをくみ取れる人間になってもらいたいと願っている」と書いています。でも、それはリーダーになる人に必要な資質であり、リーダーになる場面がいまだ少ない女性の場合は、コンテクストをくみ取る側に徹することだけでは、以前と変わりがないと私は思います。

女性が社会の中で、何も言わせてもらえない立場にあって、コンテクストだけで伝えようとしてしまうことは、綿々と続いてきたとは思いますが、その理由には、私の場合を考えても、それが美徳であるとか女の子らしさであると思って、それを続けている場合もあったのかもしれません。

もちろん、そんなことはしていないという人もいるのはわかるのですが、実社会では、男女問わず、女性が理路整然と話したり、言いたいことをはっきり言うのは、好ましくない、可愛げないと、考えている人もいると思います。

でも私は、ケンコバさんのように男性の中にも、「コンテクストで伝えるのではなく、理路整然と気持ちを伝えていいんですよ」と考えている人も増えているのを感じます。巷には、理路整然としているのは「可愛げない」と思うけれど、あまりにもコンテクストを察してと言っていると、「なんか苛立つ」という意見も多いものです。

そういうエピソードは一見、「男性が理路整然と話すことができる立場に長らくあったからといって、女性に簡単にそれを求めるなんて、女性の立場をわかってない!」と思えるかもしれないけれど、一方では、男性側も、「あなたは自分が思っているほど弱者じゃないし、こちらも弱者扱いしていない」と言うことだとも思うし、もしも、そこまで言ってくれる状況があっても、理路整然と話すことを躊躇するのだとしたら、なんらかのメリットがあって、弱者でありたいと願っているのかもしれないとも思うのです。

もちろん、自分が強い立場になったら、コンテクストでしか伝えられない人の言う言葉を理解してあげることも必要だとは思いますが、女子の多くは、実際には、弱い立場にはなくても「可愛げ」をとってしまうことも多い。それは、そのほうがリスクが少ないと思える状況があるからでしょう。でも、自らの実体験を振り返ってみても、自分が弱者であることを不本意ながらも選ばなくても、それでリスクが増えることはさほどないのではないかとも思うのです。もしも、やっぱりリスクが増えるというならば、コンテクストをすり合わせようとしない、支配的な人が近くにいるということにはなるので、それは別の解決法が必要です。

レビュアー

西森路代

フリーライター。愛媛と東京でのOL生活を経て、アジア系のムックの編集やラジオ「アジアン!プラス」(文化放送)のディレクター業などに携わる。現在は、日本をはじめ香港、台湾、韓国のエンターテインメント全般や、女性について執筆中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に「女子会2.0」(NHK出版)がある。また、また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演中。

近況:女性セブンで「三代目J Soul Brothersが教えてくれた 大声で夢を語るって恥ずかしくない」というページを担当しました。

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