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やはり江戸庶民の味方だった名奉行の実像

遠山金四郎
(著:岡崎寛徳)
2015.11.05
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市川新之助、中村梅之助、市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、松平健のみなさんがテレビで演じたのが『遠山の金さん』シリーズです。古くは片岡知恵蔵主演の映画もありました。
お白洲の前でも悪行を認めぬものたちに、片肌(時には両肌)を脱いで、悪人どもに見覚えのある桜の入れ墨を見せ、見事な裁きをするというこの「金さん」シリーズは時代劇の定番ともいえるものでした。事件の決着の付け方はどことなく水戸黄門の印籠を思わせる流れでもありますが。

この遠山の金さん(遠山左衛門尉景元)はどのような時代に生きていたのでしょうか。北町奉行として活躍していたのは老中水野忠邦が行った天保の改革の時代でした。江戸の三大改革である亨保(徳川吉宗。大岡忠相の時代です)、寛政(松平定信)に続く天保の改革ですが、目的は幕府の財政の立て直しです。倹約令、人返し令、株仲間の解散令、棄捐令などで徹底した幕府・武士救済策を行ったのです。極端な倹約令は民衆に強い反感を抱かせるものでもありました。
「幕政改革を断行しようとする水野に対し、景元はあらゆる面で異を唱え、江戸市政をめぐり対立し続けていた。反対したのは北町奉行の景元だけではなく、南町奉行の矢部定謙も同様」でしたが、水野は矢部を罷免してしまいます。後任は水野忠邦の腹心の鳥居甲斐忠耀(耀蔵)でした。鳥居は町奉行以前の目付時代から江戸市民の評判が極めて悪く、甲斐守だったので耀甲斐=妖怪と呼ばれるほどでした。

態勢を整え、改革断行を決意した水野は奢侈禁止の名の下で庶民の娯楽の場である江戸市中の寄席の全廃を命じます。「景元は寄席の存続を主張」しましたが、その願いはかなわず、全廃だけはかろうじて避ることができました。とはいっても「それらは「江戸中二百十三軒」という数であったが、十五軒のみが存続を許され、残りは廃止」されるというものでした。景元の抗弁は虚しく、主張は受け入れられませんでした。けれどこのあたりから景元が江戸市民の味方であるという下地ができたのかもしれません。
それを証すかのように鳥居の苛酷さが続く中、それに対抗するように景元の江戸市中での評判は上がっていきました。
この水野・鳥居政権と対立した景元は大目付へと転任させられます。一見、栄転に思えますがその実は「天保改革を推進する老中水野との江戸市政対策をめぐる対立から、町奉行職を外された」ものだったのです。

けれど天保の改革はうまくいくことなく水野は老中の座を追われます。入れ替わるように景元は水野の失脚後ふたたび江戸町奉行に任じられます。この時は南町奉行でした。「同一人物が町奉行に再任されるのは、幕初以来はじめてのケース」です。「江戸町々の巡見」等で江戸市民の信認を得ていたという実績が高く評価されたのでしょう。同時に北町奉行時代の景元の仕事ぶりに将軍徳川家慶の信認が厚かったことをも証しています。
前後10年に及ぶ江戸町奉行とその職での名裁きぶりがこの本でも紹介されていますが、景元には当時から「庶民の味方」というイメージはあったようです。その人気はあながち後世のフィクションだけではないようです。

では遠山の金さんの代名詞ともいえる〝桜吹雪の入れ墨〟はどうだったのでしょうか。実ははっきりしていないというのが実際のようです。とはいっても同時代の史料に景元が入れ墨をしていたという記述が残っているところをみると、入れ墨をしていたのは確かなようです。この入れ墨の絵、明治になると「髪ふりみだした美人」というように記されているものも出てきたそうです。
景元は生前は一切他人に己の肌を見せませんでした。というのも当時から〝入れ墨〟は「「恥」また「嘲笑」の対象でもあり、禁止」されていたものだったのです。

なぜ景元は禁止されていた〝入れ墨〟をしていた(といわれていた)のでしょうか。岡崎さんは養子で遠山家に入った父親とその養父、景元出生後に生まれた養父(景元からみると養祖父)の実子をめぐる複雑な家庭環境があったのではないかと推測しています。
いくつかの史料、聞き書きに残されている景元の若き日の「放蕩無頼」、や「さまざまな場所へ行って下情を探索」したり、多くの町人とも行き来をしていたのは、確かなようです。その中で〝入れ墨〟をすることになったのかもしれません。
もっとも私たちからすれば、〝入れ墨〟のない「遠山の金さん」はありえません。ドラマで威勢のいい啖呵を切って悪人を追い詰める江戸北町奉行の背には、やはり〝入れ墨〟がないとさまにならないような気がします……。もっともこの〝入れ墨〟の図柄は諸説あるようですが……。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

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