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近代人・信長はいつ誕生したのか? 新しい信長像と〈天下〉の意味を追う

織田信長〈天下人〉の実像
(著:金子拓)
2015.06.17
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〈天下布武〉というのは織田信長の代名詞ですが、信長が考えていた〈天下〉とはいったい何だったのか、という問いからこの本は始まります。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とこの3人の流れで歴史を見ていると、〈天下〉とは全国のことであり、〈天下布武〉とは武力(実力)による全国統一のことだとだと思ってしまいます。
けれどこれはあるいは結果から見た歴史の見方なのかもしれません。秀吉、家康の先行者としての信長、この信長像は正しいのでしょうか?
戦国大名は誰もが全国統一を目指していたわけではありません。むしろ、領国経営に専念し、割拠こそが戦国大名の第一義であったともいわれています。その中で、異例として〈天下〉を目指していたのが信長だと考えられていました。その点から信長は中世から抜けだした近代人として考えられていたと思います。

金子さんは緻密な史料批判に基づいて私たちのこの先入観を問いただしています。
「戦国時代の室町将軍のばあい、維持すべき支配領域とは京都中心の「天下」にほかならなかった」のであり「このような戦国時代において室町将軍が維持すべき「天下」の平和状態を、のちに義昭や信長自身も発給文書のなかで用いる言葉である“天下静謐”と呼びたい。これこそが信長がもっとも重視した政治理念」であったことを丁寧に論じています。

信長は後に将軍義昭を追放した後は、室町将軍に成り代わって“天下静謐”を目指していきます。これは新たな権力体制を構築したということではなく、室町将軍の支配体制を引き継いで“天下静謐”を目指していたのです。もちろん信長が考えていた〈天下〉とは畿内のことでした。
少なくとも天下布武の宣言をした頃の信長は、まだ中世の秩序の中にいたのです。

正親町天皇の譲位もまた、中世人、信長の視点から再解明されています。信長が譲位を強制していたと考えられ、朝廷権力・権威への挑戦とみられていたこの問題も実は対立などではなく天皇側も歓迎していたということを明らかにしていきます。
「中世における朝廷政治は、譲位した上皇(もしくは法皇)が「治天の君」として政務をおこなう院政が基本であった。しかしながら(略)戦国時代は三代一○○年以上にわたり譲位がおこなわれていなかったため、天皇は譲位提案を歓迎したのである」

一度は“天下静謐”が安定していなかったためと、諸費用の問題から見送られてた譲位問題もこの現実的要因が解消されると直ちに実行されたのには、朝廷側にもこれを歓迎する意向があったからだと論じられています。
これ以外にも巷間、朝廷との対立と考えられていた問題も金子さんはひとつひとつ追求していきます。この本で提示された信長の天下観からは蘭奢待切り取りも、京の馬揃えも違った意味を持って私たちに迫ってきます。朝廷と協調し、中世的秩序の回復を目指した男としての信長像が。

けれどこの中世人・信長にも転機がやってきます。三職推任問題の後にそれはやってきたと思われます。
「天下人ととして、天下静謐という論理のもとで明快な行動をとってきた信長の意図が、将軍推任を境に見えにくくなっている点が気にかかる」
それは〈天下〉の域を超えた四国征伐をなぜ信長が意図したかという問題です。
「武田氏討滅から中国・四国攻めへとうつる動きがあまりに性急すぎるからである。要は、秀吉へとつながる全国統一の想念が、そこに浮かんだのではないだろうか」
この時に近代人・信長が誕生したのかもしれません。
この近代人の姿が、根っから中世的秩序を重視した明智光秀に叛意を抱かせたのかもしれません。

多くの人たちに語られ続けている信長ですが、その魅力がつきることはありません。この本は新しい信長像の提示であるとともに、歴史を読み解くことのおもしろさ、その深さを感じさせてくれるものでした。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

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