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「信じる」ことはすなわち正解なのか

藪の中
(著:芥川龍之介)
2015.03.17
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黒沢明の『羅生門』の原作でもあるこの小説。真相は藪の中、みたいな感じで使われるのは、この小説が起源だとか。

私は、1997年に公開された天海祐希、豊川悦司、金城 武という今で考えると豪華な三人が主演の『MISTY~ミスティ~』という作品で初めて『藪の中』のおおまかなストーリーを知りました。あの映画を見て以来、人の言うことはそれぞれの見方で脚色されているのかもしれないと思うようになりました。

また、湊かなえ原作で2014年に公開された『白ゆき姫殺人事件』も、人は自分にとっての真実を語っているにすぎないという物語で、やはり『藪の中』を思い出しました。

事件のありなしに関わらず、身近なところでも、こうした自分だけの真実を語る場面はあります。一番ありがちなのは、別れた男女の言い分。どっちが別れたがっていたかとか、酷い目にあわされていたとかということは、なかなかありのままには言いにくいものかと思います。しかも恋愛はやっぱり当人同士にしかわからないものであるからなおさらです。

ではなぜ今週『藪の中』を読みたくなったかというと、先週まで清原と桑田の本をレビューし、その中でまた疑問ができて別の人が書いた本を読むと、「えっ、そんなことがあったの?」ということがいろいろ出てきたからです。どこから見るかによって、こんなにも事実が違って書かれるものかと思ったのです。

このほか、「百田尚樹『殉愛』の真実」を読んだというのも大きい。私は『殉愛』は読んではいないのですが、テレビでそのストーリーを映像にしていたのは見ました。そこからすると、まったく違った話があることに驚愕するしかありませんでした。

『藪の中』が世に出て以来、さまざまな人が物語の真相はどこにあるのかを論じたと聞きます。また、『羅生門』では、原作にはない、人は自分に都合よくウソをつく生き物でもあるけれど、そんな人ばかりではないという希望が最後には描かれていて、黒沢明の解釈が加えられています。

ただ、私の場合は、当事者やジャーナリストたちがいろんな方向から書いた本を読んだりした結果も合わせて『藪の中』から学んだことは何かというと、ウソをつく人に利用されたり、話のうまい人にのせられたりして危険な目にあわないようにしよう……というけっこう希望のないものでした。「信じる」ことと「疑う」ことだったら、確実に「信じる」ほうがポジティブだから正しい気がしてしまいます。でも、『藪の中』のように、さまざまな個人の真実が存在するときには、なんでも信じてしまうことが正解ではないことを思い知らされたのです。

レビュアー

西森路代

1972年生まれ。フリーライター。愛媛と東京でのOL生活を経て、アジア系のムックの編集やラジオ「アジアン!プラス」(文化放送)のデイレクター業などに携わる。現在は、日本をはじめ香港、台湾、韓国のエンターテイメント全般や、女性について執筆中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に「女子会2.0」(NHK出版)がある。

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